「…タケ」

吉武は自分を呼ぶ声に気が付いた。

「…ヨシタケ」

一つではない。何人もいるようだ。声に応えようと、吉武は目を開く。

「お兄ちゃん!」

目の前にいたのは一人の少女だった。吉武よりも幼く、吉武は彼女を自分に似ていると感じ
た。そしてすぐ何故似ているか理解した。彼女は自分の妹、吉子だからだと。

「吉子、ここは…?」

吉武は自分が病院のベッドの上にいる事に気づき、身を起こす。周りには妹の他に人の良さ
そうな顔をした中年の男性、優しげな顔をした太った女性、それと眼鏡をかけた理知的な顔の
老婆がいる。吉武の父と母と祖母だ。皆心配そうな顔をしている。

「お父さん、お母さん、おばあちゃん…僕は…?」

吉武ははっきりとしない意識のまま聞いた。

「覚えてないのかい?今朝公園で倒れている所を発見されたんだよ?」

吉武は祖母の言葉に違和感を覚える。吉武は早朝に公園に行った記憶はあるが、それは一
ヶ月ほど前の記憶だった。

「気絶しているだけで命には別状がなかったらよかったけど…。地面がえぐれていて、他にも大
きな生き物の足跡があったのよ。吉武、一体何があったの?」

吉武の母親は心配そうに言う。吉武はようやく自分が一ヶ月ぶりに家族に再会した事を理解
し、胸の奥から熱いもの込み上げ、涙が溢れそうになる。

「ところで吉武、このリュックは何だ?」

吉武が父が不思議そうに尋ねる。彼の手にはツギハギだらけのリュックが摘み上げられてい
た。所々泥がついて酷く汚れており、ツギハギが破れかかっている所もあった。それを見た瞬
間、吉武の意識ははっきりと覚醒した。溢れ出そうだった涙も止まる。

「!!」

吉武は父親の手からリュックを引っ手繰り、凝視する。リュックが、ツギハギが、泥の汚れが、
破れかかった部分の一つ一つが、それら全てがデジタルワールドの一ヶ月間の旅を、戦いを、
出会いを吉武に一瞬で思い出させた。

「お兄ちゃん、アグモンは…?」

吉子の何気ない一言。それが場の空気を凍らせた。

「アグモンは…ガイオウモンは…」

吉武は思い出していた。デジタルワールドの時間の流れは人間の世界と比べ、はるかに早い
と言う事を。この世界で日が沈んで昇った時、デジタルワールドでは既に数百年の時が流れて
いるかもしれないと言う事を。

そして吉武は理解していた。仮にもう一度デジタルワールドに行けたとしても、自分が出会った
デジモン達は全てこの世にいないのだと。

そして以前父が言っていた言葉…。

『アグモンとの別れはいつ来てもおかしくない』

それが現実になったと言う事を。

リュックの上に、塩辛い染みが出来た。その数は次々と増えていった。ポツン、ポツンと…。


最終章 美しいもの〜THE RED―HEART〜


「でやぁぁぁぁ…!」

ガイオウモンは眼前にいるロードナイトモンに刀を振り下ろす。だがロードナイトモンは緩やか
な優雅な動きでそれをかわし、手刀を振るう。手刀の振りに合わせ薔薇が舞い、ガイオウモン
の腕を打ち据える。その腕は堅硬な鉄(くろがね)の手甲に包まれていたがたやすくヒビが入
り、その衝撃が皮膚を、筋肉を貫き骨の髄まで伝わる。

「…!」

あまりの激痛に刀を落とし、のた打ち回りたくなるような痛みがガイオウモンの腕を駆け巡る。
ガイオウモンはそれを必死で耐え、体勢を立て直して再びロードナイトモンに向かい合う。

「ハッ!」

ガイオウモンは二本の刀を振り回し乱撃を放つ。一見して闇雲に振り回しているように見え
が、その一閃一閃は全て確実に相手を捕らえるべく計算された、渾身の一撃だった。

「…正に暗闇を切り裂く燐火の乱撃、と言うべきだな。美しい!」

ロードナイトモンはガイオウモンの剣技を褒め称える。だが賛辞の言葉を述べながらも、ゆる
やかな動きで全ての斬激をかいくぐる。一挙一動ごとに薔薇の花弁が舞い、その光景がガイ
オウモンを苛立たせ、そのせいで最後の一撃に大きな隙が生まれた。

「フッ…」

ロードナイトモンは最後の一撃を高く飛んでかわす。

「最後の一撃…アレは美しくなかった!!」

ロードナイトモンは胸から伸びるリボン状の金属の帯を右手に握る。握った部分から先が垂直
に立つ。それこそが聖『騎士』型デジモンであるロードナイトモンの『剣』だった。それをガイオウ
モンに振り下ろす。

「クソッ!」

ガイオウモンは左手に握った刀、『菊鱗』の片方を振り上げる。しかし菊鱗よりもはるかに薄い
はずのロードナイトモンの剣は、菊鱗をいとも簡単に、まるですりぬけるかのように切断し、そ
の切っ先がガイオウモンの頭上に迫った。

「!?」

ガイオウモンは紙一重で切っ先をかわすが、ロードナイトモンの剣は角の片方と左肩の鎧を切
断して肩口に深く食い込んだ。

「今だ!」

ガイオウモンはロードナイトモンが超至近距離にいる今こそが好機とばかりに、右手の刀を振
るう。しかしロードナイトモンの鎧に傷一つけられず、それどころか刃が欠けてしまった。

「この鎧は電子生体金属…クロンデジゾイドを高圧化で結晶化させた物。そしてこの流れる水
のごとき美しい流線型のラインが…」

「ガイアリアクターッ!」

ロードナイトモンが鎧の解説をしている間にガイオウモンは素早く離れ、菊鱗を柄の部分で連
結させて光の矢を放つ。しかしロードナイトモンの鎧に光の矢は弾かれる。やはり傷一つ付い
ていない。

「いかなる攻撃も跳ね返す。と言う事だ」

ロードナイトモンは足を揃え、優雅な佇まいで直立。一見隙だらけに見える。だがガイオウモン
は自分が飛び込めばまた斬撃はかわされ、カウンターが入れられると本能的に分かった。し
かし焦燥に駆られたガイオウモンは刀を振り上げて突撃してしまう。

「見苦しいぞ。焦燥に駆られた無謀な攻撃ほど醜いものはない」

ガイオウモンのイメージ通り、ロードナイトモンは斬撃を優雅にかわし、一挙一動ごとに薔薇の
花弁が舞った。それがさらにガイオウモンの焦燥をあおり、続けて二撃、三撃目を撃たせる。

「…オメガモンを知っているか?この時代でも多くの伝説、伝承に名を残している、ロイヤルナ
イツの中でも最も有名なデジモンだ」

ロードナイトモンはガイオウモンの斬撃をかわしながら語りだした。

「我が主君、イグドラシル様は過去に存在した『オメガモン』という種族の固体全ての記録デー
タを元に自らを守護するオメガモンを作り出した。その力はある伝承にあった『終焉の騎士』と
いう異名そのもの、いやそれ以上の力をもたせてな」

ロードナイトモンが余裕で語りだしたのがさらに焦燥をかきたてたのか、ガイオウモンの斬撃が
より一層、乱れたものになった。

「右手の砲、ガルルキャノンは町一つをいとも簡単に吹き飛ばし、尚且つ連射が可能。その砲
撃すら弾く聖剣、グレイソードを左手に持つ。私は町一つ吹き飛ばすような飛び道具も持たな
い上、我が美しき金の帯の剣がグレイソードに勝っている部分と言えば、美しさ以外にはない。
だが…」

ロードナイトモンの鎧についた四本の金属の帯が、避け際にガイオウモンの四肢を鎧ごと切り
裂く。おびただしい血が流れるが、ガイオウモンは攻撃の手を緩めなかった。

「私はオメガモンに戦闘能力で劣っているとは思わない。無論、美しさでもな。なぜならば我が
美しき鎧と盾があれば、ガルルキャノンの砲撃にも十分耐えうる事が出来る」

ガイオウモンはロードナイトモンが攻撃を回避し自分から一瞬離れた瞬間、素早く後ろに跳び
退き、大きく距離を取った。そして菊鱗の柄をあわせ、構える。

「ガイア…」

光の矢をつがえ、引き絞る。先ほどの一撃はチャージ時間の短い、半分のパワーで撃った一
撃だった。(それでも並のデジモンなら一撃だが)今度は十二分に距離をとり、ギリギリまでチ
ャージして撃ったならば結果も変ってくるだろうとガイオウモンは考えた。

「それと…」

矢をつがえ、引き絞る。その刹那の間に、ロードナイトモンのツルンとした兜に覆われた顔が
眼前に迫っていた。

「この速く優雅な身のこなし。ガルルキャノンの砲撃も、グレイソードの剣技も私は紙一重でか
わす事が出来る」

ロードナイトモンの帯の剣がガイオウモンの腹部を貫き、切っ先が背中の鎧を貫いて顔を出し
た。

「中々美しい剣技だったが、途中からは見るに耐えない無様な物になってしまった。美しいもの
が醜くなっていく様を見るのは心苦しいのでね。デジコアを貫かせてもらった」

「誰のデジコアをどうしたって…?」

ガイオウモンの目の光は消えてなかった。ロードナイトモンは表にこそ出さなかったものの、確
かに驚愕していた。その隙を狙い、ガイオウモンは身を捩って傷口が広がるのも構わず剣を
引き抜き、左手の折れた刀をロードナイトモンに顔面に投げつける。刀は兜に包まれた頭部に
弾かれ床に落ちた。だがロードナイトモンが刀が床に落ちた音を知覚した瞬間、ガイオウモン
の姿は視界から消えていた。

「上か!」

ガイオウモンはロードナイトモンの頭上にいた。逆手に持った刀の切っ先を首筋の、鎧の隙間
に突きたてようとしている。瞬間、ロードナイトモンは左手に持った盾を振り上げ刀を防いだ。こ
の戦いの中で、ロードナイトモンが初めて盾を使った瞬間だった。甲高い金属音が鳴り響き、
刀が、『菊鱗』が折れる。ガイオウモンはすぐさまバック宙で距離をとって着地する。

虚を突いても、瀕死の重傷を負ってもロードナイトモンに傷一つ付けられなかった。ロードナイト
モンの攻撃力、防御力、スピード、そしてイグドラシルが過去に存在した同種の固体の記録デ
ータから生み出した戦闘テクニックは全てガイオウモンを圧倒的に上回っていた。

(あの瞬間に素早く急所をずらした、か。そしてこの私に盾を使わせた…)

ガイオウモンは焦燥に駆られながらもロードナイトモンの一挙一動を、手足の運びを僅かだが
見極めていった。それが先ほどの反撃に繋がったのだろう。

「先程の無様な斬撃は無駄ではなかった、と言う事か」

「次は必ず…ダメージを与えてやる…!」

ガイオウモンは折れた刀を両手で構え、相手を睨む。

「悪いが極小であろうともダメージを受けるつもりはない。君達には感謝しているがね。既に一
度は任務に失敗している身である私にチャンスをくれたのだから。あの人間を元の世界に帰し
たのはバルバモンを倒した君達に対する賞賛と、礼の代わりだと思ってくれたまえ」

だが、二度と仕損じるわけにはいかない。という意思表示のように、ロードナイトモンは初めて
迎撃体制をとった。

(…またこのパターンか。X抗体を持つデジモンを私が追い詰める。そしてそのデジモンは追い
詰められながらも目覚しい成長を見せる。私は少しずつ、本気を出していく…そして)

最後は力尽きて倒れ、ロードナイトモンの勝利となる。過去、何匹ものデジモンをロードナイトモ
ンは粛清してきたが、その中には今のガイオウモンのように戦闘中に急速に成長をとげ、ロー
ドナイトモンの予想外の踏ん張りを見せた者達が何匹もいた。ただし、それらはロードナイトモ
ンとの圧倒的な力の差を埋めるまでには至らず、最後には皆例外なく敗れて死んでいった。彼
らの姿はロードナイトモンの心に深く刻まれていた。

(美しい…?私は奴等の事を美しいと認めつつあるのか!?)

美しいか否か。ロードナイトモンの価値観を突き詰めるとその言葉に集約される。彼がマメティ
ラモンだった頃のガイオウモンに興味を持ち、すぐには始末せずにしばらくは協力していたの
も心の奥底でガイオウモンの生き方を美しいと思ったからだろう。自分でも気づかないほど心
の奥底で。

「一つ聞こう。君はあの少年の元へ帰ると言った。だが、デジモンの帰るべき場所は
デジタルワールドだとは思わないのかね?」

「思わない!俺の居場所は自分で決める!例え神だろうが、どんなに強い奴だろうが、世界の
ルールだろうが…そいつらの決めた運命になんか従わない!そいつらが力が従わせようとす
るなら…俺はそいつらと戦う!」

「最後まで運命を他者にゆだねはしないと言う事か…」

その心を色に例えるなら赤。それもルビーよりも深く、炎よりも熱い真紅。そうロードナイトモン
は思った。

ロードナイトモンは足元に転がっている折れた菊鱗をガイオウモンに向かってほうり投げた。菊
鱗はガイオウモンの足元に転がり、ガイオウモンはその行動の真意がわからずキョトンとす
る。

「美しい。だが!」

ロードナイトモンは構えを変える。盾を持った左手を大きく引き、深く腰を落としたその構えは彼
の『必殺技』を放つ為の構えだった。

「この盾の名は『パイルバンカー』。杭を打ち出す同名の兵器と同じく、私の美しき力を杭の様
に打ち出す機能が備わっている。その一撃に私のスピード、パワー、盾の硬度を上乗せした我
が究極の技『アージェントフィアー』。直撃を受ければオメガモン…いや、他のロイヤルナイツで
すら無事ではすまないだろう」

ロードナイトモンはそこで一呼吸おき、より強い声色で続きを言った。

「今からこれを全力で君に放つ。外してやるつもりも、手加減するつもりもない」

ロードナイトモンは自分が倒すように命じられたデジモン達を美しいと感じた事は何度もあっ
た。だが彼が主君から受けた命と自らが美しいと感じた標的を天秤にかけた時、それが主君
から受けた命の方に傾かない事は無かった。だが今のガイオウモンとの戦いで、いや、彼の
予想を上回る強さを見せたデジモン達との戦いがその天秤を揺さぶっていた。

ロードナイトモンは今、見極めようとしていた。デジモン達がイグドラシルすらも超える価値のあ
る、美しいものなのかを。

ガイオウモンはロードナイトモンの真意はわからなかった。だが、今アージェントフィアーを破る
には全身全霊でぶつかる事だけが唯一の手段だと言う事は理解していた。折れた二本の菊鱗
を重ね合わせる。二本は交じり合って、一本の折れる前の『菊鱗』になった。ガイオウモンはそ
れを上段に構える。

対峙する二人を、物言わぬイグドラシルが見守っていた。

「アージェント…」

「燐火…」

ロードナイトモンがパイルバンカーを突き出して突進する。ガイオウモンの握る菊鱗が青白い
炎を纏う。

「フィアー!」

「斬!」

盾と刀が、地上にまで届くのではないかと思うほどの大きな甲高い音をたててぶつかりあった。
盾、パイルバンカーの先端から赤い薔薇の色の波動が放たれ、刀、菊鱗を折ってガイオウモ
ンを貫く。

「終ったか…跡形も無くならなかっただけでも奇跡か…」

ロードナイトモンは呟く。その声にはどこか寂しげなものがあった。

「ォォォ…」

「!」

ロードナイトモンの耳にか細い、聞き逃してしまいそうな程小さな唸りが聞こえた。

「馬鹿な!?」

「オォォォ…!」

ロードナイトモンは驚愕した。折れた菊鱗の切っ先が盾に食い込んでいるのだ。ロードナイトモ
ンの鎧をはるかに超える硬度の盾に。

「ウォオォオォオオォォォォォォッ!」

ガイオウモンの鎧の砕けた部分から赤い光が漏れ出す。X抗体の光だ。菊鱗は紅蓮の炎に包
まれ、盾に深く深く食い込んで行く。

「これが…奇跡…いや、君は自分が一人でないと言っていたな…」

力の源は、ガイオウモンが今までに出会った人々全て。この世界を、出会ったデジモン達を失
いたくない。必ず、吉武の所に帰る。その思いが。

「私は今…君が出会ったデジモン達全てを…あの少年を相手にしているわけか…」

ロードナイトモンは今、少しでも力を抜けば吹き飛ばされそうな衝撃に耐えていた。そして菊鱗
の切っ先から伝わる熱は、ロードナイトモンの全身を駆け巡っていた。

「だが…負けるかぁぁぁぁぁっ!」

ロードナイトモンは盾から薔薇の花弁型のエネルギーを放出する。ガイオウモンの身体はその
エネルギーに貫かれるが、菊鱗の炎は、ガイオウモンの力は弱まるどころかますます勢いを増
していった。

強大なエネルギーのぶつかり合いはまぶしい光の奔流を生み出し、空間を、イグドラシルを、
二人を飲み込んでいった。

「美しい…美しいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」

光の中で鍔迫り合いが続く中、ロードナイトモンの恍惚とした叫びが響き渡った。















あれから、数日がたった。

お父さん、お母さん、おばあちゃん、吉子は多くを聞かないでくれた。

そのせいで僕は倒れた時の事を覚えていないと言う事になり、身体にとくに異常もないので
二、三日後にはいつもどおり学校へ行くことになった。公園は警察の人達が調べているけど、
何も分からずにその内事件はうやむやになるんだろうな。

学校へでは毎日みんなから質問攻めになってるけど、僕は答える気はないし、デジモンの事を
言っても信じてくれないだろう。

学校にいっている間はデジタルワールドの日々がまるで嘘のように思えて、時々あれは夢だっ
たんじゃないのかなって思う。でも家に帰って、自分の部屋に入ればあのリュックがある。中に
デジタルワールドの薬草や、結局ケンタルモンさんに返せなかった地図や通貨とかがいっぱい
入ったリュックが。

しばらくは悲しくて、涙がいっぱい出て、眠れない夜が続いた。

デジタルワールドの容量の限界が近づいて、容量限界を超えたときデジタルハザードが起こっ
てこの世界もデジタルワールドも滅びるってバルバモンは言っていたけど、今の所世界が滅び
る様子は無い。僕はケンタルモンさん達、もしくはあの人達からデジタルハザードの危機を知っ
たデジモン達が協力して、デジタルワールドの容量問題を解決したからだと信じている。

そして…いつかガイオウモンが僕の家に帰ってきてくれる事も。


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