おもちゃばこのせかい。天を仰いで目に入ったその言葉を、僕は思わず口にしてしまった。お馬鹿みたいに見上げた顔を下ろしてみると、目の前に広がるのはどこまでも続く真っ黒い黒、黒、黒。こげ茶も少々。ゴロゴロ転がっている冷え固まった溶岩で埋め尽くされた殺風景な情景。昼か夜かも分からない、白夜の空にでかでかと描かれた“おもちゃばこのせかい”と言う愉快な響きの文字列とは似ても似つかない印象だ。それとも、見かけ以上のものがこの“おもちゃばこ”とやらには隠されているのだろうか。さして期待しているわけでもないが、それでも何があるか確かめてみようかと思い、僕はこの“おもちゃばこのせかい”へと足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

ごつごつした溶岩の塊で覆われたこの大地は、案外起伏が激しい。その上僕の身の丈ほどの塊がそこら中に転がっているので、それを乗り越えていくのも一苦労。幸いにして、固まってない溶岩…高熱のマグマが流れているような場所はまったく無いようだ。えっちらおっちら歩いていると、急に足元の地面がグニャリと歪んだ。ヌルッとした感触もする。驚いて踏み出した足を慌ててのけて足元を見てみると、赤黒い体色をした巨大なイモリかヤモリ(どっちが両生類だったっけ?)のようなデジモンが体を横たえていた。僕はデジモンのことには詳しいつもりだったけど、そいつの事を思い出すのにはちょっと時間がかかった。サラマンダモン。常に炎を纏い火を食べ火炎を操る両生類型デジモン。それが鎮火した状態で気だるげに溶岩の隙間でごろ寝していた。

 

なんだか妙な違和感のする姿だった。火を纏っていないのもそうだけど、まるで生気というものが感じられない。死体、いや僕の知る限りではデジモンは死ぬと体が粒子となって消滅するから良く出来た人形かと思ったけれど、喉が僅かに動いているから呼吸はしているようだ。踏みつけた時は身をよじって反応した。本当に寝ているだけの状態…なのかな?

 

僕は惰眠を貪っていると思しきサラマンダモンを起こしてこの世界の事を聞こうと試みたけど失敗に終わった。最終的には殴る蹴るなどして結構荒っぽい行動も取ったけど先程と同じように僅かに身を捩らせるだけで結局起こすことは出来なかった。

 

ふとこの溶岩地帯の隅々にまで目を凝らしてみると、あちこちにこのサラマンダモンのお仲間がいることに気づく。大の字になって寝転がっている消し炭みたいな塊は多分メラモン。溶岩にもたれかかって体育座りしている黒ずんだ物体はおそらくフレアリザモン。皆、一様にさっきのサラマンダモンと同じような状態だ。生きてはいるが生気のない様子で、その場に佇んでただまどろんでいるように見える。彼らも僕に応対はしてくれないだろうと思い、僕は放って置いて先を急いだ。

 

普段は燃え上がっているデジモン達が鎮火している姿がたくさん見られる世界というのはある意味面白いかもしれないが、やはり“おもちゃばこ”という言葉の印象からはだいぶ遠いような…。そんな事を考えながら先に進んでいると、溶岩の荒野にも終わりが見えてきた。溶岩の転がる黒い大地が途中で途切れ、そこからはひたすら平坦な白い大地が続いている。白と黒の境に遠くからでも読めるほどでっかい文字が浮かんでいた。ムゲンホール。僕はまたもや、そのパチンコ屋のような名前をおもわず声に出して読み上げてしまった。

 

 

 

 

 

 

足を進めて白い大地に足を踏み入れる。平坦も平坦で、この白い岩の地面は機械で整地したかのように僅かな凸凹一つ無く真っ平らのペタンコだ。浮かんでいた文字はホログラフィのようなもので、手を伸ばすとすり抜けた。白い大地の側から振り返って文字を裏側から見てみると、驚くことにまったく別の文字が見えた。メルトダウンランドと。おそらく、あの溶岩地帯の名前なのだろう。マグマの川が縦横無尽に流れ、火炎を纏った熱いデジモンが闊歩する…そんな光景を連想させる。おそらくそれは過去の姿なのだろうけど。この分じゃこの白いエリアにはパチンコ屋も、底なしの巨大な穴などどこにもないのだろうなと僕は少し落胆する。

 

 

 

結論から先にいうと、エリアの境が見えなくなるほど歩いてから更に歩いた辺りの場所に穴はあった。僕の足首ほどの深さの穴が。穴のそばには子供用の小さなスコップが落ちている。これでムゲンホールとやらを掘るつもりだったのだろうか?

 

ついでに穴の近くに機械の部品らしきものが大量にちらばっているのを発見した。正しくはこの機械を見に行ったら穴とスコップを発見したのだが。機械の部品の中に、機械部品が纏わりついたデジコアが転がっていた。どうやらこれらの部品はマシーン・サイボーグ型デジモンの部品らしい。デジコアのサイズは僕の身長並みの大きさで、散らばっている部品の量から察するにこのコアの持ち主は巨大な究極体デジモンだろう。パーツは完成形の推測が困難なほどバラバラになっており、コアについている部品も僅かなものなのでその種族は特定できない。ムゲンドラモン、カオスドラモン、ライデンモン…あるいは僕のまだ知らないデジモンなのかもしれない。

 

マシーン・サイボーグ型デジモンがこの場で破壊されてしまったのかと最初は思っていたけど、よくよく見るとそれにしてはこの部品達は小奇麗だった。バラバラに分解しているが破損した箇所も見当たらない。どうやらこの部品郡は破壊された結果というよりも、組み立て途中で放置されてしまった、と考えるほうが妥当なようだ。ひとしきり考えてある程度の納得を得た僕は、この平坦で退屈なムゲンホールを抜けるべく歩き出した。

 

 

 

 

 

 

穴の周辺まで歩いた道のりと同じくらいの時間歩き続けて、ようやく地面の色は白から緑に変わった。鮮やかに茂った木々が、白か黒の二択ばかりだった僕の目を喜ばせる。白と緑の境目に浮かぶ文字は“迷いの森”。セオリーから言って、丁寧な道案内の看板がそこらかしこに置いてあるのだろうと僕は予想する。

 

その予想は半分はあたりだった。白い大地を抜けて森の小道を進んでいくと2、3回ばかり分かれ道に遭遇したが、分かれ道には必ず矢印がプカプカと浮かんでいた。僕はそれが行き止まりや危険な場所に誘っている可能性を微塵も考えずに矢印に従って先へ進んでみたけど、森は直ぐに途切れてしまった。小道を抜けた先にあるのは土がむき出しになった荒野。草木の気配は…見えないこともない。点々と木が植えてあるのが見える。これは…“植林”するのを途中で放り出してしまったということだろうか?

 

この世界は本当に僕の予想を裏切ってくれる。ただし必ず落胆という形で。いい加減こんな世界に付き合っているのも馬鹿らしくなってきたので、あと一つエリアを見たら僕はこの世界を後にしようと決意した。地平線の端にはエリア名を示す文字がいくつか浮かんでいるがどこの様子もこの“森”と大差ないだろう。周りを見回すと“終わりの街”という仰々しい字面が目に入る。ちょうどそのエリアがここから一番近かったので、どうせ名前負けしたつまらない街なのだろうと思いながら僕はそこへ足をすすめた。

 

 

 

 

 

 

終わりの街。少し意外な事に、見た目だけは取り繕ってあった。石作りの建築物が立ち並ぶ暗い暗色系の町並みに、彼岸花や十字架・棺など“死”、命の終着点を連想させるオブジェクトが洋の東西を問わずに散りばめられている。だがそれだけだった。死者の都の住人たるゴースト型・アンデット型デジモン達はあの火炎デジモン達同様、覇気のない様子で道端や室内に転がるばかりだった。勝手に家に上がりこんで目の前でタンスの中を物色しても何も反応を示さない。本物の死体と大差ないその姿はある意味この街の名に相応しいものなのかもしれないが…。

 

街の奥にあった人骨の山、その上に構えられた古城の住人達も同様だった。その体色が黒く染まった姿を見たものは命がないとまで言われる魔王型デジモン・デスモン。確かに真っ黒くなっていた姿を僕は見た。ソファーの上で横になり、巨大な一つ目で天井を見つめながらボーっとしているのを。

 

あらゆる災厄を振りまき世界を滅びに導くという正体不明デジモン・ディアボロモン。こいつは床に座り込んで、虚ろな目で長い手の爪先で床の模様をなぞってばかりだった。やることが何もないという気持ちを全身で表している。

 

城の最上階に鎮座していた、おそらくこの城の主であろうアンデットの王・グランドラクモン。そう、鎮座していた。白夜の空に向かって伸びた、途中で途切れた階段の最上段で。天井はない。おそらくこの上に真の最上階が作られるはずだったのだろうが、建設途中で放り出されたのだろう。主たる魔獣はこの体たらくを嘆いているのかどうかは知らないが、獣の四肢は力なくへたり込んでおり、悪魔の上半身は頼りなさげに項垂れている。当然、彼を始めこの最上階にたどり着くまでに目撃したそうそうたる顔ぶれの暗黒デジモン達は、僕に何の反応も示さなかった。

 

 

 

 

 

この世界はどこまでも期待はずれで、虚しさと苛立ちしかここにはない。僕はそうつぶやいてこの世界を後にしようとした。

 

「ねぇ、どこへ行くの?」

 

不意に、誰かの問いかける声が聞こえた。思わず辺りを見回してみたが、あのグランドラクモン以外誰も見当たらない。あいかわらず項垂れているこの城の主を見る限り、問いかけたのは彼ではないようだが…?

 

「俺を置いてどこへ行くつもりなんだよ、おい」

 

再び聞こえた声に、“何者だ、姿を見せろ”と僕は定型句を返した。

 

「それは無理です。私には姿がありませんから」

 

姿がない?どういう意味だ?それに口調や一人称も一致していない。話しかけてきた奴は一人じゃないのか?

 

「それではのう…貴様の一人称はなんなのじゃ?」

 

俺の一人称…?そんなの私に決まって…あれ?

 

「ねぇ、君は何歳なの?」

 

お、オイラは中学3年生の会社員で去年の春から老人ホームに住んでいて…

 

「貴公はジェントルメンかな?それともレディかな?」

 

アタシは男の子…ううん、おにゃのこ?でもおちんちん付いてたような…出産経験もあったし…

 

「あなたはどんな姿をしているのかしら?文章で説明できる?」

 

僕は自分の姿を頭にイメージして、口に出そうとしたが出来なかった。頭に何も思い浮かばない。イメージが固まらない。イメージよりもはっきりとしたものを、自分の姿を直接見て確認しよう。それを見れば一人称も、口調も、年齢も性別も自分自身全てを思い出せるはずだ。ちょうど近くの壁に大鏡がかかっていたので、僕はその前に飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――何も映っていない

 

 

 

 

「ねぇ、どこへ行くの?この“おもちゃばこのせかい”から」

 

 

おもちゃばこのせかい。“おもちゃ”じゃなくて“おもちゃばこ”。玩具箱は玩具をしまっておく物?仕舞われているから出られない?

 

 

「この世界はおもちゃばこ。きっと開けられることのないおもちゃばこ」

 

 

何故開かれないかって?そんなの分かりきっている。

 

 

「開かれることがないから止まったまま。世界もその中の人も止まったまま」

 

 

火が消えてしまったんじゃなくて、点火されることすらなかった世界。

 

 

「掘り下げられないままの世界」

 

 

木の生えてこない世界。

 

 

「積み上げられることのない世界」

 

 

だからここに住んでいるデジモン達はあんなに無気力だった?

 

 

「彼らはまだ幸せかもしれない。自分がどのデジモンだったか覚えてる。でも、自分がどんなデジモンだったか覚えてない」

 

 

僕と同じ。まだ決められていなかったんだから、無いはずの物を思い出せるはずがない。

 

 

「そして僕は何から何までこの世界と同じ。何もかもが決まっていない」

 

 

男なのか。

 

 

「女なのか」

 

 

大人なのか。

 

 

「子供なのか」

 

 

好きな食べ物は?好きな色は?好きな場所は?

 

 

「嫌いな生き物は?嫌いな顔は?嫌いな人は?」

 

 

どんな人間だったのか、まるで定まってなかった。その姿さえも。

 

 

「僕らは一人?」「私達は3人?」「俺達は4人?」「我々は6人?」「わしらは8人?」

 

 

そして、僕が何人だったのかも定まってない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここは“おもちゃばこのせかい”

 

 

 

 

 

 

 

××××たおもちゃが仕舞われる世界

 

 

 

 

 

 

 

 

再び開かれるかは、子供達の気分しだい…

 

 

 

 

 

 

END?

 

 

 

 

 

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