「選ばれし子供」。

この世界…デジタルワールドに召喚され、俺たちデジモンのパートナーとなり、デジヴァイスを
用いてこの世界を救う使命を背負った人間。

俺はそいつを…自分のパートナーを…人間を愛してしまった。

理由は分からないし、考える気もない。

ただアイツのそばにいるだけで心が温かくなる。

ただアイツの肌に触れるだけで胸がドキドキする。

ただアイツが笑うだけで、例えようのない喜びで体が満たされる。

いつの間にか…気がついたらそうなっていたんだ。アイツと一緒に冒険している内に。

俺は長い間それを打ち明けられないでいた。怖かったんだ。口に出したら拒否されるどころか
今のままの関係すら、アイツのパートナーでいられる現状ですら壊れそうに思えたんだ。

ところがそんな悶々とした日々はいきなり終わったんだ。驚いたことにアイツから俺に聞いてき
たんだ。「自分の事が好きなのか」って。俺は観念してすべて白状した。アイツに抱いていた思
いを全てな。

人間じゃない生き物、デジモンに告白されてそれを受け入れてくれるとは思えなかった。アイツ
は俺を汚らわしいものの様に想い、嫌悪感を露にして俺を拒否するだろう。そう思った次の瞬
間、アイツの唇が俺の唇に触れた。そして顔を赤くしたアイツはそっぽを向いて黙ってしまっ
た。

一瞬、何が起こったか分からなかった。唇と唇を触れ合わせる行為はキスと言って普通恋人
同士でなければありえない行動である事は俺も知っていた。つまり逆算すれば俺とアイツは恋
人同士でしかしない行為を行ったことになる。

俺が確認するように恐る恐るアイツの顔を覗き込む。直ぐに顔を背けてしまったが、赤くなった
アイツの顔に嫌悪や侮蔑といった感情は欠片も見られなかった。

そしてアイツは呟いた。内容は浮かれすぎていた為正確には覚えていないが確かに口にした
んだ。俺の告白を受け入れるといった旨の言葉を。





結局のところ、仲間達…他の選ばれし子供やそのパートナーデジモン達、そしてアイツも俺の
気持ちに気づいていたらしい。他の連中はアイツと相談してそれとなく俺と二人っきりになる機
会を作ってくれたってわけだ。普段なら大きなお世話だと行ってやる所だが、アイツとお互いの
気持ちを確かめ合う事ができ、晴れて「恋人」となれたのだから良しとしよう。むしろ感謝しても
したりないくらいだった。

告白した後の俺達はそれからずっと一緒だった。いや、以前から行動を共にしていたが更に
距離が近くなったと言うのが適当か。仲間の皆はそんな俺たちをよく茶化していた。俺はその
度に睨み返していたが、本当はあいつらのその行動がとても嬉しかった。異種族同士のカップ
ルである俺達を嫌悪したりせず、そこにいるのが当然のように受け入れてくれた事が嬉しくて
仕方がなかった。

俺達の冒険にはいくつもの障害と強大な敵が常に立ちはだかったが、俺はそれを苦しいとは
思わなかった。隣にはいつも信頼できる仲間達と、愛して止まないアイツがいたからだ。俺は
それらを守る為に常に矢面に立って戦った。いくら体が傷ついても引き下がる事はなかった。
やがて俺はデジヴァイスによる究極体への進化を会得し、仲間達と力を合わせて次々と強大
な敵を、デジタルワールドの支配を目論む「闇の者」達を倒していった。

4人いた「闇の者」の統率者達の3人目を倒したとき、俺はふと気がついた。最後の敵、4人目
の統率者を倒せば戦いが終わる。それは「闇の者」達を倒すためにデジタルワールドに召喚さ
れた「選ばれし子供」達との別れを、俺が愛して止まないアイツに二度と会えなくなることを意
味しているという事に、ようやく気がついた。

俺は皆には気づかれないように、一人だけでこの事をアイツに相談した。アイツも戦いの終わ
りが意味することに気づいていて、俺と別れることを恐れていた。俺達は考えた。二人が離れ
離れにならずに、ずっとそばにいられる方法を。そのとき俺が口にした言葉がやがて実行に移
されることになった。





「逃げよう。戦いが終わる前に、どこか遠くへ」






最後の戦いを翌日に控えた日の夜、他の選ばれし子供達がデジタルワールド最後の眠りを甘
受していた頃、俺達は何日も前から立てていた計画通りに皆のもとから離れた。敵の居城を目
指す傍ら下見しておいて見つけた安全なルートを通り、少しでも皆から離れようと俺達は日の
出まで必死で走った。

デジヴァイスは置いてきた。デジヴァイスはどんなに遠く離れていても反応しあって互いの位置
を知らせ合い、ゲートを自在に開き「選ばれし子供」をこの世界に召喚した「聖なる存在」から
のメッセージを受け取る機能もある。持って行っても逃亡の妨げになるだけだ。進化できなくな
ってしまうが、幾つもの戦いを経た俺は進化しなくても生き延びるだけの自信を持っていた。

日が昇り、朝焼けに草木がオレンジ色に染まる頃俺達はようやく脚を止めた。振り返っても仲
間の姿は愚か、これから乗り込むはずだった敵の居城すら地平線の彼方に消えていた。俺の
胸に急に後悔の念が湧き上がった。今頃最後の敵と死闘を繰り広げている頃なのだろうか?
それとも姿を消した俺達を探しているのだろうか?

アイツも同じことを思っているらしく、地平線の彼方を見つめるその目は今にも泣き出しそうだ
った。

デジヴァイスを捨て逃亡するという事は課せられた使命から逃げることを意味する。俺もアイツ
もそれを知っていてこの行動をとった。それでも悔恨と自責の念は俺達を捕らえて放さなかっ
た。皆がいるはずの方向から這いよるそれから引き離すように俺はアイツの手を引き、「進行
方向」を向いて俺はアイツの唇をふさいだ。


キス。幾度となく二人で繰り返したこの愛を確かめ合い、二人だけの甘い時間に浸れる行為。
しかしそれを持ってしても悔恨と自責の念は俺たちから離れようとしなかった。俺は鎖のように
体を縛るその念から逃れようと唇同士を触れ合わせたまま、あいつの口内に舌を差し入れ
た。

仲間の一人、男の選ばれし子供がこの世界に来る際にうっかり持ってきてしまったという本。
誰にも見せようとしなかったが、以前そいつに内緒で他の選ばれし子供やデジモン達数人でこ
っそり盗み見たその本には、裸の人間の絵や写真がたくさん載っていた。いま行っている舌を
差し入れるキスはその本に書いてあった事だ。

「大人のキス」。本には確かそう書いてあった。デジヴァイスを捨て、仲間も捨てた俺達は二人
だけで生きていかなければならない。選ばれし「子供」ではいられないのだ。一線を越え、今ま
での俺達と決別して纏わりつく念を振り払うために俺は「大人」のキスの真似事を試みたのだ。

結果から言えば俺達はその間だけ悔恨と自責から逃れることが出来た。脳をとろかすような、
互いの口内に広がる甘い味を貪る事によって。しかしお互いの口が離れ、糸が切れた瞬間に
またその念は俺達の体を圧倒的な速さで侵食した。次に思いついたそれから逃れる手段は、
眠ることだった。

あいつらなら、信頼できた仲間達なら俺達がいなくても最後の敵を倒しデジタルワールドに平
和を取り戻してくれるだろう。そう自分に言い聞かせながら、俺達は眠りについた。それがこれ
から始まる、長い長い二人きりの世界の始まりだった。








俺達は今まで冒険していた舞台から遠く放れた、デジタルワールドの辺境の密林に家を建てて
住むことにした。「闇の者」の侵攻も伸びず、町らしきものもない俺達が今までいた「世界」とは
何の接点もない土地。ここならば誰にも邪魔されないと踏んだのだ。

朝は木の上に建てられた木造の小さな小屋で目を覚まし、昼は身体能力に優れたデジモンで
ある俺が外で食料を探す。夜は料理の得意なアイツが作った手料理を食べ、枕を並べて眠
る。その合間にアイツと語らったり、散歩をしたり、湖や川で泳いだり…それだけが望みだっ
た。それができるのなら何も入らないと思っていた。

でも現実はそうじゃなかった。結局、俺達は使命も信頼できる仲間も捨てたという悔恨と自責
の念から逃れる事はできなかった。どんなにアイツと一緒にいる時間が楽しくても、その後悔
が常に影を落としていた。そして悔恨と自責の念によって暗く曇ったあいつの顔を見るたびに、
俺にのしかかるその念はどんどん重くなっていた。

俺達は何度も「大人のキス」を繰り返した。「大人のキス」をしている間だけは俺達に絡みつい
た重い鎖は軽くなるからだ。だが、「大人のキス」でも忘れることの出来ない苦しみが俺達には
待っていた。

デジモンの赤ん坊…幼年期デジモンはデジタルワールドに自然発生するデジタマから生まれて
くる。だけど、人間の赤ん坊は人の腹から生まれてくる。愛し合った男女の、女性の腹に新しい
命は宿るそうだ。

デジモンと人間が愛し合っても、その間に子供が生まれることはありえない。デジモンには性格
的な男女はあるが、人間界の情報を元に作られた『生物のまがい物』であるデジモンの体には
子孫を残す為の器官がないからだ。

人間であるあいつは俺との間に子供が残せないことに不満はないのだろうか?俺は何時の頃
からかそんな事ばかり考えるようになった。恐らく、あいつと出会わなかったら俺はこんな事を
考えなかっただろう。デジモンと人間の考え方、感じ方に極端に大きな差異は無いとは言え、
違う生物である以上完全に同じではない。だが俺の物の考え方は人間と長く接している内に、
人間を愛してしまったが故に相当人間に近づいてしまったようだ。



あいつと俺との間に子供が出来ないという現実に、俺自身が強い憤りを感じるようになってしま
ったのだから。



デジモンらしくない形に歪み始めた俺の思考回路は、日を追うごとに酷くなっていた。あろう事
かあの本に載っていた「大人のキス」のその先を渇望し始めたのだ。愛する人との間に子供が
残せない事を気にかけるという人間的な、デジモンにはありえない価値観を持つようになった
俺は代償行為としてより深くあいつと結ばれること望むようになった。

「深く結ばれる」…そのワードから思い当たったのがあの本に載っていた、そして知識として知
っていた人間の生殖行動だった。思いついた次の瞬間にあいつをそのような行為の対象とし
て見ようとした自分への嫌悪感を感じ、俺はすぐさまそれを忘れようとした。

しかしその考えはいくら時間が経とうともその考えは頭からはなれず、理性がいくら否定しても
心の奥底で常にそれを望むようになっていった。いっその事、俺がその渇望に身を任せられる
体の持ち主…人間だったらまだ楽だったのかもしれない。残酷な事に、俺はデジモンでありそ
れ以上でもそれ以下でもなかった。

俺はいつの間にかデジモンでは持ちうるはずのない欲求を持ちながらデジモンであるためそ
れを果たす器官を持たず、永遠に果たされることのない渇望に苛まれる非常に滑稽な生き物
になっていた。アイツに告白できずにいた頃の俺は自分がデジモンであることが憎かったが、
今の俺はデジモンであることをひっくるめて「俺」という存在全てに激しい憎悪と嫌悪感を抱い
ていた。

更に最悪な事に、俺は自分を責めることばかりを考えるようになって、アイツの僅かな体調の
変化や、体力の衰えに気づきすらしなかった。それが何かの病気だったのか、それとも偏った
食生活が原因なのか、あるいは自責の念に苛まれる俺を気遣い無理を続けていたからかは
分からない。その全部と言うこともあるかもしれない。

ある日、ここへ来て3ヶ月、いや半年、それとも1年たったころだろうか。苦しいときは長く、楽し
いときは短く感じられるのが時間と言うものだから、実際はたいした時間は過ぎていなかった
のかもしれない。

その日、アイツは倒れて、ベッドから一歩出られなくなった。俺は泣きながら誤り続けた。アイツ
は無理に笑顔を見せて俺を安心させようとしたが、その笑顔を見るたび俺は泣き崩れた。

俺は森中を駆けずり回って薬になりそうなものを探し、この森では数少ない片言の言葉がしゃ
べれるデジモンを探して治療法を探したが、何日かけても、どんな薬を使ってもアイツは回復
の兆しを見せず、日に日に衰弱していった。

アイツが倒れてから何日めかの朝。俺はアイツに「今日こそ特効薬を探してきてやる」と昨日と
同じ台詞を言った。アイツはもう喋るのも辛いのだろうに「無理はしないで」と言った旨の言葉を
返すと瞼を閉じた。アイツは最近は一日のほとんどを寝てすごしている。逆に俺はもう何日も寝
ていなかった。か細い寝息が聞こえ、アイツの上にかかった毛布がわずかに上下するのを確
認すると俺はまた薬を探しに家を出た、





数時間探し回ったが矢張りこの日も収穫はなかった。この密林にある物はどうやらもう撮り尽く
したようだ。俺は最後の手段…この地を離れて都会へ行き、ちゃんとした医者にアイツを見せ
ることを考え始めていた。

本当はこの方法は一番最初に思いついていたのだ。それをしなかったのは「聖なる存在」ある
いは目的を果たして人間たちと別れたパートナーデジモン達に見つかることで二人きりの生活
が崩れる事を恐れていたからだった。

そのとき、また自己嫌悪に陥った俺の耳に耳を劈くような鳴き声が聞こえてきた。聞き覚えの
あったその声のする方向…頭上を見上げるとどこか見覚えのある黒い竜の大群が森の上空
を飛びまわっていた。聞き覚え見覚えがあるのは当然だった。黒い竜は俺とアイツが「選ばれ
し子供とそのパートナーデジモン」だった頃何度も戦ったデビドラモンだったからだ。そう、「闇
の者」の軍団の兵士であるデビドラモンの大群が森の上空を飛び回っていたのだ。

俺は何故デビドラモンがこの森にいるのか分からず、呆然としていた。そして直ぐに理解した。
「今だ「闇の者」は健在であるから、このような辺境にまで侵略の手を伸ばしてきた」と。何故、
「闇の者」が健在かも分かりきった答えだった。俺とアイツが最後の戦いの直前で抜けたから、
その戦いで倒すことが出来なかったからだと。俺達が…いや、俺がアイツを誘って取った行動
が、因果となって俺の所へ返ってきたのだ。

気がつけば俺は夢中で走り出していた。泣きながらアイツに、信頼していた仲間に、デジタル
ワールドの全ての住民にむけた謝罪の言葉をわめき散らしながら俺は走った。アイツが待って
いる筈の家へ。

木を駆け上り、壊れんばかりの勢いで家の扉を空けるとベットの上では傷ひとつ無いアイツが
目を閉じたまま出迎えてくれた。まだデビドラモン達の手が伸びていないことに安堵し、早く逃
げようと俺はアイツを抱き上げた。










――――――――冷たい。
アイツの肌に温もりが感じられない。静かな室内には耳障りなほど乱れた呼吸音と心音だけが
一つずつだけ、はっきりと響いている。乱れているのは先程まで全力していたからではない。



はっきりと聞こえる、血の気が引く音。

はっきりと感じられる、他に形容しようのない痛み

はっきりと感じられる、生命力を根こそぎ奪い取る自己嫌悪の楔。

俺は「この世でもっとも絶望している者」を見る事は絶対にかなわないだろう。今、この瞬間の
俺がそうなのだから。






次の瞬間―――時が止まったように静止していた俺とアイツの家をデビドラモンが薙ぎ払っ
た。俺がアイツを抱き上げた瞬間から家が薙ぎ払われるまでの一瞬は永遠にも感じられた。
その永遠に感じられた時間がデビドラモンによって壊され、俺とアイツの体は地面に投げ出さ
れる。俺とは少し放れた所に投げ出されたアイツの体に、涎を滴らせたデビドラモンの顎(あぎ
と)が迫っていた。

俺は立ち上がってせめてアイツの体がデビドラモンのエサになることだけは阻止しようと思った
が、足の感覚が無かった。よく見ると視界の隅に俺の下半身が転がってる。家と一緒にデビド
ラモンの爪にやられたらしい。そこでようやく俺は切断部から自分の体がデータの塵になって
消えていっている事に気づいた。

それでも構わずに俺は腕だけで這ってアイツの体に向った。俺はあいつの顔からデビドラモン
の涎を拭うと、唇にキスをした。「大人のキス」ではなく始めてのように、優しく触れ合うだけのキ
スを。

キスをすると急に猛烈な眠気が襲ってきた。まるでここ数日寝ていなかった分の眠気が一斉に
襲ってきたようだった。最後にせめてアイツがデビドラモンの腹の中に納まるのだけは阻止し
てやりたかったが、俺はそれすらも出来ないらしい。俺は眠気に逆らえず、大人しく瞼を閉じ
た。


愛して裏切って捨てて渇望して嫌悪して絶望して、そして何一つ望みをかなえられぬまま死ん
でいく。


信頼した仲間を捨てて裏切って、その十字架を愛する者に背負わせて、子供が作れないこと
を嘆いて、体を重ねたがって、つまらない独占欲の為に愛する者を死なせた…間違い(バグ)
だらけの狂ったプログラムには…相応の報い…罰、だな…。
















ああ…でも…









アイツを愛したことが間違いだなんて…認めたくない…





THE END





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