着地の際、腰を深く落として衝撃を弱めるよう緋色は心がけたが、足の裏に衝撃を感じてもそれで足が痺れたり、ましてや痛いと感じるような事はなかった。どうやら「ピッドモン」の肉体は緋色が思うよりもずっと強靭なようだ。緋色が顔を上げると凍った池の周りにいる3体のデジモンの姿が目に入った。一体は四肢を水面ごと凍らされ、身動きできなくなっている巨大亀トータモン。もう一体は白い毛皮に包まれ、頭頂部から一本の角を生やした巨大な海獣イッカクモン。そして最後の一体は周りの二体よりも小さく人間とほぼ同じ大きさの体躯の、氷で出来た体を持つ悪魔アイスデビモン。三者とも、戦場に突然現れたピッドモン…緋色に視線を向けている。トータモンの視線は場違いな役者が舞台に上がったことに驚いているような、とでも形容すればいいだろうか?とにかく三者三様とも呆気に取られていた。そして、その隙は緋色に攻撃の時間を与えるには彼が素人である事を差し引いても十分過ぎた。

“まずはトータモンの氷を溶かすんだ!ファイアフェザーで足元を狙え!”

「ファイア…フェザー!」








Scarlet Hero

“4属性の「炎」、それが武器”


サイボーグ型デジモン ジャスティモン
爬虫類型デジモン トータモン
魔人型デジモン ウィッチモン
昆虫型デジモン サーチモン
海獣型デジモン イッカクモン
堕天使型デジモン アイスデビモン
登場







氷の破片を踏みつけて立ち上がり、二枚の翼から無数の炎の矢を放つ。ダルクモンの言葉通り緋色は氷の中に固定されているトータモンの四肢を狙って放ったが、狙いが甘く炎の矢はトータモンの体の回りを掠めるようにして飛んでいく。それでもトータモンを束縛から解き放つには十分であったのか、トータモンは溶けかけて脆くなった氷を砕いて四肢を引っこ抜いた。顔の半分を覆っていた氷も炎の余波で解けている。

「小僧!てめぇまさか戦う気か!?」

トータモンの第一声がそれだった。彼は元々緋色のことを快く思ってはいない。それを差し引いても、ピッドモンに変身できるとはいえそれを除けばただの子供の緋色が戦うとなればそう言いたくもなるだろう。だが、今はその是非を議論する場ではない。外見どおり炎を苦手とし、ファイアフェザーに牽制されて退いている敵二人が攻勢に転じる前に先手を撃たなければならない。そう考えて緋色の中にあるダルクモンの意識は、緋色の体を通じて、ピッドモンの腰のベルトからぶら下がっている電子機械・D・バックラーを経由してトータモンの首についている彼のD・バックラーに通信を送った。

「司令からも正式にシールダーズの一員として任命されている!今は奴等を倒すことだけを考えるんだ!」

以前からの仲間であるダルクモンの言葉に、トータモンは舌打ちをしつつ顔を緋色から敵達に向けた。渋々と従いつつもすぐさま頭を切り替え、凍りついた池を踏み砕きながらイッカクモンに猛突進する。イッカクモンも大口を挙げて自慢の長い牙を振り上げる。トータモンは激突の直前に左前脚で思い切り地面を踏みしめ、それを軸に身体を回転させた。右サイドと後部に僅かに残った岩石のスパイクの、右サイドの部分がイッカクモンの牙と激突し、牙の軋む音とスパイクに僅かなヒビが入る音が両者の耳に届き二つの力は拮抗する。

“緋色はアイスデビモンを!倒せなくてもいい、足止めしてトータモンの邪魔をさせるな!”

ダルクモンの言葉にすぐさま従い、緋色は翼を羽ばたかせアイスデビモンに向って「全力疾走」する。アイスデビモンは腕から冷気を放ってトータモンを凍りつかせようとしていたが、自分に向ってくるピッドモンの姿に気づくとそれを中断し、相手に向き直ると何もせずにその場に滞空した。その顔に嘲笑うような嘲笑を浮かべながら。

「この…っ!」

その嘲笑に少し腹を立てながら、緋色はアイスデビモンに向って我武者羅にロッドを振り下ろす。アイスデビモンは含み笑いを漏らしながら、ひらり、とそれをかわした。頭上に向って避けたアイスデビモンに対し、緋色はロッドを下から上に向って振り上げるがまたいとも簡単に回避され、一気に距離を引き離された。

デジモンは肉体そのものに自身が持つ武器の使い方、技の名や使い方がある程度記憶されている。とはいえ、それはあくまで簡易的なものに過ぎない。ゲームの説明書に最終面までの詳細な攻略が載っているはずが無いように、間合いの取り方等と言った駆け引きや応用は自身が学んでいくしかない。飛行能力に関してはアイスデビモンとピッドモンではほぼ同等。二体はエンジェモンとデビモンという種族の亜種であり、その二匹も元は同じ種族だったという伝説が残っているほど、技に違いはあれど身体能力に大きな差はない。アイスデビモンに追いつけず、攻撃が当たらないのは緋色の間合いの取り方がお粗末であるからであり、戦いの場に立つのは3度目である故それは仕方がなかった。アイスデビモンは素人である相手を手玉に取り、本当は回避しながらトータモンに攻撃を加えられるところを、あえてギリギリまで引き寄せてからかわす事で弄んでいるのだ。

“緋色!熱くなるな!落ち着いて相手の動きをよく見るんだ!”

ダルクモンが言わずとも、緋色は落ち着いてこの状況では落ち着いて対処するのが最善策である事は分かっていた。しかし頭で分かっているからと言って、そう簡単に平常心がついて来る訳ではない。身を置いている場所が戦場ならば尚更だ。

「ハープーンバルカン!」

アイスデビモンがトータモンと取っ組み合っていたイッカクモンに目配せをすると、彼の頭頂部に生えていた角が発射された。トータモンの遥か頭上で円錐状の外郭を脱ぎ捨て、緑色の本体を露にした生体ミサイルは先端のオレンジ色のレンズのような器官でイッカクモンの脳波を受信し、空中で機動を変える。トータモンは自分の背のスパイクが無い部分を狙ってホーミングミサイルが発射されたと思い、わずかに残っているスパイクを撃って相殺しようとしたが、生体ミサイルはトータモンの頭上を飛び越え既に氷が解けた池の方へ向った。視線をそちらに動かせば、アイスデビモンに向ってロッドを振り下ろすピッドモンの姿が目に映った。ミサイルはその背に向っている。

「小僧!後ろだっ!」

トータモンが叫んで危険を知らせると、緋色は手を止めて思わず後ろを振り向く。その動作は、戦士と呼ぶにはあまりにも無防備過ぎた。後ろに注意を取られて大きな隙を作ったピッドモンに向けて、アイスデビモンは空気中の水分を凝固させて作った鋭い氷柱を放つ。

「!?」

敵の放った攻撃に前後から挟まれて、緋色の思考がパニック状態になる。落ち着いて動けばギリギリで両方とも回避できるかもしれない。そう思った次の瞬間にはピッドモンのスピードではもう回避できない距離、眼前にまで迫る。緋色の頭が真っ白になった。

“…駄目だ、避けられない。やっぱり僕が戦うなんて無理だったんだ”

“弱音を吐くな。戦うと決めたのは君だ”

“でも、この距離じゃ…!”

僅か一秒、いやそれ以下の時間の間に緋色とダルクモンの意識がそんなやり取りを行う。よく言われているところの、アドレナリンだか何かが分泌されて一瞬が何十秒、何分にも感じられるという奴だろうか。緋色は頭の片隅でぼんやりとそんな事を考えた。

“諦めるな。君の命だろう?最後の最後まで足掻いてみろ。もっと速く飛べるよう、足掻いてみるんだ”

“僕の、命…”

そうだ、ここで諦めたら死ぬのは自分なのだ。自分はまだ13歳になったばかりで、やりたい事や行きたい場所がたくさんある。それを諦めきれるか?全てを奪われる、あの絶望をもう一度享受できるか?答えは考えるまでもなかった。緋色は与えられた長い一瞬の中で、必死に足掻いた。翼を羽ばたかせ、前後から迫る凶弾から逃れようと身体を上昇させる。しかし緋色の、ピッドモンの肉体は周りの景色同様、スローモーション再生の映像のようにゆっくりとしか動けなかった。自身もまた、スローモーション再生される映像の一部なのだと思い知った。いくら低速で再生しようが、映像そのものが変わるはずが無いのだ。それでも緋色は諦めなかった。秒速1m、1cm、1mでも速く動こうと懸命に翼を羽ばたかせた。

“もっと早く!”

“もっと早く!”

その一念がピッドモンのDNAに、デジコアに刻まれている「技」の情報を呼び覚まし、その技の名が、使い方が緋色の脳ではなく四肢に、翼に、全身にいきわたる。スローモーションの映像の中から、ピッドモンが解き放たれた。

「ピッドスピード!」

無意識の内にそう叫んだ瞬間、緋色は回りの景色が一瞬にして下に向って流れ、気が付いた時にはミサイルも、氷柱も、アイスデビモンも自分の遥か真下にあった。そしてミサイルは氷柱を跳ね飛ばし、ピッドモンを見事策に嵌めて勝ち誇ったように笑っていたアイスデビモンに激突する。その嘲笑が崩れたのは、ミサイルが爆発し彼の五体がバラバラになってからだった。アイスデビモンは、相手は素人であってもデジモンと同じ力を持っている事を忘れてはならなかった。相手との力量の差を、「油断」と「必死」の二つの要素で何とか埋めることのできる程度のものであった事を見極められなかった事が彼の、ひいてはトータモンと組み合っているイッカクモンの敗因にも繋がった。

「シェル・ファランクス!」

池の上で起きた爆発にイッカクモンが気を取られている隙に、トータモンは相手の長い牙を受け止めている、甲羅の右サイドに残っていた二本のスパイクを発射した。岩石を削りだして作ったような無骨なスパイクは鋭さでは圧倒的に劣るものの、射出の勢いと重量・硬度でイッカクモンの牙をへし折り顔面を叩き潰すには十分な威力があった。さらにトータモンは前足でイッカクモンの巨体を蹴り飛ばし、追い討ちをかけるように他に残っていたスパイクを全て発射する。立派な白い毛皮も至近距離では衝撃を吸収するクッションの役目を果たせず、イッカクモンの肉体は岩石のミサイルによって押しつぶされて破壊されて絶命し、肉体が分解され粒子となっていく。

「フン、ヒヤヒヤさせやがって…」

消滅していくイッカクモンには一瞥もせずトータモンが振り向く。視線の先は池のほとりで膝をついているピッドモンだ。戦いの緊張感と初めて「ピッドスピード」を使った反動で心肺機能に大きな負担がかかっているのか、息が荒い。

「こんな短い時間の戦闘でこれかよ。そんな調子で使い物になるのか?」

立ち上がる事もままならないその様子を見て、トータモンが訝しげに言う。それに反論しようと、緋色のD・バックラーからダルクモンの立体映像が飛び出た。

「トータモン、彼は今まで戦いとは無縁の世界に住んでいたんだ。ピッドモンに変化した肉体はともかく、精神の方はすぐに慣れるはずがない」

それにトータモンが反論しようとまた嘴を開きかけたそのとき、池の水面が盛り上がった。同時にサーチモンからの通信が二人のD・バックラーに入る。

「まだ終わっていません!アイスデビモンのデジモン反応はまだ生きています!」

サーチモンがそう言い終えるかどうかのうちに盛り上がった池の水面が弾け、その中から爆発に巻き込まれバラバラになったはずのアイスデビモンが姿を現した。その体は継ぎ目もなしに繋がっているどころか、先ほどの2倍以上の大きさに巨大化していた。氷でできた体を持つアイスデビモンは池の水を凍らせて体の一部にすることで自らを再生させ、巨大化させたのだ。それを裏付けるかのように腹の部分には池の鯉が一匹閉じ込められていた。すでに敵が片付いたと思い気が緩んでいたトータモン、ダルクモン、そして緋色は想定外のイベントに直面し呆気にとられた。その隙を狙ってアイスデビモンは彼らに向かって腕を振り下ろす。トータモンはそれをシェル・ファランクスで迎撃しようとしたが、先ほどスパイクはすべて討ちつくしてしまった為、振り下ろされる長い腕を、トータモンを狙う鋭い爪を阻むものは何もなかった。



否。



先端に三日月型の飾りのついたロッドが腕と交差するような形で激突し、空中で腕が振り下ろされるのを阻んだ。横にしたロッドを両手で支えているのは他でもないそれの持ち主、ピッドモン…緋色であった。先ほどまで膝をついて息を荒くしていた緋色が、ダルクモンに言われるまでもなくすぐさま飛び上がって迎撃したのだ。しかしピッドモンの倍の大きさにまで巨大化したアイスデビモンのパワーに拮抗できるはずもなく、すぐに力負けして地面にたたきつけられ、勢いよく転がる。しかしピッドモンが間に入った事によって、トータモンがギリギリ爪の届かないところまで逃げる時間は稼げた。

「…素人にしては上出来だ。一応礼を言っておいてやる」

転がるピッドモンをトータモンは前足で受け止めると、もう片方の前足で足元に散らばっていた大きなコンクリートの欠片を蹴り飛ばした。細かく砕け散弾状になったコンクリート片の飛礫(つぶて)がアイスデビモンの顔の周りに飛び散った。ダメージを望めないが、アイスデビモンの隙を作るのには十分だった。

「小僧!ファイアフェザーだ!」

トータモンが叫ぶと、叩きつけられたダメージから回復し、すでに立ち上がった緋色が間髪いれずにそれに従った。ピッドモンの背中の二枚の翼が炎に包まれ、羽ばたきとともに炎が翼から離れ敵に向かって飛んでいく。無数の炎の矢の中の先頭の一発目がアイスデビモンのふくらはぎに着弾し、そこが溶けて抉れたように無残な姿になった。アイスデビモンはうめき声と苦悶の表情を浮かべると巨大な背中の翼を羽ばたかせ、真上に飛んで他の炎の矢を回避する。やはり氷像のような外見どおり、その体は炎に弱いらしい。ピッドモンの必殺技が敵に対して非常に有効であると確信した緋色は、さらにファイアフェザーを放とうと背中の翼に意識を集中する。

『リアライズリミット算出完了。残り60サイクル』

突然頭上から合成音声のアナウンスが響き、緋色の集中が中断される。アナウンスの発信源はトータモンの首に付いた彼のD・バックラー。敵のアイスデビモン達と違って、シールダーズには不完全なゲートシステムしかない。その為この世界にリアライズ…実体化していられる時間は限られているのだ。その制限時間はシステムのコンディションや本人の消耗の具合によって変動するが、制限時間を過ぎれば肉体を保てなくなったデジモンは消滅してしまう。緋色は戦いに集中している内に失念してしまったそのルールをようやく思い出した。

『リアライズリミット算出完了。残り180サイクル』

緋色が思い出すのを待っていたかのように、腰からぶら下げていた彼のD・バックラーもリミットを告げる。先にリアライズしていたトータモンよりも残り時間は多かったが、そう長くはない。確かな勝機を掴み、生まれたはずの余裕がまた焦燥に塗り替えられ、緋色はそれに駆られて空中のアイスデビモンに向かってさらにファイアフェザーを放つ。しかし先ほどよりも威力も正確性も数段落ちるそれは、アイスデビモンの羽ばたきによって巻き起こった小規模な、しかし強烈な冷気を孕んだ吹雪によって総てかき消された。さらにアイスデビモンはそのまま吹雪を起こしながら緋色達の頭上を横切って、公園の外へ向かう。

「野郎!!逃げる気かっ!?」

いてつく風に目を瞬かせながらトータモンが叫ぶ。シールダーズのデジモンがリアライズしていられる時間に制限があることに気づいたアイスデビモンは、それを利用して逃げ延びようとしているのだ。

「逃げる…?」

もし、ここでアイスデビモンを逃したら…その先は緋色には容易に想像できた。自分が身を持って体験した事が、どこかで繰り返されることになる。つぶやいた次の瞬間に緋色は自身を、大地を蹴る足を、空を蹴って身を運ぶ翼を「加速」させる技を再び発動させていた。

「ピッドスピード!」

再び、目に映る光景が猛烈なスピードで後ろに流れていく。技の発動中はスピードだけではなく動体視力も強化されるのか、目にも留まらぬ速さで後ろに流れていくはずのトータモンが、割れた街灯が、折れた街路樹が、いてつく風に混じった雪の結晶の一つ一つを鮮明に目に捉える事が出来た。そして自分が向かっているアイスデビモンの動きは異様なほど遅く、まるでスローモーション再生されているかのように見えた。追いつける。緋色がそう確信した次の瞬間、突然手足の感覚がなくなり、目に映る映像の再生スピードが元にもどった。

「な…にひ…」

何!?思わずそう叫ぼうとしたが、歯の値が合わず、正常な発音が出来なかった。文字通りの凍てつくような寒さを緋色が認識できたのはその後だった。アイスデビモンの放った吹雪は、遠距離ではせいぜい牽制程度の攻撃力しか持たないが、その冷気は本体に近づけば近づくほど急速に増していく。零距離から放てばデジモンですら一瞬で凍死させられるほどの恐ろしい冷気となるのだ。ピッドモンは急速に距離をつめた為さらに冷気による影響を受け、それほど近づいていない位置で手足や羽が凍りつき失速してしまい、そのまま地面に落下した。

「う、く…」

凍傷の火傷に似た痛みに耐えながら緋色が立ち上がると、すでにアイスデビモンの姿は小さくなっており、今まさに公園の敷地内から出ようとしていた。

「駄目だ…逃げられ…る…」

アイスデビモンから離れると氷はすぐに溶けてしまったが、ダメージは手足や羽にまだ残っている。さらにピッドスピードを二回も酷使した所為か、体が鉛のように思い。おまけにD・バックラーからは容赦なくカウントダウンの電子音が鳴り響いている。アイスデビモンを止められる要素は何一つないように思え、緋色の心は挫けて、思わず膝を突いて頭を垂れた。その瞬間、初めて聞くダルクモンの激昂した叫びが緋色の頭の中に響いた。

“頭(こうべ)を垂れるな!相手から目を反らしている者に勝機は得られない!”

叫びを聞いて、緋色は意識を奮い立たせて顔を上げる。やはり先ほどと変わらない、いやアイスデビモンの姿がさっきよりも小さくなった、町の明かりを背景とした公園の情景が目に飛び込んできた。だが変化はすぐさま起こった。夜空の黒、街路樹の緑、輝く町の明かりとアイスデビモンの青と言った視界を彩る色彩の中に、新たな「青」が加わったのだ。新たな青は飛行するアイスデビモンの周りに次々と浮かび上がり、それにまとわりついていきアイスデビモンの「青」に吸収されていく。そうやってアイスデビモンの「青」が肥大化していくにつれ、アイスデビモンの動きが目に見えて鈍く、飛行も不安定なものになっていった。新たに加わった「青」は人間の頭よりも大きな巨大な水滴。それらがアイスデビモンの体に次々とまとわり付いていき、冷気で凍らされて彼の体の一部となっていったのだ。一つ二つではともかく、無数のそれがデッドウェイトとして体の一部になれば重量で飛行が困難になるのは明白であった。

「アクエリープレッシャーッ!!」

夜の闇を切り裂き、高い叫び声と同時にどこからか放たれた凄まじい勢いの放水がヨロヨロと飛行していたアイスデビモンの体を直撃した。消防車の放水銃、いやそれ以上の勢いを持つ水流がアイスデビモンの体を吹き飛ばし、公園の敷地内まで押し返して落下させた。そして緋色達の元に飛来した放水の主は消防車と同じ色の衣に身を包んでいたが、放水銃の代わりに箒を持っていた。

「やっとリアライズできたわ。ダルクちゃん、緋色くん、大丈夫?」

「ウィッチモンさん!」

「私の技は『水の魔法』だからアイスデビモンに決定打は与えられないわ。ピッドモンの炎の技で止めを刺して!」

赤い衣に身を包んだ魔女のような姿のデジモン、ウィッチモンの言葉を聴いて緋色はすぐさま地面に落下したアイスデビモンに向き直る。水の魔法によって生まれた水滴を吸収したその体は、すでにイッカクモンと同じくらいの大きさにまで巨大化していた。しかしそれは均整の取れた巨大化ではなく、手足が胴体や翼に張り付くような形で凍り、さらにそれを覆うように「アクエリープレッシャー」で浴びせかけられた水が凍結して層を作っている。その姿はすでに氷の悪魔ではなく、巨大な氷塊のようにしか見えなかった。

「小僧に止めを任せるのか!?」

「トータモンはもう弾切れだしリミットももうないでしょ!グズグズしていると体が消えちゃうわよ!」

最後の「詰め」を素人である緋色に任せるのが不満なのかトータモンは意義を唱えたが、すかさずウィッチモンがそれを制した。確かにトータモンのD・バックラーに表示されている数字は30を切っており、背中のスパイクを打ちつくした彼には残されたわずかな時間でアイスデビモンを破壊できるような強力な技はない。あまり認めたくはなかったが、今は緋色に詰めを任せるのが最良の判断なのだと自分に言い聞かせ、トータモンは自分がリアライズした場所に精製された魔方陣…アップロードポータルに飛び込んで公園から姿を消した。

「ファイアフェザーッ!」

トータモンが帰還している間に緋色はこの戦闘を終わらせるための最後の一手を放った。ピッドモンの一対の翼から放たれた無数の炎の矢が身動きできないアイスデビモンに着弾し、前面を紅蓮に染め上げる。だが炎の矢は氷塊の表面を溶かしたものの、分厚い氷に包まれたアイスデビモンの本体には届かず、戦闘を終局に導く事は適わなかった。ウィッチモンの水の魔法は相手の冷気を利用して動きを封じることには成功したが、それと引き換えに相手に強固な氷の鎧を与えてしまったのだ。

「くっ、もう一度…!」

氷塊からはみ出したアイスデビモンの腕が放った無数の氷柱の迎撃も兼ねて、緋色は再びファイアフェザーを放とうと翼に力を込める。すると突然視界がゆらぎ、足が縺れた。

「危ないっ!」

倒れそうになったピッドモンに飛来する氷柱郡に向かって、ウィッチモンは大きな水の塊を投げつける。水の固まりは氷柱と高速で衝突してはじけ飛び、氷柱はピッドモンに直撃する軌道をそれてあちこちに飛び散った。

“技を使いすぎたんだ。今の君の体力ではこれ以上…”

緋色はロッドで体を支えながら、朦朧とする意識を必死で保とうとする。全身が鉛のように重く、それに引きずられて意識も深遠の底に沈んでしまいそうだった。

『リアライズリミット、残り60サイクル』

D・バックラーのアナウンスが頭の中を左から右へ抜けていく。立っているのも辛かった。

「ゼロ…フリーズ…」

氷塊の奥に見えるアイスデビモンの赤い双眸が緋色達の姿を睨み付けたとき、猛烈な吹雪が彼らを襲った。氷塊からはみ出た翼は肥大化した体を浮かせることこそ出来なかったが、攻撃に使うことなら余裕で行うことができた。

「目を…反らしちゃ…いけないんだ!」

緋色はダルクモンの言葉を反芻しながら、重い体に鞭を打ち立ち上がる。吹き付ける冷気が切り裂くような痛みを与えたが、それをこらえながら巨大な氷塊を、中にいるアイスデビモンを、その赤い瞳をにらみ付ける。何度自分が「もう駄目だ」と思っても、ダルクモン、トータモン、ウィッチモン…シールダーズのデジモン達に助けられて生き延びることが出来た。そしてダルクモンは「敵から目をそらす者は勝機を得ることはできない」と言った。体が重くて痛くて今にも倒れそうで、それに時間もない。「もう駄目だ」と口にしそうだった。だけど、勝機は、希望はかならずある。そう信じて敵から目をそらさなければ必ず見つけられる。緋色はロッドを地面に突き立て、吹雪に向かって仁王立ちになった。


負けるわけにはいかない。自分をシールダーズの一員にしてくれたジャスティモンの為に。


負けるわけにはいかない。自分の命を救い、今は命を預かっているダルクモンの為に。


負けるわけにはいかない。自分と同じ目にあうかもしれない、見知らぬ人達の為に。


緋色は考える。アイスデビモンの氷の鎧を一瞬で貫き、中の本体を砕く手段を。


「炎を集中させて…貫くんだ!」


その考えにたどり着いたとき、緋色は無意識の内にロッドを地面から抜き、両手で水平に構えていた。戦おうという意思。立ち向かうという強い意志。「戦闘種族」であるデジモンの、ピッドモンの肉体がその意思に答え、三つ目の技の使い方を蘇らせる。先端に三日月の飾りの付いた金色のロッドを両手で回転させる。一週毎に回転の速度は増していき、やがてロッドの両端に小さな種火が灯る。種火は回転の速度とともに大きさを、明るさを、熱さを、激しさを増していきやがて紅蓮の竜巻となっていく。

「アポロントルネードッ!」

ピッドモンは手に炎の渦を携えたままアイスデビモンに突進する。真紅の螺旋が吹雪を焼き、氷柱を弾き、冷気を切り割いて突き進んでいく。氷越しにそれを見ていたアイスデビモンの双眸が、恐怖に歪んだ。そして巨大な氷塊に到達したピッドモンは炎の竜巻で氷塊を溶かし、掘り進んでいく。そして瞬く間に氷のトンネルが開通し、ピッドモンが氷塊の中から飛び出た。

「つっ!」

今の攻撃で力尽きたのか、氷塊の中から飛び出すと同時に炎の渦が消えバランスを崩してピッドモンは頭から地面につっこんで倒れた。吹雪も炎も止まり、静寂の訪れた公園にD・バックラーのカウントダウンの電子音だけが鳴り響いた。数秒間の間をおいて、大穴を明けられた氷塊…アイスデビモンが音を立てて粒子化していき、夜空の虚空へと消えて行く。

「…アイスデビモンの反応、ロストしました。ピッドモンとウィッチモンを除くデジモン反応、ありません」

ピッドモンの腰に下げられたD・バックラーにサーチモンの声が届いた。ピッドモンは、緋色は仰向けになって胸を大きく上下させながらそれを聞く。

“よくやったな。さぁ、早く戻るんだ。カウントが既に20を切っている”

ダルクモンの言葉に従い、「変身を解除する」と強く意識するとピッドモンの肉体が光の螺旋に包まれ、13歳の少年、緋色の姿に戻る。ピッドモンの時に受けた凍傷などの怪我は残っていなかったが、変身しているときよりも疲労が倍増しているように感じられた。

「すごいわね、緋色くん!」

箒に乗ったウィッチモンが緋色の傍まで降りてくると、彼女は興奮気味な様子で緋色を抱きかかえた。ローブ越しに豊満な胸が頬に当たって緋色は思わず顔を赤くする。

「まだ小さくて、しかも人間なのにアイスデビモンに正面から立ち向かうなんて…勇気があるのね」

賞賛の言葉を述べながら、ウィッチモンは緋色の頭を撫で、頬に軽くキスをした。

「フフッ、これは緋色君の初勝利のオ・イ・ワ・イ♪」

顔が熟れたトマトのように真っ赤になった緋色を見て、ウィッチモンはそう言ってクスクスと笑う。するとD・バックラーからダルクモンのホログラムが現れ、あきれたような顔で口を開いた。

「からかうのはそのくらいにしておけ、ウィッチモン。五感を共有しているから分かるが、彼は今歩けないほど疲労している」

直後、D・バックラーに通信が入りダルクモンの代わりに別な立体映像が映し出される。シールダーズの総司令官、ジャスティモンだ。

「よくがんばってくれた、緋色くん。君のおかげでトータモンの怪我が比較的軽傷ですみ、早期にアイスデビモン達を倒すことが出来た。シールダーズを代表して礼を言おう」

そう言って立体映像のジャスティモンは緋色に向かって頭を下げる。ダルクモン達が深く尊敬しているであろうジャスティモンに頭を下げられたのはこれで二度目だ。一度目のときはこそばゆいような、申し訳ないような気分であまり心地のいいものではなかったが、今はその他にどこか誇らしい、胸を張って賛辞を受け止めたくなる高揚した、どこか心地のよい気分だった。

「ありがとうございます…でも、結局はトータモンさん達が…」

言葉の途中で、緋色の意識がまどろみの中に落ちていく。今にも寝息を立て始めそうな緋色を見て、ウィッチモンが何かを思いついたような顔でジャスティモンに提言した。

「総司令、私が緋色君を家の近くまで送っていきましょうか?私はリアライズしたばかりだから時間もまだたくさん残っていますし、魔法で人間達に気づかれないようにやれますし」

そう言うが早いか、ウィッチモンは緋色を両手で抱き上げると箒の上に横向きに座り、空中へ浮かび上がった。

「うむ…緋色君の体は相当疲労が溜まっているようだから。家の近くまで送っていってくれ」

ジャスティモンもその提案を受け入れ、通信を切った。ジャスティモンの立体映像が消えると同時に、箒は自動車程度のスピードで宙を滑るように飛んで行く。

“家の場所は私が君の体を借りてウィッチモンに教えておくから、君は安心して寝ていてくれ”

ダルクモンが言うまでもなく、緋色の意識は今まさに眠りに付くところだった。意識が眠りに落ちる直前、緋色の眼科に何色もの灯に彩られた夜の街の姿が目に飛び込んできた。

 

デジモン達と戦うってことは、この灯を守るって事なんだな…。

 

そんなこと思いながら、緋色はウィッチモンの腕の中で眠りにつく。こうして7月22日は、長い夏休みの一日目は、泉戸緋色の13歳の誕生日はようやく幕を下ろした。







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