「あのデジモンが、『シールダーズ』の一員…ダルクモンさんの仲間?」

ダルクモンの言葉を反芻しながら、緋色は粉塵の中に立つ巨大亀の姿を見上げた。岩石のスパイクを全て打ちつくした背中の甲羅は六角形のパターンの刻まれた普通の亀のようになっていたが、四つんばいでも二階建ての建物に届くその巨体は未だに威容を十二分に保っていた。天使とも形容できる姿のダルクモンと違い、先程まで我が物顔で暴れまわっていたダークティラノモンに負けず劣らず怪物然とした姿をしている「トータモン」の姿に緋色はたじろいでいた。彼同様、巨大な亀の姿をした有名怪獣は(緋色はあまりそのシリーズの映画を見た事はないが)人類の味方であったと記憶している。だが、駐車場に無数の深い足跡をつけ、大通りには巨大なクレーターを作りおまけに巨大な岩塊をばら撒き、辺りの被害を無視するかのような暴れっぷりをまざまざと見せ付けられてしまってはダークティラノモンと大差ない存在にしか見えなかった。巨体ゆえ、戦えば意識せずとも辺りに被害がでるのは仕方がない事なのかもしれないが。

しかし彼の行動を検討するまでもなく、トータモンの首に巻かれたベルトにはカラーリングこそ違うもののダルクモンが持っていたものと同じ、彼女がシールダーズ隊員の証と言っていた電子機械、D・バックラーが付いていた。彼は紛れもなく、この世界に出現した凶悪なデジモンから人間達を守る為に戦う防衛組織『シールダーズ』の一員なのだ。

「さてと…近くにもう一体、ピッドモンのデジモン反応があったはずだが…」

それを裏付けるかのように、トータモンは自分の職務を全うすることを考えている事がわかるような発言をし、あたりを見回す。すると彼の首に付けられたD・バックラーから小さな金属片が射出されて彼の顔の左側面で静止し、液晶画面から放たれた光を反射して彼の顔の前にホログラフィーのスクリーンを映し出した。

「微弱だがデジモン反応あり…種族特定不能?場所は…すぐ近くじゃねぇか!?」

少し驚きながらトータモンが視線を向けた先には、緋色がいた。巨大なトータモンと視線が合い、明らかに敵意が秘められた巨大な眼に射すくめられて緋色は思わずうめき声を上げて尻餅をついた。その拍子に今までの騒乱で取れかかっていた帽子がポトリと落ちて頭から生えた羽が露になった。

「人間に化けて逃げようとしていたのか?生憎だがレーダーはこっちに来ればまともに機能してくれるんだ。もう何処にも逃げ場はねぇぞ?」

頭の羽を見て自分が人間じゃないと確信したのか、首を伸ばしますます敵意をこめてトータモンは睨む。鼻先にふれられそうなほど至近距離まで迫ったトータモンの顔が恐ろしくて、緋色は言葉が出せず腰を抜かしてガタガタと震えるばかりだった。

“緋色!D・バックラーだ!私のD・バックラーを見せろ!”

弁明の言葉を必死に検索していた緋色の頭の中に、ダルクモンの言葉が響いた。すぐさまお気に入りのウェストポーチの中に一応入れておいたダルクモンのD・バックラーを震える手で取り出し、トータモンの鼻先に突きつける。すると途端に彼の目の色が変わった。

「なっ、それは…!?てめぇ、ダルクモンに何をした!?」

先程以上に、嘴の先が緋色に当たるほど、というか実際ぶつかって突き飛ばされたのだが兎に角トータモンは先程以上に顔を近づける。そして凄みを利かせた表情で質問、いや尋問した。D・バックラーが戦闘で壊れていた為、恐らく、いやほぼ確実に、人間に化けたデジモンがダルクモンから奪ったのだと勘違いしているのだろう。

「そ、それは…夜中にデジモンにおそわれて…」

胸を小突かれて咳き込みながら、緋色はガタガタと歯の根が合わない口で今までの経緯を話した。その間終始トータモンは猜疑心に満ちた目をしており、緋色は相手に信じてもらえないのではないか、話が終わったとたんに踏み潰されるのではないかと気が気でなかった。ダルクモン本人が話せればよいのだが、彼女の精神は緋色の中で生きているものの肉体のコントロール権は完全に緋色であるようで、彼女が表に出る事は物理的に不可能であった。

「それで、僕とダルクモンさんは肉体を共有している状態らしいんだ…」

「そんな話が信じられるかぁ!!」

話し終えた途端、間髪いれずにトータモンが叫び、その大音量にまた緋色はひっくり返ってしまった。不安が的中し、途方にくれた緋色は頭の中でダルクモンに助けを求めたが、信じてもらえる手段が思い浮かばないのは彼女も同様のようで、沈黙しか返ってこなかった。

「もういい…踏み潰して…」

「まて、トータモン!」

痺れを切らしたトータモンが足を振り上げたその瞬間に、突如新たな人物の声が響いた。落ち着いてはいるが、声量のある、存在感と威厳に満ちた男性の声で、トータモンの動きどころか緋色の震えまで止まってしまう。

「先程から彼の解析を続けているが、デジタルパルスがどの種のデジモンにも一致しない。代わりに微弱だが、彼のデジタルパルスに混ざってダルクモンの固有パルスが発せられている。どうやら信じてみる価値はありそうだ」

「確かなのかよ?デジタルワールド側からリアルワールドの物質を解析しようとしても、遠すぎてロクな結果がでなかったじゃねぇか」

「D・バックラーを経由させればクリアな環境で人間界のデータを受信できるって言っただろ?君が目いっぱい顔を近づけてくれたおかげだよ」

訝しげに聞いたトータモンの声に対して、今度は彼を少し小馬鹿にしたような調子の若い男性の声が聞こえてきた。その声に対してチッ、とトータモンは舌打ちする。

「名前を聞いてもよいかな?」

再び聞こえた最初の男性の言葉が、自分に向けられているものだと気づくまで緋色は少し時間が掛かった。

「い、泉戸緋色です…」

「緋色君か。突然色々なことが起こって混乱しているだろう?」

「は、はい…」

男性は事務的なダルクモンや、敵意丸出しのトータモンとはうって変わって友好的な様子で緋色に話しかける。人当たりの良い、子供好きな教師を相手にしているようで困惑しつつも緋色は自然と緊張を緩める。

「すまないがこちらに…デジタルワールドに来てもらえないか?こちらとしてもダルクモンの安否を詳しく確認したいんだ」

“私からも頼めるか?仲間達により詳しく事情を説明したい”

緋色にとって断る理由はなかったので快く頷いた。どうすればダルクモンと分離できるのか調べてもらう必要があるからだ。それにトータモンやダークティラノモンのようなものも含むデジモン達が闊歩する世界に行くという不安はあったが、それに勝る、未知の世界を見てみたいという気持ちもあった。

「それでは、緋色君を我々「シールダーズ」の本部へ案内しよう。トータモン、彼をつれてアップロードポータルに入ってくれ。すでに設定は二人分のデータに合わせて変更してある」

「了解…」

男性が緋色を招待すると言ったときから不満げな顔をしていたトータモンは、やはり不服そうな表情をし、緋色の襟首を嘴で咥えてぶら下げると180度方向転換する。その方向には赤、青、緑他の様々な色に変化しながら輝く、巨大な魔方陣のようなものが浮んでいた。よく見ると魔方陣の模様は電子回路の基板や、ケーブルの接続部を思わせるデザインであった。

「ちぃとばかし揺れるぜ。まあ落ちても問題なく運ばれるがな」

咥えたままそんな言葉を漏らしながら、トータモンはその魔方陣の中に頭から飛び込んだ。魔方陣の先は同様に七色に変化する光のパイプラインの中であった。トータモンの体は曲がりくねったパイプラインの中に浮き、ジェットコースターのようなスピードで移動している。4、50秒ほど曲がりくねったパイプラインの中で揺られ緋色の気分が悪くなってきた頃、突然酔いを吹き飛ばすような光景が目の前に広がった。薄く透けて見えるパイプラインの内壁の向こう側は暗闇の空間に原色の記号や数式が無造作にかつ隙間なくちりばめられた奇妙な空間であったが、それが突然開けて雲ひとつない青空が広がった。そして眼下には青々とした背丈の高い木の連なる大森林と、群青色の大海原が広がっていた。いつの間にか曲がりくねったパイプラインもまっすぐと下へ向って降りるコースになっている

緋色がテレビや図鑑でしか見たことのない雄大な自然に目を奪われていると、遠くの海面が盛り上がり、鯨のような生き物が顔を出した。本物の鯨が動いているところをテレビでしか見たことのなかった緋色は目を輝かせたが、その興味はすぐに大森林の遥か高くを飛び回る、一体のデジモンに写った。後頭部に向ってまっすぐV字に伸びた角に、薄い皮膜の張った大きな翼。恐竜に似ているが、明らかに恐竜とは違う存在。空想の中でしかなかった存在が天を翔けているのを目の当たりにして、緋色は興奮して叫んだ。

「ドラゴンだ!」

興奮して叫ぶ緋色に対して、わずらわしそうにトータモンが嘴の隙間から言葉を漏らした。

「おい、はしゃぐのはそのくらいにしろ。そろそろ到着するぞ」

その言葉を聞いて緋色が進行方向である真下に目を向けると、パイプラインは宙に浮ぶ巨大な円形のドームの頂上に繋がっていた。









Scarlet Hero

“氷上の3人”


サイボーグ型デジモン ジャスティモン
爬虫類型デジモン トータモン
魔人型デジモン ウィッチモン
昆虫型デジモン サーチモン
海獣型デジモン イッカクモン
堕天使型デジモン アイスデビモン
登場








ドーム天井のレンズをくぐると、緋色の体に軽い衝撃が伝わってきた。トータモンがどこか地面のある場所に着地したのだ。それはパイプラインが終点に到達したことを意味していた。

「ほれ、付いたぞ」

そういうとトータモンは緋色をペッと吐き出した。固い床の上に尻餅をついてしまった緋色はお尻を押さえながらも、辺りを見回す。するとまぶしい、白亜の空間が目に飛び込んできた。壁も床も、金属とも木製ともつかない強いて言えばプラスチックに近い質感の白亜の素材に覆われており、壁や床の彼方此方に原色の細い線が走りそれらの中には点滅しているものもあった。ドームの天井は自分達が通り抜けてきたレンズのほかには電灯どころか継ぎ目一つない綺麗な曲線を描いており、天井そのものが光を放って中をまばゆく照らしている。学校の体育館以上に広いそのドームの中には大人がすっぽり入りそうな程の、大きな卵に似た形状のポッドが円を成して空中に浮んでおり、未来都市のような光景に緋色は目を奪われた。そして緋色の前に卵型の上半分が取り除かれたような、乗り込むスペースの空いたポッドが降りてきた。そこに乗っていたのは顔を覆う銀色のヘルメットを被り青いウェットスーツを着、丈の長い赤いマントを肩から羽織った2メートル超の長身の人物であった。素顔は分からないがかなり人間に近い姿のデジモンと言えるだろう。

「ようこそシールダーズ・オブ・ホープの本部へ。我々は君を心より歓迎させてもらうよ、泉戸緋色くん」

長身のデジモンはその物体から降りてきて、緋色に歩み寄る。声や態度からして、彼が先程までトータモンのD・バックラーを解して緋色と話していた人物なのだろう。あのトータモンを一括できる立場の人物でありながら、高圧的な物言いや威圧感などはまったく感じられない優しい言動に緋色は少し戸惑った。

「私の名はジャスティモン。この組織の設立者であり、また総司令官を勤めさせてもらっている」

そう言ってジャスティモンは金属の装甲に覆われた右手をマントの中から差し出し、緋色に握手を求めた。戸惑いつつも緋色が手を差し出すと、ジャスティモンは自分のそれよりも小さな緋色の手を優しく握り返す。あまりにも丁寧な対応だったので緋色は思わず頭を下げてしまった。

「ハハハ、そうかしこまらないでくれ。…寧ろ、頭を下げるのは私の方だ」

言葉の後半からジャスティモンの声色が急に変わる。それまで緋色を緊張させまいと意識した優しく気さくな声色から、急に緊張を帯びた深刻そうなものへと。

「泉戸緋色くん、本当に申し訳ない…。私の判断ミスのせいで君には本当に怖い思いをさせてしまった」

握手を解いたジャスティモンはそう言って深々と頭を下げる。口から出た言葉が嘘ではなく、本心から申し訳ないと思っているということが声色で分かった。

「し、司令!?何もそこまでしなくても!」

緋色の後ろで面白くなさそうな顔をしていたトータモンが思わず口を挟んだ。自分を見下ろすほどの背丈の、精神的にも大人びた者からここまでかしこまって頭を下げられるのは初めてなので緋色も居心地悪そうに首をすくめた。

“…頼む、司令にこの件は君を守りきれなかった私のミスであって、責任は全面的に私にあると伝えてくれ”

先程からずっと緋色の中で押し黙っていたダルクモンが重々しく口を開いた。周りの物事を緋色の五感を通して知覚できていても、それを外に伝えられないという事はよほど歯がゆいんだろうな、と思いながら緋色はダルクモンの言葉をジャスティモンに伝える。

「それに、僕はこうして生きているんです。自分の体の自由を捨ててまで僕を助けてくれたダルクモンさんに、とても感謝しています」

さらにそう付け加えるとジャスティモンはようやく頭を上げたが、まだ重々しい声色のまま言葉を返した。

「だが、君とて…そしてダルクモンもそのまま同じ肉体を共有し続けるわけにはいかないだろう?」

緋色、そしてダルクモンはそう返されて言葉に詰まった。確かにこのままの状態での生活が続くのは緋色にとって辛かった。頭に生えた羽も何時までも隠し通せるとは思えなかったし、何より女性(後に緋色はデジモンには肉体的な性別がない事を知るのだが、ダルクモンは人間の女性によく似た姿をしているので緋色から見れば女性同然であった)に自分の行動を四六時中見られているという生活はかなり堪えるであろう事が、昨夜の入浴の事を思い出すまでもなく分かりきっていた。

「そろそろ本題に入ろう。緋色くん、君がここに来てもらったのはダルクモンと融合してしまった君の肉体を詳しく調べさせて貰う為だ。分離する方法を探すためにね。数時間かかるがよろしいかな?」

緋色はジャスティモンの言葉に、すぐさま頷いた。もとよりその為にこちらまで来たのだから断る理由は何もない。緋色が頷くのをジャスティモンが確認すると、浮んでいた卵型のポッドのうち、上半分が無い物がこちらに向って飛んできた。どちらにもデジモンが乗っている。

片方のポッドには淵からはみ出しそうな程てんこ盛りになった機械に囲まれるように、大きな昆虫の姿をしたデジモンが乗っていた。背丈は緋色よりも低いが、ボリュームがあって大人を上に乗せることが出来そうな程の大きさだ。緋色のよく知る昆虫とはかけ離れた無機質な銀色の外骨格に覆われており、背中についている何に使うのかよく分からない大きな円盤が目を引いた。複眼であったため緋色には彼の視線の方向は分からなかったが、緋色のすぐ前にいるのに、四本の前脚が機械に取り付けられた四つのキーボードを叩き顔の前にいくつものホログラフを展開していることから、彼が緋色に対してさしたる興味を持っていない事はすぐに分かった。

もう一体のデジモンのポッドには分厚いハードカバーの古めかしい本が積み上げられており、その上に紙細工で作ったような姿の黒猫が寝息をたてていた。箒が立てかけられていたりして、未来的な印象のこのドームには似つかわしくない物品ばかりだ。だがその持ち主はそれらに相応しい容姿をしていた。袖の無いローブの上から襟付きの黒マントを羽織って、天辺が三角に尖った帽子を被っている。それらの服装はマント以外深い赤で統一されていた。古めかしい本や箒の持ち主に相応しい「魔女」そのものの服装をしたデジモンだ。二の腕まで覆うダブダブの真っ赤な手袋をベルトで縛って腕に固定していたり、唇の端をはみ出して頬までルージュを引いていたり瞼に交差するように目の上下に赤い線を入れたりと、道化師のように奇妙な格好や化粧をしている。さっきの昆虫型デジモンとは違って好奇心旺盛な子供のように瞳を爛々と輝かせて緋色を凝視していた。その視線に射られたとき、自身の中のダルクモンが少したじろいだような気がしたが、緋色自身も凝視されてたじろいでいたので、そのときはさして気にはかけなかった。

「彼はオペレーター兼情報解析・研究員のサーチモン。そして彼女は…」

「戦闘隊員兼情報解析・研究員のウィッチモンよ。よろしく、緋色くん!」

ジャスティモンの言葉を遮って魔女、ウィッチモンはウインクして自己紹介をする。いまだにキーボードを叩いているサーチモンとは緋色に対する関心が雲泥の差だ。

「サーチモン、ウィッチモン、下のフロアの医療ブロックで彼の体を調べて分離する方法を探してくれ」

「了解…」

「了解しましたーっ!」

サーチモンはつまらなそうに、ウィッチモンは張り切った様子で返答するとそれぞれポッドから降りて、サーチモンは緋色達がいるドームの中央部から少しはなれた床に書いてある円の上に歩いていった。ウィッチモンは見た目どおり、宙に浮いた箒の上に座り、その穂先に寝息を立てている紙細工の黒猫を引っ掛けると緋色の手を引いてサーチモンに続いて円の中に入る。円の中央には緋色の知らない文字で何かが書いてあり、ウィッチモンは箒の先にぶら下げてあったD・バックラーを文字に近づけた。黒一色のD・バックラーで、円形のボディを黒猫の顔に見立てているのか、赤いラインで耳や髭の意匠がペイントされている。D・バックラーに反応して床の文字が輝き、円の部分の床が沈んでいった。どうやらこの円は下のフロアへ行き来するためのエレベーターになっているようだ、と感心しながら緋色は二人につれられて医療ブロックへ向かった。

 

 

 

 

「解析は進んでいるかね?」

2、3時間経って、ジャスティモンは医療ブロックを尋ねた。CTスキャンに似た機械や、様々なサイズのデジモンに合わせた手術台が立ち並ぶ広い医療ブロックで作業しているのはウィッチモンとサーチモンの二人だけであった。緋色は二人が作業しているコンピューターの近くにあるベッドでぐっすりと寝ている。

「解析自体は終わりましたが…これは流石に私でも厄介ですね。一日二日でどうにかなるようなものではないです」

ホログラフィーのスクリーンを眺めたまま、キーボードを打つ手は止めないまま、フリーになっていた真ん中の足で「お手上げ」のポーズをサーチモンはとった。

「緋色君は寝てしまったのか?」

「はい。一通り調べ終わったらバタンキューって寝ちゃったわ」

「恐らく昨夜からの疲れがここへ来て一気に襲ってきたのだろう。よく眠れていなかったようだからな」

最後の言葉を喋った声は、寝ているはずの緋色のものだった。全員の視線がベッドの上で身を起こした緋色に集中し、そして誰もが違和感を感じた。先程までと緋色の雰囲気が違うのだ。全員緋色には会ったばかりだが、違和感に気づいたのは今の緋色が纏っている雰囲気が彼らのよく知っている人物と同じだったからかもしれない。そして違和感の正体に最初に気づいたのはジャスティモンだった。

「…ダルクモンか?」

「はい。どうやら緋色が眠ったり意識を失っている間は私の意識が肉体を支配できるようです、司令」

緋色はダルクモンと同じ、感情を抑えた事務的な口調で言った。まだ幼く、隠し事が苦手な緋色とはまったく別の硬質な空気を身に纏っている。

「きゃー!ダルクちゃん久しぶりーっ!」

ダルクモンとは逆に感情を露にする者が一人。ウィッチモンは嬉しそうに椅子から飛び出し、ダルクモン=緋色に抱きついた。緋色の体を借りたダルクモンはうんざりした様子でそれを振りほどこうとするが、文字どおり大人と子供程の体格差がある所為か、人間とデジモンでは身体能力に差がある所為か振りほどけずにベッドの上に押し倒された。サーチモンは先程のダルクモンの言葉にもウィッチモンの行動にも振り向かず、新たに発覚したデータをコンピューターに打ち込んでいた。

「ウィッチモン、緋色君の肉体には疲労がたまっているんだ。今は休ませてやってくれ」

ジャスティモンが出した助け舟にダルクモンは安心し、ウィッチモンはつまらなそうに彼女(彼?)から離れた。そして場が落ち着くのを待っていたかのように、サーチモンが間髪いれずに口を開いた。

「今の状態は正確には融合したというよりも人間の肉体という基盤にダルクモンというデータがダウンロードされた状態になります。遺伝子情報が書き換えられて全身の細胞が変質しており、ダルクモンの意識は電気信号という形で人間のニューロンの中に残っています。ピッドモンへの変身ですが、変身の瞬間に肉体の表面を実体をデジタル情報に変換…つまりデジタライズ化する帯で覆い肉体をデータ化、そしてデジモンが進化するときと同じように肉体の情報を一瞬で書き換えて変身しているようです」

「頭の羽は一種のバグみたい。まずズタズタになった緋色君の体がピッドモンに変換された分けだけど、そこから完全な形の緋色君に戻るときピッドモンから戻っちゃったから間違ってピッドモンのデータが少し混ざっちゃった結果があの羽。私はチャーミングで可愛いから良いと思うけど」

「それと人間時にはかすり傷や注射程度の傷なら即座に修復される強力な自己治癒能力が備わっている事が採血の際、注射の跡がすぐに消えてしまったことから分かりました。それ以外はピッドモン、人間ともにどちらの形態でも肉体の構造的には普通の人間やデジモンと変わりがありませんね」

サーチモンとウィッチモンが交互に喋る分析結果を、ジャスティモンとダルクモンは一言一句聞き逃さないように真剣に聞き入った。

「…人間の時なら生物学的にはほぼ普通の人間と変わらないのなら、頭の羽さえ隠せば居間まで生活を送ることが出来るのだな?」

「理論上では」

「そこで理論上、ってつける?普通」

ジャスティモンはすぐには緋色とダルクモンが分離できないと聞いてしばらくうつむいて思案していたが、すぐに顔を上げてダルクモンを見つめた。

「ダルクモン、そして緋色くんにはすまないが二人には当分共同生活を送ってもらうしかないようだ。こちらでも研究を続け、一刻も早く二人を分離する方法を見つけてみせる」

「いえ、司令が謝る必要はありません。命を落としかけた彼を助けるために我が身を犠牲にするのは、シールダーズの理念として当然の事です」

幼さを色濃く残した緋色の顔が凛と引き締まり、瞳には疑うことを知らない、理念、そしてジャスティモンへの絶対的な忠誠の輝きが宿った。それはまさしく、彼女がいつも付けていた仮面の上からでも分かるダルクモンの普段の顔だった。ジャスティモンはそれを見てが僅かな悲しみを覚える。彼はそれを表に出さないように努めていたため、だれも気づくことはなかった。

 

 

 

 

 

 

緋色が目覚めた頃、デジモン達からは「リアルワールド」と呼ばれている緋色達の世界では9時を過ぎていた。普段なら夕食をとっている時間は既に過ぎていた為、空腹をうったえると緋色は遅めの夕食をとらせて貰うことが出来た。とは言っても「60秒で摂れる朝食」という煽り文句が付いていそうなパックに入ったゼリードリンクだけで、生憎この日は基地内に食べ物と言えるような物はこれしかなかったらしい。とりあえずそれを二本ほど飲み干した緋色は自分が初めに足を踏み入れた所、オペレーションルームへ再び案内され、自分の体に関する事情を説明してもらい、分離する方法を探すには時間がかかるという事をしって酷く落胆した。

「落胆させてしまってすまない。代わりと言ってはなんだが、我々から君にささやかなプレゼントがある。ウェストポーチの中を見てくれ」

「プレゼント…?」

プレゼント、という言葉で少し立ち直った緋色はウェストポーチの中を探る。するとポーチの中には、ピピスモンとの戦闘で壊れたはずのD・バックラーが完全に修復された状態で入っていた。同じようにピピスモンに壊された携帯電話も修復された状態で入っている。

「直ってる!?」

「新しい機能を追加したのは僕だから。ついでにそのチャチなリアルワールドの機械も直してやったよ」

緋色から離れた位置に浮んだポッドの上でキーボードをいじっていたサーチモンが、ジャスティモンに報告するときとはまったく違う砕けた口調で話しかけた。そこで初めて、緋色は通信でトータモンに小馬鹿にしたような口調で話しかけていた若い男がサーチモンである事に気づいた。

「あ、有難うございます!」

サーチモンにとっては物のついでにやったことなのだろうが、緋色にとっては非常に嬉しい計らいであった。普段あまり家にいない父が、「少し早い誕生日プレゼントだ」と言って奮発して買ってくれたこの携帯は緋色にとっては宝物であった。プレゼントされたばかりのそれが壊れてしまった事は父への申し訳なさもあり、ダルクモンとの融合というより重大な事件に気を取られなければ、泣き出したいくらいショックな事だったのだ。しかし緋色が心からの礼を言ったのにも関わらず、サーチモンの興味はすでに緋色から離れており、再びキーボードを叩き始めていて無反応であった。流石にこの態度には緋色も腹を立てた。そこで食って掛かろうとするのを遮るかのようにジャスティモンが唐突にダルクモンの名を呼んだ。するとジャスティモンの呼び出しに答えるかのように緋色が手に持っていたD・バックラーの液晶から光が漏れ、そして液晶の上に立つように人形サイズのダルクモンのホログラフィーが出現した。

「わっ!?」

緋色は突然飛び出したダルクモンの姿に驚き、思わず手元のそれを落としそうになる。立体映像はかなり高精度な物で、ダルクモンの体が透けていたりしなければ人形サイズの彼女が本当にそこにいるかのように見えただろう。

「これが新機能?」

「そうだ。ダルクモンと直接会話できるのが君だけでは不便だからね。D・バックラーを解することによって我々とダルクモンが直接会話できるようにさせてもらった」

「ご配慮、有難うございます」

D・バックラーのスピーカーからダルクモンの声が流れ、立体映像がジャスティモンに向って頭を下げた。

「これでダルクちゃんと何時でもお話できるわね」

ウィッチモンが箒に乗って緋色に近づき、つつくようにダルクモンに向って指を伸ばした。当然、指先はホログラフィーに触れられる事はなくダルクモンの胸をすり抜けた。ウィッチモンに対して心底嫌そうな顔をしてから、ダルクモンの立体映像がD・バックラーの液晶画面の中に引っ込む。ウィッチモンは至極残念そうな顔をするとまた自分の持ち場であるポッドの上に戻った。

「D・バックラーがあればこの司令室といつでも通信が出来る。なにか容態が変化したり、体の事で相談したいことがあればいつでも連絡してくれ。必要があればすぐに我々が駆けつける。そして君をこちらで治療することも請け負おう」

ジャスティモンの対応策はまだ根本的な解決策が見つかってはいないものの、かなり献身的な対応をしていると言える。それも、緋色が少し引け目を感じるくらいに。

「気に病む必要はない。我々はシールダーズとして、人間達の『盾』となる組織としてその理念に従っているまでだ」

それすらも見透かしたのかジャスティモンは言い聞かせるように、胸を張って当然の事をしているまでだ、と高らかに宣言した。

「さて、もう夜も遅い。ご両親や友達が心配しているだろうから早く家に帰るんだ、緋色君」

そういわれて初めて緋色は自分が父や友人の善次、隣人の皐月達に大きな心配をかけているであろう事に気づいた。善次達とはカラオケボックスから逃げる群集達に揉まれてはぐれてそれっきりだったので、あちらの世界では自分は方不明者扱いなのだろう。ダークティラノモンが暴れまわった事がどのように報道されたのかも気になり、緋色は一刻も早く帰らなければならないとようやく思い始めた。

「すみません、ジャスティモンさん。帰る前にどうしても聞いておきたいことがあるんです」

だが、緋色にはどうしても気になることが一つあった。折角シールダーズと話す機会が出来たのだから、今のうちにどうしてもその事を聞いておきたかったのだ。

「私が答えられる範囲であるならば幾らでも答えてあげよう。いったいなんだね?」

「…ダルクモンさんはデジモンが僕達の世界に現われるのは偶然じゃなくて、誰かが故意にやっていることだと言っていました。それは本当なんですか?」

一瞬、オペレーションルームの中の空気が硬直した。キーボートを叩いていたサーチモンは手を止め、緋色を笑顔で眺めていたウィッチモンは表情が固まり、隅で寝ていたトータモンが目を見開いた。そしてジャスティモンは身に纏っていた温和な空気を凍結させ、押し黙っていたが一刻の間をおいてして重々しく口を開いた。

「ここまで関わってしまった以上、君に話しておいた方がいいかもしれないな…。この事は周りの人間に言っても信じてもらえないだろうが、それでも絶対に話してはいけない。約束できるかい?」

緋色がコクリ、と頷くとジャスティモンは重々しい空気を纏ったまま事の起こりを話し始めた。他の三人はジャスティモンが話し始めるのを合図に各々の行動に戻り、ウィッチモンだけは笑顔ではなく、ジャスティモンの話題に見合った深刻そうな表情で緋色を見守っていた。

 

 

 

 

結論から先に言えば、デジモンが頻繁にリアルワールド、緋色達人間の世界に頻発的に出現しているのはやはり人為的な…誰かが故意に行っている事らしい。ただしその「敵」の正体はシールダーズにも分からなかった。

デジタルワールドとリアルワールドを安定して行き来する方法はデジモン達の間でも未だに完成されておらず、遥か古代にデジタルワールドで作られたというオーパーツ「アップローダー」「ダウンローダー」「デジタライザー」「リアライザー」の四つ、それらを合わせた「ゲートシステム」と呼ばれる道具に頼らなければ大半のデジモンは二つの世界を行き来する事はできないらしい。それらの一つ、「リアライザー」が何者か、正体は分からないが6人のデジモン達の襲撃にあって奪われたのが事の起こりだった。

アップローダーはリアルワールドの物質をデジタルワールドへ送る力を、ダウンローダーはデジタルワールドの物質をリアルワールドへ送る力を持つ。デジタルワールドはリアルワールドにあるコンピューターなどの電子情報が集積して生まれた世界なので、この世界を構成する物質は全て電子情報であり、それを直接リアルワールドへ送っても雲散霧消してしまう。そこでリアライザーが必要になる。

リアライザーは電子情報を原子、分子へと変換し実態化させる力を持ち、デジタライザーはその逆の力を持つ。このゲートシステムは遺跡から発掘されたオリジナルもそれを元に作ったコピーもすべて、Government of Degital World、通称G.O.D.W.(ゴッドゥー)によって管理されていた。

「G.O.D.W.とはその名の通り、デジタルワールドの政府だ。政府には危険な力を持ったオーパーツ等を管理する機関があり、私自身もそこの所属だ。私の留守を突いてリアライザーを奪った何者かは有事の為に保管されていた残りの三つのゲートシステムのコピーも奪い、二つの世界を行き来する為の手段を手に入れた。目的は分からないが、ゲートシステムが悪用されれば人間の世界だけでなくデジタルワールドをも巻き込んだ未曾有の戦乱に発展する可能性がある。そこで私はリアルワールドに出現するであろうデジモン達から人間の世界を守る為に、有志を募りシールダーズ…正式名称シールダーズ・オブ・ホープを結成した」

人間を守る組織を結成する際、一番の問題になるのがリアルワールドへ行く手段であった。リアライザーのコピーは全て持ち去られるか破壊されてしまった為、僅かに残されたデータを元に再度コピー品を作り、残された三つのオリジナルと組み合わせゲートシステムを搭載した浮遊基地をジャスティモンは建設した。

「それがこの浮遊司令部・イージスゲートだ。司令部と言っても基本的にゲートシステムを運用するためだけの建造物であり、あまり派手な設備はないのだがね」

ジャスティモンのそばにスクリーンが浮かび上がり、大森林の上に浮ぶ巨大な建造物が映し出された。真上から見たときは気づかなかったが、白亜のドームの下から地上に向って先細りの円錐形になるように居住ブロック、医療ブロックなどが連なっているのが横からの写真だとよく分かった。

「ゲートシステムのリアライザーがコピーで代用されている為、リアルワールドで肉体を保てる時間が限られるようになってしまった。また他のシステムも不安定になってしまい起動まで時間がかかる時すらある。情けない話ではあるが私に至ってはリアライズすることすら不可能なのだ」

ジャスティモンが悔しげに言った、そのときだった。指令室内にけたたましい警報が鳴り響き、空中にいくつものスクリーンが映し出された。

「デジモン反応確認!」

サーチモンが声を張り上げると、眠っていたトータモンを含め、司令室にいる全員が一斉に一番大きなスクリーンを見上げ、緋色も思わずそれに倣ってしまう。おそらくはデジモンが出現した地点を示すためのスクリーンに、世界地図が映し出されその上をポインタがもどかしい程の時間をかけて動き回っていた。世界地図が日本地図になり、日本地図が拡大され東京都内の地図になるまで異様な程の時間をかけていた。

「この司令室からリアルワールドにいるデジモンを特定するには、いつもこのくらいの時間がかかっている。サーチモンは二つの世界の境界でデジモン達のパルスが遮られ弱くなっているからだといっていたが…」

緋色がもどかしい思いをしているのに気づいたのか、ダルクモンがD・バックラーから立体映像を出して説明した。最初にデジモン反応が確認されてから3分弱が立った頃、地図の一部分が赤く塗りつぶされる。その地点は緋色の学校の学区内にある広い公園で、彼自身も何度も足を運んだことのある場所だった。

「今回は絞り込めた方か…サーチモン、リアライズしたデジモンの特定は出来たか!?」

「イッカクモン一体です。ほかにリアライズしてくる様子はありません!」

「アップロードポータルを早く開け!サイズはトータモンに合わせる!本日二回目の出撃だが、行ってくれるな!?」

「俺が拒否するとでも思っているんですか、司令。了解!」

ピピスモン、ダークティラノモンに続いて次々と自分の見知った場所にデジモンが表れているという事実に軽くショックを受けていた緋色を余所に、ジャスティモンは皆に指令を飛ばす。トータモンがドスドスと歩いて行きドームの中央、レンズの真下にある大きな円形の模様の上に立った。

「ダウンローダー、イミテイトリアライザー、オールグリーン。リアルワールド到達予想時間約30サイクル」

「今日は随分と調子がいいじゃねぇか」

唇の端を吊り上げて、気分よさげにトータモンは言う。戦いにおもむくことに対する不安や恐怖など、微塵もない。緋色には彼の姿がそのように見えた。

「シールダーズ戦闘隊員トータモン、出撃準備完了しました。ゲートシステム使用許可を願います」

緩んだ表情を引き締め、トータモンは固い口調でジャスティモンに出撃許可を求める。それに応じるかのように、ジャスティモンは右腕を勢いよく突き出しトータモンに、司令室の中央に向けて掲げる。その右腕にはメタリックブルーのボディに赤いリブの付いた彼専用のD・バックラーが握られていた。

「シールダーズ総司令官ジャスティモンの権限においてゲートシステムの使用を承認する!」

ジャスティモンが叫ぶと同時に彼のD・バックラーにエレベーターの床に刻まれていたものと同じ、緋色の知らない文字が表示されて光り、続けてトータモンの首についたD・バックラーにも同じような反応が起こる。そして床の円の内側に沿うように配置された文字が順に光っていき、光の円が繋がった瞬間、円から放たれたまばゆい光がトータモンを飲み込み天井のレンズを貫くように伸びる。光の柱は天に向かって伸びて行き、空を突き抜けて緋色がここに来るときに通ったパイプラインとなった。そしてトータモンの体が持ち上がり、加速して猛烈な勢いでパイプラインの中を上に昇っていく。彼の体が視界から消えてからしばらくすると、パイプラインは根元から少しずつ薄れて消えていった。

「さて、まもなくトータモンのD・バックラーを通してリアルワールドの映像が届くはずだ」

そう言ってジャスティモンがスクリーンに向き直ってすぐに、リアルワールドの映像が届く。緋色のよく知る場所が無残な姿を晒している光景がスクリーンに映し出され、緋色は思わず声を失った。地面には無数の巨大な爪痕が残り、木々は倒れ、たこ焼き等を売っていたと思われる屋台の破片がそこらじゅうに飛び散っている。ミサイルでも打ち込まれて爆発四散したのか、飛び散った破片は燃えていた。そして画面に背を向ける形で映っているトータモン並の大きさの生物が一体。極寒の地に住む生き物のように真っ白くて毛足の長い毛皮に全身が覆われており、手足はその立派な毛並みの中に埋もれている。その巨大生物、イッカクモンはまっすぐに伸びた一本の角を持った頭部を傾けて一心不乱に何かしているようであり、トータモンにはまだ気づいていないようだった。

トータモンは背を向けているイッカクモンに躊躇する事無く頭から突撃する。流石に巨体の振動と足音で気づかれ、イッカクモンが見た目どおりの緩慢な動きでゆっくりと振り返った。その口には長く伸びた二本の象牙のような牙が生えており、それにソフトクリームを作る機械が根元まで突き刺さっていた。よくみるとイッカクモンの足元に屋台の破片と思われる木片が散らばっている。おそらく、イッカクモンはソフトクリームを食べようと思い、機械に牙を付きたててくわえ込み、隙間からソフトクリームを吸っていたのだろう。イッカクモンが振り返った瞬間に二本の牙で串刺しにされたソフトクリームの機械にトータモンの嘴が直撃した。その衝撃で完全に崩壊した機械がバラバラになって二本の牙の間から落ちる。食事、寧ろおやつの邪魔をされたイッカクモンは口を限界まで開いて怒声を上げる。ライオンの咆哮によく似たその咆哮は百獣の王すら縮み上がるのではないかと言うほどの大音量と迫力を有しており、スクリーン越しに聞いた緋色ですらひっくり返りそうになった。

「うおっ…耳が…」

それほどの威力を持った咆哮であったため、至近距離でそれを受けたトータモンは一瞬聴覚を失い、更にイッカクモンの迫力に驚いて怯み後退してしまった。戦場では一瞬の怯みが勝敗を分けることもある。この後退は生死を分けるとまでは行かなかったが、次の瞬間にイッカクモンの体当たりで大きく突き飛ばされる事になったのは、この時の後退の僅かな勢いも手伝っていたからであろう。派手に突き飛ばされたトータモンは背後にあった大きな池に突っ込み、コンクリートの淵や湖の中の噴水を派手に破壊する。それほど深い池ではなかった為トータモンの巨体が突っ込んだことによって水が溢れ、池の鯉が地面に何匹も打ち上げられた。見知った風景が粉々に壊されていくその映像が緋色の胸を締めつけた。

「シェル・ファランクスッ!」

トータモンはすぐさま体制を建て直し、半日ほどの間に再生していた岩石のスパイクを数発イッカクモンに向けて発射した。鈍重なイッカクモンはスパイクをかわすことが出来ずに直撃を受けてよろめいたが、すぐに体制を立て直す。体毛がクッションとなり致命的なダメージにまでは至ってないようだ。

「ハープーンバルカンっ!」

イッカクモンの頭頂部から生えた一本の角がロケットのような勢いで発射され、そして一瞬で生え変わって更に二発、三発と立て続けに発射される。連続で4発発射された角は山なりに弧を描き、トータモンの甲羅のスパイクが発射されてなくなった面に向っていた。

「ちっ、厄介な技だぜ」

イッカクモンの必殺技「ハープーンバルカン」は生体ミサイルとなっている角を飛ばす技だが、その角はただの生体ミサイルではない。イッカクモンの脳波を受けてコントロールされるホーミング・ミサイルなのだ。スパイクを射出したあとのトータモンの甲羅は迅速にスパイクを再生するためか、その面は構造的にあまり硬いとはいえない。その為シェル・ファランクスを使った後のトータモンの甲羅はウィークポイントになっており、弾道を変えて相手の急所を狙うことのできるハープーンバルカンをもつイッカクモンとは相性が悪い。だからこそ一度に全てのスパイクを発射せず、数発打ち込むだけに止めていたのだ。手足を引っ込めて高速回転。そうすれば一部にスパイクのない面があっても隙間無く防御できる。

「グランダッ…」

そのとき、トータモンの首についていたD・バックラーがけたたましい警報音を鳴らした。この警報音の示すもの、それはどこかでデジモンがリアライズしているという事実。

「新手かっ!?何処にリアライズしやがった!」

「足元です!」

サーチモンからの通信を耳にしてトータモンが足元に視線を向けると、浅い池の中から人間大の大きさのデジモンの上半身が水面から出てきた。それを踏み潰そうと前脚を上げようとしたが、足がまるで池の底に吸いつけられたかのように動かない。驚いて足を見やると、池の水が前足の周りだけ凍り付いて池の底に固定されていた。

「な、なんだこ…」

今度のトータモンの言葉は爆発音によって遮られた。空中でグネグネと機動を変え仲間が相手の足を固めるタイミングを待っていたホーミング・ミサイルは、硬い角の外装を脱ぎ捨てて脈動する緑色の生体ミサイルの本体を現しトータモンの背、甲羅のスパイクのない面に着弾する。爆発で文字通りの亀裂が走り、そこから血が滲み出ていた。

「うぐ…」

激痛にうめきながらトータモンが顔を上げると、完全にリアライズした新たなエネミーが翼を広げて池の上空に浮んでいた。街灯の灯りを乱反射させ、表面から水滴の滴る半透明のその体は恐らく氷で出来ているのだろう。長い腕の先に鋭い爪を持ち、薄い皮膜の張った羽を広げ、頭には二本の角を生やし、そして勝ち誇ったような冷笑を浮かべるその姿は正しく悪魔そのものだった。トータモンは鼻先に浮んでいた氷の悪魔…アイスデビモンと呼ばれる種のデジモンに噛み付こうとするが、彼よりも遥かに小さな体躯のアイスデビモンは簡単に回避し、凍り付いていない方の足に接近する。

「ゼロフリーズ!」

アイスデビモンが両腕を広げると強烈な冷気が放たれ、もう片方の前脚の周りの水が凍結する。両前足を池の中に固定され動けなくなったトータモンに向って、イッカクモンがさらにハープーンバルカンを打ち込んだ。トータモンは着弾の直前に一発だけスパイクを発射して生体ミサイル群へぶつけ、迎撃する。連続で急所に直撃を受ける事だけは避けたがこちらの弾数には限りがある上、巨大で鈍重なトータモンにはアイスデビモンを捉えることは出来ない。トータモンは絶対的に不利な状況に追い詰められていた。 

「やられたわ。最初から私達を…シールダーズのメンバーをおびき寄せて仕留めるつもりで暴れていたみたい」

池のある公園に出現し、それがホーミング・ミサイルを持つイッカクモンである事や、池に落ちると同時にアイスデビモンがリアライズした事からかウィッチモンはそんな事を呟いた。口調は緋色やダルクモンに話しかけたときの楽しげな調子ではない。

「ウィッチモン、出撃準備を。サーチモン、ダウンローダーの機動にかかる時間は?」

「320サイクル弱。また調子が悪くなっちゃったよ」

上司であるジャスティモンに対して敬語を使うのをうっかり忘れるほど、サーチモンも焦っていた。彼だけではない。スクリーンの中で劣勢を強いられているトータモンは勿論、一刻も早く仲間の下へ駆けつけたいと願っているウィッチモン、表には出してないものの部下の身を案じているであろうジャスティモンも、人間である緋色も、そして彼の中にいるダルクモンも強い焦りを感じている。D・バックラーから映し出されるホログラフィーを見るまでもなく、緋色には何故かダルクモンの焦燥が手に取るように分かった。肉体を共有しているからか、背中合わせに、壁越しにダルクモンの焦燥が、仲間を思う気持ちが伝わってくるような奇妙な感覚を緋色は憶えていた。そしてその感覚が緋色がこのイージスゲートに来てからずっと考えていた事を、ある選択を決断することを後押しする。

「ジャスティモンさん…じゃなくてジャスティモン司令!」

緋色が突然ジャスティモンに向き直り、叫んだ。その決意めいた表情と呼び方を改めたことから、思わず「まさか」という言葉がジャスティモンの口から漏れる。そして彼が予測、いや危惧したとおりの言葉が帰ってきた。

「僕を…あそこに送ってください!僕をシールダーズの隊員として戦わせてください!」

「何を言っている!?君は自分の言っている事の意味が分かっているのか!?」

まず、ダルクモンが最初に言葉を返した。信じられない、という顔をするダルクモンのホログラフィーに対し、緋色は決意が揺らいだ様子を微塵も見せずに答えた。

「二回、デジモンと戦いましたから。分かっているつもりです」

「君がダークティラノモンとの戦いを忘れていないのなら分かるはずだ。君では力になれない。ピッドモンの力を持っているとはいえ、素人の子供が相手になる連中ではない」

ジャスティモンはシールダーズの事情を話したときから緋色がこう言い出す事を予感しており、その為にあらかじめ用意してあった返答を冷静に返した。叱りつけるような口調に緋色は一瞬たじろいだが、それでも食い下がり、叫ぶように言葉を、感情の猛りをジャスティモンにぶつける。

「あの壊れた噴水はもしかしたら友達の家だったかもしれない。もしかしたらこの公園に父さんがいたかもしれない。僕は生き延びることが出来たけど、誰かが同じように怖い思いをして死んでいたかもしれないんだ!」

緋色は喉を枯らして、全身全霊を込めて叫んだ。そしてそのままの勢いで更に絶叫した。

「僕は家族や友達が…みんなが知らないうちに危険に晒されているのに、それを知っているのに何もしないだなんて我慢できない!」

何もできない。その叫びはダルクモンとジャスティモンの胸に響いた。ダルクモンは自分で選んだ結果とはいえ、仲間の危機に自分が手を貸せない状況にいる事がとても悔しかった。ジャスティモンは、自分がデジモンの中でも最高レベルのカテゴリー『究極体』であったが為に不完全なゲートシステムではリアルワールドに一秒たりとも留まることを許されないと知ったとき、身を切るような思いを感じた。自分にはデジモンの中でも最高クラスの戦闘能力があるのに、それを愛する人間を守る為に振るうことが出来ないと知ったときに。

「サーチモン、緋色君をリアルワールドに送る場合、どのくらいの時間がかかる?」

「転送時間10サイクルです。人間の状態ならアップロードポータルを広げる時間がかかりませんからウィッチモンよりもずっと早くリアルワールドに送れます。それに炎の技を使うピッドモンなら水の技を使うウィッチモンよりも奴らに対して有利だといえます。…敵にビビって棒立ちにならなきゃね」

二人の会話を聞いて、それまで目を丸くしていたウィッチモンがジャスティモンの意思を察して急に慌てだした。

「えっ!?緋色くんをシールダーズに入れちゃうんですか司令!?」

「…緋色君、一つだけ、約束してくれるか?」

「ケホッ、ケホッ…な、なんですか?」

ジャスティモンは喉を酷使した所為でケホケホと咳き込んでいる緋色に問いかける。それはウィッチモンの問いの答えとしては十分であった。

「君も守られるべき人間の一人である事を、そしてダルクモンの命を預かっているということを忘れないでくれ。決して無理をするな。危なくなったらすぐさま逃げるという事を約束してくれ」

「ジャスティモンさ…司令…!それじゃあ…!」

そう、緋色にもすぐさま分かるほどに「緋色をシールダーズ・オブ・ホープの一員に迎える」という確かな意思を表明していた。

「早く、質問の答えを」

「は、はい!必ず、ダルクモンさんも僕も生き残って見せます!」

緋色は再び大きな声で、ただし自分でも出来る限り立派に、堂々となるよう背伸びして叫んだ。それに対してジャスティモンは何も言わなかったが、確かに頷いていた。

「…アップローダー、機動完了。アップロードポータルの形成まで10サイクル」

少し呆れたような口調で、サーチモンが転送準備がほぼ完了したことを皆に伝えた。

「中央の円の中に立って、D・バックラーを掲げるんだ。一刻も早くトータモンの援護に向ってくれ」

幼い客人に対する優しげな口調ではなく、部下に対する厳格な司令官のそれになったジャスティモンに促され、緋色は司令室中央の、レンズの下にある円に向う。先程まで出撃待ちをしていたウィッチモンが「頑張ってね」と笑顔でその中心を譲り円の外に出た。緋色はD・バックラーを握り締め、変身せんとする特撮ヒーローのように天井のレンズに向って高く掲げた。

「司令」

D・バックラーからいつの間にか引っ込んでいたダルクモンのホログラフィーが再び飛び出す。緋色の言葉に共感する部分があり、ジャスティモンも同じように感じていたことに気づいていたため全ての判断を司令に任せ、自身は今まで精悍していたのだ。

「このような姿になっても私はシールダーズの隊員です。私の持っている知識や経験を総動員して、彼をサポートし、守って見せます」

ダルクモンの態度にも、また決意めいたものがあった。ジャスティモンは頷き、確かな信頼を持って頷いた。

「頼んだぞ、ダルクモン」

ジャスティモンに対して最後に敬礼を返すと、立体映像はD・バックラーの中に引っ込んだ。それを確認するとジャスティモンはトータモンの時と同じようにマントから右腕を出して自身のD・バックラーを緋色に向けた。

「シールダーズ総司令官ジャスティモンの権限において…泉戸緋色をシールダーズ特別隊員に任命する!」

ジャスティモンのメタリックブルーのD・バックラーの液晶から、緋色の持つ赤と白のツートンのD・バックラーの液晶へ向って光が伸びる。ダルクモンの他に緋色を主と認識するよう、メモリーに新たな情報が書き加えられているのだ。同時に緋色に渡す際にロックされた機能…デジモンを探すレーダーや、転送を補助する簡易ゲートシステムを再び目覚めさせる。

二つの液晶画面をつなぐ光のラインが消えると、D・バックラーの画面に人間のものではない文字が浮かび上がる。それはデジモン達の間で広く使われている文字であり、「ゲートシステム起動」と表示されていた。それに反応するように円にそって描かれた文字が発光し、光が繋がると同時にその光はパイプラインとなり、緋色の体に合わせて細くなった。パイプラインが天井のレンズを貫き、デジタルワールドの空を貫いて次元の狭間の向こうへ消えると緋色の体が浮き上がり、来たときの何倍ものスピードでパイプラインの中を上へ上へと登っていく。

緋色の体はジェットコースター以上のスピードに怖気づく間もなく、リアルワールド、彼の世界へ運ばれた。パイプラインの出口は公園の上にあったらしく、いきなり空中に放り出されて緋色は一瞬呆気に取られた。これもゲートシステムが安定していないからなのだろうか?

“早く変身するんだ!”

思いのほか柔らかい、ふわっとした自由落下の感覚にぼんやりしそうになった緋色の意識は、ダルクモンの叱責によって覚醒した。緋色の眼下に、公園の池のまわりが冬のように、いや冬でもありえないほどの寒気に包まれている光景が広がっている。池の中心には四肢をスケートリンクのようになった池の中に埋め、顔の一部も凍らされたトータモンの姿があった。すでに背中のスパイクの数は半分以下にまで減っており、甲羅のスパイクのない部分には亀裂が入っている部分が幾つかあった。その周りにいるイッカクモンとアイスデビモンの姿を見とめた瞬間、緋色の体に緊張が走った。緋色は敵と同じ空間に身を置いているという恐怖を、父や友人達が自分と同じ目に遭うかもしれないという別な恐怖とシールダーズの一員に任命されたという高揚感で押さえ込む。そして風を切る感触の中で「変身する」という事を、戦うという事を強く意識し、念じた。体が、光の螺旋に包まれた。


足が、赤い衣を纏った引き締まったものに変わる。

腕が、バンテージを拳に巻いた強靭なものに変わる。

頭が、横向きのラインが入った鉄化面を被った精悍なものに変わる。

背から、風を切り裂き音を鳴らす俊敏な翼が生える。

その手に、先端に三日月の飾りの付いた剛健な金色のロッドが握られる。

着地の衝撃を軽減するため、深く腰を落として着地する。足元に、池の淵よりもずっと離れたところにまで広がっていた氷が大きな音を立てて砕け、破片が一メートル以上も遠くまで飛び散る。氷上の舞台に、四人目の役者が降り立った。







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