地面に大の字に倒れこんだ体は、指一つ動かせなかった。

 

体を地面に縛り付けているのは涙も出ないほどの痛み。そして恐怖、絶望。

 

正面から、つまり真上から巨大な塊が迫ってくる。あの大きさなら自身を満遍なく、綺麗に押しつぶし、その際手足が無様にはみ出ることも無いだろう。この状況下で如何程の希望が持てようか。「未来」は愚か「明日」も、数秒先の時間すらも自分には残されていないのだ。思考の全てがマイナスのベクトルで塗りつぶされる。後悔、怒り、恨み、妬み…いや、そんなに多くの言葉が必要なほど複雑ではない。自分は幼いのだから、一言で十分だ。

 

 

『恐怖』の二文字以上の言葉を並べても、陳腐なだけだ。

 

 

 

だが、この後に起こった事は二文字で済むほど単純な展開ではなかった。そう複雑でもないのだが。流星のように飛来した影が塊の側面に激突して、塊は真横に吹っ飛んでいった。至極分かりやすい展開だ。

 

「大丈夫か?」

 

傍らに立った長身のその影は、まるで聳え立つ灯台の様にも見えた。今まで見た中で一番高い建物が灯台だからそう感じた。如何なる嵐の中でも倒れることなく、船乗り達の行く道を照らし続ける灯台の様にと。瓦礫が積もった灰色の世界を切り裂くように映えるスカイブルーと白の鮮やかなスーツ。そしてそのスーツすら引き立て役に貶めるほど強く自己主張する、風になびく真紅のマフラー。幼いとはいえ当に現実と虚構の区別のつく年頃だったが、目の前にいるデジモンを形容する言葉に「ヒーロー」以外の言葉は見つからなかった。

 

 

これが私と「父」の出会いの瞬間だった。











Scarlet Hero

“陽炎の六人”


水棲獣人型デジモン ダゴモン
"世界の改定者"へキサゴンへブンズ
登場









「…ルクモン!…ダルクモン!!」

自身の名を呼ばれてダルクモンの意識が夢から覚醒した。しかし全身を苛む鈍痛は夢ではなく、思わず痛む腕を押さえる。

“思わず腕を押さえた?私の肉体は既に失われているのに?”

自分の体を見てみれば、翼を持った天使型デジモンのそれではなく、人間の少年の物。自分が肉体と引き換えに命を救った、泉戸緋色の肉体。五感は共有しているものの肉体に宿るダルクモンの精神は普段は肉体に干渉することが出来ない。彼女が今宿っている肉体の主導権を握ることが出来るのは、元の持ち主である緋色の意識が眠っている間だけだ。

「緋色は…今の攻撃で気を失ったのか」

口調は己のものでも声は他人の、緋色の物であるその言葉が自分の耳に届いたとき、ダルクモンはようやく気絶する前の状況を思い出す。ピッドモンに変身した緋色は地下鉄のトンネル内でダゴモンと戦い、捕まったクラスメイトの五十鈴唯菜を助け出そうとしたところを無数の触手で返り討ちにあい、地面に叩き落されたところで極太の触手が振り下ろされようとしていたことを。

「そうだ、ダゴモンは…!!」

思わず頭上を見上げると、気絶する前に最後に見た映像がそのまま残されていた。触手をより合わせて作られ、先端を拳のように丸めた極太の触手は動きを止めている。一本一本脈動していて怖気が走るほど気持ち悪かった触手郡が、ビデオの静止画かまるで写真のように静止している。

「ダルクモン!大丈夫か!?」

静止、と言うよりも「停止」しているダゴモンを乗り越えて、トータモンがぬっと顔を出す。ダゴモンの体は柔らかいはずなのに、重いトータモンが圧し掛かってもへこみもしない。その光景はまるで出来の悪い合成写真を見ているようでいささか気分が悪かった。

「ああ、大丈夫だ…緋色の意識はまだ気を失っているようだがな」

「ケッ、坊主の野郎、無謀な真似しやがって。ダルクモンの命を預かっている自覚があるのかよ」

そう毒づくトータモンを見て、ダルクモンは表情を一瞬曇らせる。緋色がダルクモンに対して引け目を感じているときに見せる表情と同じだ。

「捕まっている人間の少女はどうなった?緋色の同級生の…」

「ここよ」

停止したダゴモンの真上に浮かんでいたウィッチモンがそれに答えた。横転した車両の下敷きになっていた彼女だが、ダルクモンが気絶している間に自力でそこから脱出したらしい。怪我をして頭から血を流しているものの命には別状は無いようだ。デジモンの肉体は人間のそれよりもはるかにタフであり、人間に近い姿のウィッチモンもそれは例外では無い。

「これは…?」

触手の塊であるダゴモンの体の、頭部に近い部分に唯菜の体は埋まっていた。触手の塊の中から抜け出そうと腕を伸ばした体制のまま、ダゴモンと同じように固まっている。

「さっきから何度も引っ張り出そうとしているんだけど、この子も周りの触手もビクともしないの」

「ふむ…」

ダゴモンの体に触れてみると、海洋生物を連想させる軟体の触手は硬く、海水か何かで常に湿気を帯びているはずの表面からは乾いた手触りが返ってきた。生物の体だと言うのに温かくもなく、かと言って金属のような冷たさも無い。とっさに「無温」という造語が頭の中に浮かんだ。有機物のそれとは違い、かと言ってどの無機物にも似ていない奇妙な物質へと変化したダゴモンを触っていると、妙に不快感がこみ上げ、あまり長く触れている気になれずダルクモンは手を引っ込めた。触って確かめてみるまでもなく、唯菜も同じ状態なのだろう。

「このまま破壊して倒すことは出来ないのか?」

「駄目ね。頭を狙ってトータモンと一緒に何度も攻撃してみたけど傷どころかへこみすらつかないわ」

「こいつが急に動かなくなったのは好都合だけどよ、何をしてもビクともしないんじゃどうしようもねぇぜ」

トータモンはもううんざり、とばかりに頭を振る。リアライズリミットも迫っていることだし、撤退しようぜ、と言葉が今にも口から出てきそうな様子だ。

「リミットも迫っているし、一旦撤退したほうがよさそうだよ。ダゴモンは当分動き出しそうに無いし、その間に解析を進めたり対策を練るべきじゃないの?」

サーチモンからの通信が、トータモンの言葉を代弁した。すぐさまトータモン、そしてウィッチモンが賛成の意を示す。彼女もトータモンほど露骨に表には出さなかったものの、内心同じ事を思っていたのだろう。

「…ダルクモンはどうする?」

総司令、ジャスティモンがダルクモンに通信で問いかける。撤退に特に反対する理由は無い。リアライズリミットが迫っている二人はもたもたしていては肉体が消滅してしまうし、何よりあのままでは全滅必死だったダゴモン戦を対策を立ててやり直す絶好のチャンスである。だが―――――ダゴモンに捕まっている唯菜を放置していく事を、今は気絶している自分の宿主は何と思うだろう?異形の触手に絡めとられ、その顔を恐怖に歪め、助けを求めるように手を伸ばした状態で固まっている級友。それを放置していく事に対して。ダルクモンは司令の問いに、僅かな、ほんの僅かな間を置いて―――――――撤退に賛成した。

 

 

 

 

 

「ひゃうっ!?」

シャワーから降り注いだ水はまだ冷たく、肌を刺すような水滴の感触に思わず身を竦めてしまった。そういえば、この体の持ち主も同じことをしていたっけ。いつもお湯が温かくなる頃にはそそくさと体を洗い終えてしまい、それが隅々まで洗っていないように感じられて少し気持ち悪かった。だから今、肉体の主は私だけなのをいいことに体を念入りに洗わせて貰おう。たっぷり時間をかけて隅々までスポンジで磨き、シャワーで一気に全身の泡を落とす。昔から訓練や任務を終えた後の楽しみにしていたこの行為を、数日振りにおこなえてすこぶる気分が良かった。習慣に従ってまだ泡が残っていないかと鏡に視線を移すが、そこで爽快だった気分が曇る。鏡に映っているのが自分の顔ではないからだ。他人の肉体に間借りする様になってから数日立つが鏡を見る度に、この奇妙な、感覚だけ共有し肉体の主導権を他人に任せる異様な感覚…不快感に慣れる日がくるのだろうかと少し不安になる。シャワー室の大鏡に映る私の姿は、本来の肉体よりも背が低く、体のラインの起伏も少ない人間の少年の物。当然筋力もデジモンのダルクモン種と比べ遥かに劣るのが体で分かる。同じ細腕でもずいぶん頼りなく、少し落ち着かない。鏡に映る幼さをまだ色濃く残した少年の顔は、どんよりと曇っている。こんな顔ではみんなの前にでられないな、と表情を引き締めてみると目元がつりあがり幾分かは元の私の顔に近い顔つきに見えた。そこでふと、宿主の少年がよく見せる屈託のない笑顔を思い出す。すると鏡の中の少年はまた表情を曇らせた。



一つ、宿主の少年…緋色に対して秘密にしていることがある。それは私、ダルクモンがシールダーズとして戦っているのは、自身の肉体を犠牲にしてまで緋色の命を救おうとしたのは――――――――――――――――人間を守りたいからではない、と言うことだ。オーパーツ管理局が襲撃されゲートシステムが強奪され、何者かがリアルワールドで事を起こそうとしていた頃、デジタルワールド政府、通称G.O.D.Wは所詮対岸の火事と積極的な対策をとろうとしなかった。政府の高官達にとって、行ったこともない遠い世界の価値などその程度のものでしかなかったのだ。ただ一人だけ、ジャスティモンという例外を除いては。ジャスティモンは自身の資産の全てを投げ打ってリアルワールド防衛組織「シールダーズ」を設立し、不完全ながらゲートシステムを備えた浮遊司令部・イージスゲートを建設した。そしてゲートが不完全なためリアルワールドに行けない自分に代わって人間を守り戦う隊員を、軍の一部から極秘裏に募ったのだ。

 

集まったのは僅か4人。ウィッチモン、トータモン、サーチモン、そして私。一般のデジモン達には事件や組織の存在を徹底的に隠蔽することを条件に政府の認は得たものの、それ以上の支援は得られなかった。その為褒賞も名誉も期待できないこの組織に他の3人が何を思って志願したのかはわからない。だが、自分が志願した理由ははっきりと断言できる。幼い頃の自分を助け、育ててくれた「父さん」の為だと。ジャスティモンが、父さんが何故私財を全て投げ打つ程人間に肩入れしているのかは私には分からない。重要なのは、私が父さんの役に立つことが出来るということだけだ。これ以上の喜びはない。人間に情などないが、父さんのためなら命を投げ打って惜しくない覚悟をしてきたつもりだ。


だから、肉体を投げ打ってまで緋色を救ったのも、緋色を救うためではない。リアライズリミットを過ぎて消滅しかけていた私が生き残る為と、「人間を守る」という父さんから与えられた使命を遂げる為に過ぎなかったのだ。私は緋色が思うほど高潔で、自己犠牲精神に溢れた人物ではない。今もダゴモンの触手に向かっていくことを、死を恐れ臆してしまった。私と緋色は、目的は一致しているが動機が異なる。緋色は純粋に人間を、同属を、近いしい人を守りたいからだろうが私は違う。突き詰めれば人間の安否など私の中では優先順位の低い事柄でしかないだろう。先の私の意志と緋色の意志の不一致がその結果だ。危険だろうが構わず人間を助けに行った緋色と、危険に臆して撤退を推した私。今日は運よく助かったが、この不一致はいつか命取りになるだろう。人間に守る程の価値を見出せぬまま戦いを続ける事に、私は不安を感じずにはいられなかった。

 

 

 

「それではこれから地下鉄内にリアライズし、現在その動きを沈黙させているダゴモンの対策についてミーティングを始める」

ダルクモンがシャワー室を出た頃にはちょうどサーチモンがダゴモンの解析結果を出したところだった。トータモンとウィッチモンの傷の治療もまもなく終わり、全員が司令室に集まったところですぐにミーティングが行われた。

「ま、簡単には言えばリアライズに失敗しちゃったわけだね、あのダゴモンは」

サーチモンがキーボードを操作すると空中にウインドウが浮かび上がり、それにダゴモンの解析データが表示される。巨大なウインドウの上を流れるレポートには専門用語が多く、そういった知識の無いダルクモンには何が書いてあるのかよく分からなかった。

「リアライズの際はデジタルワールドからデジモンの構成データをリアルワールドにダウンロードしてから、それをリアライザーで実体化させるわけだけど、このダウンロードの段階で完全にダウンロードがされていなかったんだね」

「体の部品が足りない状態だった、ってわけか?」

「まぁそんな感じ。それどころか実体化したデータがきちんと結合していないから、あのままだと何かの拍子にバラバラになる可能性もあったわけ」

「クソッ、それならもっとガンガン攻撃してやりゃ良かったぜ」

トータモンが軽く地団駄を踏みながら、苛立たしげに悪態を付いた。司令室が揺れたが皆慣れているのか、誰一人顔色を変えない。

「そこで敵のゲートシステムのセーフティが働いてダゴモンを、密着している周りの物体ごとフリーズさせたみたい。この状態になったらデータの状態は常に一定の状態を維持…つまり動きもしなければ崩れもしないってこと。よほど強力な攻撃じゃない限り傷一つつけられないよ」

「こちらからフリーズ状態を解除することは?」

ウィッチモンの言葉を聞いて、サーチモンはすかさずキーボードに指を走らせる。先に出たウインドウよりも小さなそれが最初に出たものに重なるようにして現れた。横向きのバーのようなものが表示されており、全体の3分の1以下のところまでバーの色が変わっている。非常にゆっくりとだがバーの変色部分は増えて行っており、数時間後には完全にバーの色が変わっているだろう。

「残念ながらない。けれどこの状態でもゆっくりとだけどダウンロードが続いているから、夜になる頃にはそれが終わってフリーズ状態も解けるよ。ただし、そうなったらさっきよりも強くなったダゴモンを相手にしなきゃいけなくなるけどね」

束の間の休息が終わる時間を告げられ、そして先程よりもより協力になったダゴモンを相手にしなければならないとわかり、一同に緊張が走った。

「それを相手にする方法を今から考えるんだ。大丈夫だ、時間はたっぷりある」

総司令、ジャスティモンは皆の不安を緩和するためか、事もなさげにサラリと言い放つ。その言葉にトータモンとウィッチモンは顔を引き締めなおしたが、ダルクモンの表情は曇ったままだった。ミーティングが始まる前から、シャワー室を出た時からずっと浮かない表情をしている。

「…ダルクモン、君は緋色君の家で休んでいてくれ。その体も疲れている筈だからな。D・バックラー越しでもミーティングは出来る」

「いえ、大丈夫です。ミーティングなら問題ありません」

「緋色君の意識が目覚めていないとピッドモンに変身することは出来ない。頭数は一人でも多いほうがいいだろう」

断れない理由を体よく見つけられ、ダルクモンは返す言葉を失う。シールダーズの一員である以上、規律を重んじる彼女はあくまで上司と部下としてジャスティモンと接している。しかし彼女が父と慕うほどの時間を共に過ごしているだけ会って、何を考えているかは大概お見通しのようだ。ダルクモンは大人しくゲートの入り口である司令室中央のサークルに歩みを進めた。

「ダルクモン」

不意に、部屋の中央へ向かうダルクモンの背にジャスティモンが声をかける。

「緋色くんの目を通して見て来たものを思い出してみるといい。それに君は見覚えがあるはずだ。」

 

 

 

 

不意に、視界が揺れた。頭が重い。頭蓋骨の中に熱がこもっているような感覚。危うくアスファルトの上に倒れこみそうになるが、何とか塀にもたれて強かに頭をぶつけることは回避する。…リアルワールドに戻った途端これか。熱があるようだ。それも立っていられないほど酷いものが。吐き気もする。原因は何だろう…ダゴモンがウイルスでも持っていたのか?いや、そうでなくとも人間と融合したデジモンの前例など、伝説の中にしか残っていない…何時体に異常が起きてもおかしくはないのだろうか。いや、原因を考えるのは後回しでいい。熱に浮された頭で考えたところで分かる筈もない。兎に角今は自分が寄りかかっている塀の中、少年の家に入って休む事を考えよう。あと数歩で玄関に辿りける。と足を踏みだそうとしてみたが、力が入らず塀に背をつけたまま私はゆっくりと倒れてしまった。まずい、そのうえ強い眠気まで襲ってきた。視界がぼやけて意識が遠のいていく。

「緋色くんっ!?」

不意に聞こえた叫び声が、眠りを妨げた。足音が近づき、誰かが体を抱き起こす。額に当てられた手のひんやりとした気持ちのいい感触が、朦朧としていた意識をよりはっきりと覚醒させる。クリアになった視界に見えるのは、心配そうな顔をした人間。少年よりも背が高い、大人の女性だ。たしか…隣の家に住んでいた皐月、という人間だったか。

「こんな格好でどうしたの?凄い熱だよ?」

こんな格好、というのはエプロンをかけて三角巾を被っているから出た言葉だろう。私の知る少ない人間の知識に照らし合わせてみても、この格好は外出するのに適当とは思えない。道端で高熱を出して倒れていたら、どんな格好であれただ事ではないと誰でも思うだろうが。

「だい…じょうぶだ…心配はいらない…」

事情を話すわけにもいかず、私は目の前の人間に詮索は無用という意思を示した。少年との口調の違いに一瞬怪訝そうな顔を見せたが、今の頭では口調まで気を配れそうに無い。

「とてもそうには見えないわよ。家まで肩貸してあげようか?」

「平気…一人でいける…」

朦朧とした意識が少し回復したので、玄関まで数歩歩くだけなら大丈夫だろう。そう思い私は立ち上がろうとしたが中腰になったあたりでまた眩暈が襲った。頭痛も吐き気もぶり返して、足が縺れる。硬いアスファルトにぶつかる痛みを覚悟していると―――――不意に、柔らかいものが体を受け止めた。

「全然大丈夫じゃないじゃない!」

私は、彼女の胸に体をうずめる形で支えられていた。そのまま私をおぶさると、少年の家の玄関に向かって歩いていく。抗おうとしてももう手足がいうことを利かない。動くことには動くが、力が入らない。こうして他人の手を煩わせるのはとても不本意なのだが…悪い気がしない。なんだか懐かしい感じがして、心が安らぐ。少年やその家族と馴染みが深い彼女は、玄関の鍵の隠し場所や少年の部屋の場所など、全て知っているようでまっすぐに私をベッドの元までおぶさっていった。私をベッドの上におろし布団をかけると、ふう、と一息つきながら自分の肩を軽く叩く。

「久しぶりに緋色くんおんぶしたけど、大きくなったねぇ。友達の勝山くん達に比べたらまだ背が少し低いけど、これからどんどん伸びてくのかな」

何だろう、既視感を感じる。とても覚えがあるような気がするのだ。今の言葉も、彼女の笑顔も、先ほどの「おんぶ」も。それから彼女は「ちょっと待ってね」と言って階下へ向かい、しばらくして氷の入った水差しとコップ、それと何かの箱を持ってきた。箱に書いてあるイラストや商品名から見て、熱を出している病人の額に張って冷やすものらしい。彼女は箱の中から長方形の、布で出来たそれを取り出して右手で掴むと、左手を私の頭に伸ばす。何故何も持っていない左手を?熱でよほど頭の回転が鈍っていたのか、私は彼女の指が三角巾の布ごしに「それ」に触れるまで気付かなかった。まずい。私は力を振り絞って、弱弱しく彼女の左手を掴む。額に何か張ろうと思ったら三角巾は邪魔だから取り払おうとするだろう。その行動自体には別段問題はないが、取り払われた三角巾の下にあるもの…頭から直接生えている、「羽」を見られるのだけは避けなければならない。私と少年が融合した影響によって出来たそれを見られたら、それを誤魔化すのは非常に難しいだろう。幸いにも彼女は布ごしに触れた羽にも気付かず、すこし怪訝な顔をしただけで三角巾から手を離してくれた。三角巾の額の部分を少しずらし、そこに冷却シートを張ると彼女は

「ごめんね、私は用事があるから付きっ切りで看病することはできないわ。家にお母さんがいるから、何かあったら電話してね。後でお父さんと一緒にお医者さんにいくのよ?」

そう言って部屋を後にした。後ろ髪を惹かれるような思いだ、とでも言いたげな表情をしていたが、むしろ私としては好都合なんだ、すまない。一人でいられる分、誰かに秘密を知られる心配をしないで休むことが出来るから。念の為に部屋に鍵をかけてから、私はベッドに戻って目を閉じた。熱はまだ引いていないというのに、自分がとても安らいでいて、充実した気分でいることが何故かよく分かる。緋色と融合してからこんなに安らいだ気分になるのは初めてで、私は静かに驚いていた。見知らぬ土地で、懐かしい感覚に出会えたからだろうか?「おんぶ」してもらって、「大きくなったな」って言われて、看病してもらって…。みんな大好きな父さんとの、懐かしい記憶だ。

 

 

 

 

 

緋色が目覚めたとき、そこは暗く冷たい地下鉄のトンネルの中ではなく、夕日の差し込む暖かい自室のベッドの中だった。一瞬状況が飲み込めずに呆けた表情をするが、すぐさま意識を失う前の状況を思い出す。そして叫んだ。

「いっ、五十鈴さんは!?」

“大丈夫だ、怪我一つしていない…今のところはな”

ベッドから飛び起きた緋色の精神にダルクモンが直接語りかけ、彼が意識を失っている間の事を手短に説明する。ダゴモンがフリーズ状態である事、それに五十鈴唯菜が巻き込まれ、取り込まれている事。そして緋色よりも少し早く目覚めた自分が教えてもらった、唯菜の救出作戦の概要を。このとき、熱を出して皐月に看病されたことは省いた。ダルクモンが寝ているうちに熱はあっという間に引いてしまったので当面は問題ないからということもあるが、今はそれの説明に割く時間すら惜しかったのだ。

「あと20分もしないうちにダゴモンがフリーズから復帰するって!?」

“そうだ。君が寝ている間にサーチモンが正確な数字を出した。どうする?この作戦では私達が一番危険に晒される。より強くなったダゴモンに超接近戦を挑むことになるぞ”

「…迷っている時間なんてないよっ!行こう!」

そう言って緋色はエプロンと三角巾を脱ぎ捨て、冷却シートを剥がすとポケットにいれてあったD・バックラーを取り出す。D・バックラーの液晶画面から光が放たれ、部屋の中に電子基盤の模様の魔方陣が描かれた。デジタルワールドへのゲートの入り口となる、アップロードポータルだ。緋色がそこに飛び込み姿を消すと同時に、泉戸家に足を踏み入れるものの姿があった。

「ただいまー!緋色ぉ、今日は仕事が早く終わったからお土産買って帰ってきたぞぉ!」

満面の笑みを浮かべて玄関をくぐったのは、緋色の父の葵。額には汗が浮かび、息を切らしている。緋色の喜ぶ顔が早く見たいとばかりに、急いで帰ってきたのだ。入れ違いになるとは露にも思わずに。

「…ひ、緋色?」

13年間ずっと、帰宅する自分を真っ先に出迎えてくれた息子の姿は何時までたっても現れない。夕食の支度中で手が離せないときも、台所から「おかえりなさい!」と言う声が元気よく聞こえてきたのにそれもない。当然のようにそこにあったものが突然なくなり、葵は眩暈がするほどの不安感に襲われた。

「緋色ー、父さん帰ってきたぞー…」

先程よりも大分勢いのそがれた声で呼びかけながら、葵は台所を覗く。夕食の支度をする緋色の後姿はない。薄暗いキッチンは綺麗に片付けられた食器とあいまって、酷く寂しげな光景に見える。まるで彼の心象風景のようだった。ますます不安を掻き立てられ、葵は早足で緋色の部屋の前へ向かう。

「ひーいろぉ!お土産買ってきたぞ!何だと思う?なんと、うな重だ!」

ドアをノックしながら、大声で葵は呼びかける。半ば悲壮感すら感じられる叫びだったが、誰もいない部屋に向かって呼びかけたところで反応が返ってくるはずもない。いてもたってもいられなくなり、守るは「入るぞ」と一声かけてからドアノブを掴んだ。

――――――鍵が、かかっている。そう気付いた瞬間、一瞬目の前が真っ暗になった。卒倒すらしそうになったが何とか意識を保ち、壁に寄りかかって倒れるのを阻止する。

「緋色…今まで部屋に鍵なんてかけたこと無かったのに…何故…」

酷く青ざめた顔で、しかし外にいるとき以上に汗を浮かべながら泉戸葵は呟いた。

 

 

 

シールダーズの一員となったとき、父さんが皆に言った言葉。

『人間も我々と同じだ。大切なものを皆持っている。それらが理不尽に奪われることがあってはならないんだ、絶対に』

今ならその言葉の意味を、頭ではなく心で理解できるような気がする。同じ暖かさを、人間からも感じられた今なら。思い返せばあの少年の肉体を通じて体験した彼の人生の一部は、彼とその周りの人々の幸せは、私が感じてきた幸せとなんら変わりの無いものであったと思う。家があって、友達がいて、そして家族がいる。その幸せが理不尽に奪われるような事を、許すわけにはいかない。

“怖く、ないのか?”

私は少年に呼びかける。暗いトンネルの中、ピッドモンに変身し、まもなく目覚めるダゴモンと対峙している少年に。

“…ごめんなさい。怖いよ。今までもそうだった。”

無理も無いだろう。ほんの数日前まで戦いとは無縁の場所にいたのだ。むしろこうして敵と向かっていられるだけ大したものだろう。だけど、この子は今戦場に立っている。今までも自ら戦いに臨んできた。自分の大切なものを、多くの人の大切なものの為に命を懸けてきたのだ。

“…私も怖い”

「え…?」

心底意外そうな声を漏らし、それがピッドモンの表情にも表れる。隣にいたウィッチモンがそれを見て怪訝そうな顔をした。

“だけど、命を懸けよう。君と同じように、あの子の為に、人間の為に”

そう、今なら命を懸けられる。この子を、人間を愛おしいと思えた今なら…!

“ダルクモンさん…?”

“ダルクモンでいい。そろそろ時間だ。気をひきしめろ”

私に促されてピッドモンの表情が引き締まり、ダゴモンを睨む。ウィッチモンが横転している電車の陰に身を隠し、ダゴモンがフリーズから復帰するまでのカウントを始めた。

「10、9、8、7、6、5、4、3、2、1…」

“今だ、緋色!”

「はい!ピッドスピード!」

カウントが0になる前の瞬間、ダゴモンが復帰するほんの一瞬前にピッドモンは自身を加速させる技を発動し、目覚めるか否かの瞬間にダゴモンに肉薄する。相手は、自分がフリーズした事を知覚していない。目覚めた瞬間、相手の思考は数時間前の戦闘の渦中にいるだろう。時間がいきなり飛んでいることに気付くまでの相手の隙。救出作戦はそこを狙ったものだった。

ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!

ダゴモンが複数の触手を束ね合わせて作った「腕」を何も無い地面に振り下ろす。その瞬間に、人間の動体視力では捉える事の出来ないほどのスピードまで加速したピッドモンは既にダゴモンの首元の触手に囚われている唯菜を触手の中から救い出す。

「きゃぁぁぁぁぁぁ…ってあれ?」

自身が気付かぬうちに救い出されていた彼女は腕の中でキョトンとした表情を浮かべる。両腕を、胸を通して伝わる彼女の温もりが、安堵感となって私の胸を暖めた。「よかった…」と思わず声を漏らした緋色は私以上に安堵しているのだろう。だが、まだこの心地よい感覚に身をゆだねる分けにはいかない。私達は今だに敵の掌の上にいるのだから。

“緋色!くるぞ!”

ダゴモンが状況を把握するのは予想以上に早かった。赤く濁った目が私達を横目で睨みつけ、触手が一斉に四方八方から私達に迫る。近くにいる相手を触手が捉える速度はピッドスピードを使った私達に追いつくほど早い。

“真下に避けろっ!”

私の言葉は肉体を共有する緋色に僅かなタイムラグも無く伝わり、緋色はすぐさまその言葉通りに動いてくれた。頭上を背後から迫っていた触手が通りすぎる。どうやら私の読みは当たったらしい。究極体の高い戦闘能力が要求される任に就くことが多い父さんを助ける事ができるように、私は幼い頃から戦士として力と技を磨き続けてきた。軍のエリートにまで上り詰めた私の戦闘センスは一朝一夕で身に付くものではないと自負している。相手の殺気を感じ取り、空間認識能力をフルに使って触手の配置を把握し、実戦経験に基づいて触手の動きを読んだ。結果として、かなり際どかったが何とか回避する事が出来たようだ。

“次は右だ!バック!伏せろ!”

私の指示の元、緋色は全て紙一重で触手郡を潜り抜けていく。まだ一発ももらってはいないが楽ではない。相手もこちらの退路を立つように計算して触手を動かしているため、その策にかからないように考えてから回避行動をとるのは常にギリギリだった。一瞬の判断の遅れが、瞬く間に死を招くであろう事は確実だ。だがそれでいい。自身の身を省みるような戦い方では、人々を無事に救出し、そして敵も倒すなどという事はできない。

“…止まれっ!”

「え!?」

次の瞬間、背中に鞭で叩かれたような、いやそれを何倍も酷くしたような痛みが走る。真上から振り下ろされた触手がピッドモンの背中を叩いたのだ。線路に向かって墜落するが、緋色は激痛に耐えながら体を捻って背中から落下する。強かに背中を打ちつけさらに痛みが酷くなったが、抱きかかえた唯菜には傷一つ無い。そうだ、それでいい。

“行けっ!地面スレスレに飛んで一気にダゴモンから離れろ!”

私が指示するとすぐさま緋色は背中を地面に向けたまま、ちょうど背泳ぎするように地面の上を滑るように飛んでいく。真上から次々と触手が振り下ろされるが、私の指示なしでも緋色は回避していく。先ほどの一撃をもらってやったのは、追い詰こむ為に放った攻撃をわざと受けて敵の計算から逃れるため。そして地面を背にして飛んでいるのは背後からの攻撃を考えなくて済むようになり、触手を回避しやすくなるからだ。この目論見はうまい事当たったようで、ピッドモンの体はすばやくダゴモンの触手の射程範囲内から逃れる事が出来た。

「よくやったわ、ピッドモン!」

横転した車両の陰からウィッチモンが飛び出す。その手には、今朝緋色がみていたTVに映っていたサッカーというスポーツに使うボール程の大きさの球体が抱えられていた。ウィッチモンはそれをお得意の風の魔法によってダゴモンの頭上まで飛ばし、さらに風の刃の魔法「バルルーナゲイル」で切り裂く。球体が破裂し、特殊な技術で圧縮されていた中身、飴色の液体がダゴモンの全身に降り注いだとき、緋色と唯菜が小さく呻いて鼻と口を押さえた。無理も無いだろう。私もあまり好きな部類の匂いではない。この高純度オイルの匂いは。

「ファイア…フェザー!!」

ピッドモンの翼が燃え上がり、羽ばたいた。翼を覆う炎は無数の炎の矢となって一斉にダゴモンへと飛んでいく。次の瞬間、巨大な松明によって地下鉄が赤く照らされた。

ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!

ダゴモンがまたもや唸り声を上げたが、それは今までのものに比べて一際おぞましく、そして悲痛だった。唯菜は目を伏せ、ピッドモンに強くしがみついて震えている。緋色とウィッチモンも思わずたじろいだ。全身を炎に焼かれ、触手を振り乱してもがいているダゴモンの姿は敵とはいえ見ていて気持ちのいいものではない。むしろ背筋が寒くなるほどだ。だが、目をそらすわけにはいかない。相手は完全体だ。これで勝負が決すると考えるのは、いささか楽観的過ぎる気がしてならない。そして私の予感はすぐさま的中する事となった。燃え盛る触手の塊の中から、何かが立ち上がった。柔軟性を持ったしなる触手ではない。まっすぐと伸びているそれは先端が三又に分かれていた。三又矛(トライデント)。数時間前の戦闘では使われなかった武器だ。

“緋色…!”

私が皆まで言うまでもなく、緋色とウィッチモンは自分達にめがけて飛んでくるであろう巨大なトライデントに対して身構える。だが私の予感は今度は外れる事になった。巨大なトライデントの先端は、トンネルの天井に突き刺さったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

その日、繁華街の一角は静まり返っていた。まだ7時を回ったばかりだというのに全ての店が閉店しており、当然ネオンは全て電源が落とされている。通行人どころか建物の中にも人がおらず、人気といえば時折パトカーが巡回にくる程度。原因はこの日の昼に地下鉄内で起こった事件であった。突然、地下鉄との連絡が途絶え、数十分後に歩いて最寄の駅まで戻ってきた乗客や車掌達は「怪物に襲われた」と口をそろえて言う。怪物の真偽は定かではないがこれだけの数の目撃者がいては無視する事ができず、連絡が途絶えた地点の真上にあったこの一帯に非難勧告が出されたのだ。突然、静まり返った街が揺れた。2、3度大きな揺れが襲ったあと、大通りに大きな穴があき、そこから巨大なトライデントの切っ先が顔を出した。トライデントはそのまま勢いよく地上に飛び出し、近くにあったビルの貯水タンクに突き刺さる。タンクにためられていた水が飛び出して道路に開いた穴に流れ込み、その次に出てきたのは海洋生物を思わせる、濁った青い色の触手郡だった。穴をひろげながら出てきた巨大な触手の塊は、その一部を束ねて二本の太い足にするとそのまま直立し、あまった触手をまた束ねて二本にして巨大な太い腕を作り、ビルに突き刺さっていたトライデントを引き抜く。触手を束ねて形作られた、ビルと肩を並べる巨大な人型。牙の生えた口と赤くギラついた瞳の付いた、丸い頭。背中から翼のように生えた巨大な鰭に、首から提げた数珠、手に持った長大な三又矛(トライデント)。それがダゴモンの完全な姿だった。緋色達から受けた攻撃で全身の所々が焦げており、ダメージは受けているようだが致命傷には至っていないらしい。忌々しげにダゴモンが唸り声を上げていると、彼の目に面白い物が目に留まった。ちょうど巡回に来ていたパトカーだ。全速力でダゴモンから離れようとしているようだが、加速したピッドモンを目で捉える事が出来る彼にとっては止まっているようなものだろう。腹いせ紛れに狩ってやろうと、トライデントを振りかぶる。より正確に獲物を捕らえるためか、それとも愉悦ゆえか、ダゴモンが目を細める。

突如、今しがたダゴモンが出てきた穴から一筋の光が天に向かって上っていく。光はダゴモンよりも高い位置で巨大な基盤模様の魔方陣に変化し、夜空に広がる。そこから回転する巨大な黄土色の物体が飛び出した。

「グランダァァァァッシュ!!」

不意打ち気味に飛び出してきた巨大な黄土色の円盤の体当たりが直撃し、ダゴモンの巨体が倒れる。黄土色の円盤は回転を止め引っ込めていた首と手足を出してその手前に着地する。トータモンだ。それに続くように、穴の中からウィッチモンと唯菜を抱えたピッドモンが飛び出す。

「こっからが本当の第2ラウンドだ!昼間みてぇにはいかねぇぞ!」

「ピッドモンはその子を安全なところまでお願いね!」

起き上がったダゴモンを岩石のスパイクと風の刃で迎撃し始めた2人を尻目に、ピッドモンは幾つものビルを飛び越えて戦場から離れた道路に唯菜を降ろす。いまだ状況が飲みこめておらず、襲われた恐怖も薄れてはいないらしく震えていた。

「私、助かったの…?」

ピッドモンはコクリ、と無言で頷く。ゲートの出口を地下鉄内につなげるのに利用した彼女の携帯電話を手に握らせると、2人だけでダゴモンと戦っているウィッチモン達が気がかりでそのまま踵を返して戻ろうとしたが、唯菜がその背に声をかけた。

「あの怪物はいったいなんなの!?それに貴方達は何者なの!?」

思わず足を止めて振り向き、あらためて見てみれば震える唯菜の姿はひどく頼りないものだった。緋色がいつも教室で見ていた明るいマドンナの姿からは想像できないほど弱弱しく、半袖やスカートから除く女の子らしい細い手足が、今にも折れてしまいそうにも感じられる。仲間達の事も心配だったが、緋色にはこのクラスメイトを放っておく事も出来なかった。

“…何か言葉をかけて、安心させてやるんだ”

迷う緋色に、ダルクモンがアドバイスを送る。緋色は唯菜の肩に手を乗せ、自身を見上げる唯菜の目を見つめる。自分が泣いているときに声をかけてくれた父が、そして亡き母がやっていた事を見様見真似でやってみたのだ。普段の緋色なら女子の肩に手を乗せたり目を見つめて一対一で話すなど言う事はあがってしまってできない筈なのに、不思議な事に今この瞬間は自然とそれが行えた。

「…ごめん、何も話す事は出来ない。だけど、これだけは約束する。君や君の家族、友達には指一本触れさせない。君は…みんなは…僕達が絶対に守る!」

決意を改める意味も込めて、緋色は唯菜に向かって力強く言い放つ。唯菜の顔に僅かな驚きと、確かな安堵のようなものがないまぜになった表情が浮かんだ。それを見て微笑みかけると、緋色は振り向いて飛び立つ。後ろ髪を惹かれるようなものは、何もない。体が軽くなったような思いで飛行速度を上げる。灯の消えたビル群が次々と後ろに流れていき、まもなく巨大な軟体の怪人と、それに対峙する巨大亀の姿が見えてきた。

「シェル・ファランクスッ!」

トータモンが背中の岩石をスパイクの一部をダゴモンに向かって発射する。ミサイルのような勢いで発射された重く巨大なスパイクが直撃すれば、一撃必殺とは行かずともダゴモンには大きなダメージが与えられるだろう。

「フォービドゥントライデント!」

ダゴモンが振り回した長大なトライデントの切っ先が、腕力と遠心力によって破壊力が増大した三つのエッジが飛来するスパイクを捉え、粉々に砕く。成熟期のなかでは攻撃力が高い部類に入るトータモンの攻撃も、完全体・ダゴモンの振るう必殺武器の前にはいとも簡単に砕かれてしまうのだ。砕いた勢いで、ダゴモンはさらにトータモンを狙ってトライデントを振り下ろす。トータモンは後ろに飛びのいたが、その巨体と重量故に動きが鈍く回避しきれず、頭が切っ先に捉えられようとしていた。

「アクエリープレッシャー!」

瞬間、人間大のサイズを生かしてウィッチモンがダゴモンの顔面に飛び込み、至近距離から強烈な水流を放った。おおよそダメージの期待できない攻撃であったが、鉄砲水を突然顔面に撃たれてダゴモンは怯み、手元が狂いトライデントの切っ先がずれてトータモンの顔の横の地面に突き刺さる。

“こう着状態…いや、押されているようだな”

トータモンの後ろ足の踵がダゴモンが出てきた大穴の淵にかかるのを見て、ダルクモンが言う。二対一とはいえ、完全体との差はやはり易々と覆るものではないようだ。緋色は、ピッドモンは一気にビル群を抜けて戦場の真ん中へ躍り出る。

「緋色くん!」

「坊主!」

二人に続いて、ダゴモンは忌々しげに低く呻り声を上げる。獲物を奪い取られ、自分の体に醜い焦げ後を残した張本人に対する恨み節の代わりがそれだとでも言うように。身の毛もよだつ様な一際大きい唸り声を上げるとトライデントを頭上で回転させ、薙ぎ払うような動きで振り回した。

「うわぁっ!?」

周りのビルの屋上にある看板や貯水タンク等を薙ぎ倒し、驚異的なヘッドスピードで飛来するトライデントの切っ先をギリギリで回避する。風切り音を鳴らして空を薙いだ刃にもし捉えられていたなら、何の抵抗もなく体が二つに分かれていただろう。

“穴の真上に向かって飛べ!そうすれば奴の武器を封じる事が出来る!”

穴の頭上、と聞いて緋色は一瞬疑問に思ったが、ダルクモンを信じてダゴモンに目を向けたまま後方に向かって飛ぶ。穴とダゴモンの間の距離は大して離れてはいない。つまりそこまで離れてもあの長大なトライデントの間合いからは逃れられないのだが、今は「命を懸ける」と力強く言ったダルクモンの言葉を信じる事にしたのだ。バックした相手を狙うためダゴモンは大きく踏み出し、初撃の勢いを殺さぬままトライデントを振るう。勢いを殺さぬどころかさらに加速したスイングが、穴の上で静止したピッドモンに迫る。だが、それがピッドモンに届く事はなかった。

「俺のゲートがっ!?帰るときどうすんだよ!」

「私達のを使えばいいでしょ。サーチモンが何とかするわよ」

穴の真上、ピッドモンが静止した位置よりもさらに上空にあったもの。それはゲートの入り口となる魔方陣「アップロードポータル」だった。ダゴモンのトライデントは長すぎる故に切っ先がその縁に引っかかってしまったのだ。物質と電子情報という相反する要素で構成された世界同士を繋ぐゲートは本来とても不安定なものであり、オーパーツや進んだ技術を用いて作り出し安定させたとしても、強烈な衝撃を与えれば崩壊したり予想だにできない事故を起こしかねない。想定された進入角度以外から物質が衝突したこのゲートの入り口は、食い込んだトライデントごとガラスのように砕け散った。

“これで奴は武器を失った。後はあの触手だけだ。先ほどと同じように、私の指示に身を任せてもらえるか、緋色”

「―――――はいっ!!」

見事にダゴモンの得物を封じたダルクモンの判断力に心の底から感嘆しながら、緋色はピッドスピードで最大まで加速してダゴモンに突っ込んでいく。

「サウザンドウィップ!」

ダゴモンの両腕がほつれ、無数の触手となって彗星のように飛来するピッドモンに向かって伸びる。闇雲に振り回しているのではない。触手の一本一本の軌道は計算されており、少しずつ逃げ場を失っていくように複雑に動いている。怒りに血走った瞳は、高速で動くピッドモンの姿をはっきりと捉えているのだ。だが、そこまでだった。先の地下の戦闘同様、触手の動きの先を読んだダルクモンの指示を受けながら緋色は触手の隙間を掻い潜っていく。傷つくことを恐れず突き進む“二人”を、怒り狂ったダゴモンの触手が捕らえることは無かった。業を煮やしたダゴモンは、眼前にまで肉薄したピッドモンに向かって全ての触手を一斉に向かわせる。相手の退路を絶とうと計算した動きが駄目なのならば、数に物を言わせた力押しで仕留めようというのだ。

“今だ!真上に飛んで振り切って…”

ピッドモンは真上に急上昇しながら触手の包囲網を潜り抜ける。突然の急上昇、さらに触手を集中させすぎて視界が悪くなっていた事も相まって、ダゴモンはその姿を見失う。狭いトンネルの中ではなく、壁や天井の無い屋外だからこそ起きる誤算であった。ダゴモンの遥か頭上でピッドモンはUターンし、背後に回りピッドスピードを解除する。

「アポロントルネードッ!」

高速回転させたロッドに炎の竜巻を纏わせ、ダゴモンの首筋に突撃する。背後からの不意打ちでダゴモンの体はもんどりうって倒れそうになる。足元もおぼつかない様子だ。

“奴は確実にダメージを受けている!このまま一気に行くぞ!”

これ以上の好機はないとばかりにダルクモンは追撃を促すが、緋色は攻撃に転じようとしなかった。荒い息を付き、飛行がフラフラとして安定していない。ピッドスピードの長時間の使用に、体力が追いついていないのだ。感覚を共有しているためダルクモンにもそれは分かる。それでもまだ体を酷使させるだけの精神力を彼女は持ち合わせていたが、幼い緋色は話が違う。

“大丈夫か?私が無理を言ったばかりに…”

「大丈夫、全然へい…うわっ!」

その大きな隙を狙い、振り返ったダゴモンが触手を伸ばしてピッドモンの四肢を絡み取る。満足そうに目を細め、そのまま触手に力を込めてその体を握りつぶそうと力を込める。だがその瞬間、背後から巨大な岩石のスパイクが降り注ぎ、次々と背中に突き刺さった。トータモンのシェル・ファランクスだ。

「ここが正念場だっ!最期まで踏ん張りやがれ…緋色っ!」

さらにウィッチモンの放った風の刃がダゴモンの触手の焦げている部分を狙って切り落とし、ピッドモンは束縛から解放される。

“…まだ戦えるか、緋色?”

正直なところ、今にも悲鳴を上げてしまいたいほど体中が痛かった。ピッドスピードの長時間の使用は精神的、体力的も大きな付加がかかってしまう。だが数日前のアイスデビモンとイッカクモンの戦いでも、同じような状況に陥ったが何とか最期まで戦い抜く事ができた。あの時出来たことが今できぬ筈がない。唯菜がかなり危険な状態にまで追い込まれ、負けるわけにはいかないという事を前以上に強く知った今なら尚更だ。

「うん…まだ戦える!」

脳裏に唯菜や皐月、父や友人の善次達の顔を思い浮かべれば付きかけた筈の体力がまた戻ってくるような気がした。ふらつく肉体を奮い立たせ、翼を大きく広げる。純白の二枚の翼が炎を纏い、真紅に染まり灯一つないビル郡を照らした。

「ファイア…フェザー!」

羽ばたきと共に無数の炎の矢がダゴモンに向かう。ピッドモンは一発一発の攻撃力の不足分を補うため、力を振り絞り連続で炎の矢を放ち、射角を変えながらダゴモンの足元から頭上まで一気に炎で染め上げる。

「うぁっ…」

「大丈夫?」

最期の一発を撃ちつくしたとき、ふらついて墜落しそうになったピッドモンをウィッチモンが空中で支える。もうファイアフェザーを撃てるだけの体力は残っておらず、トータモンの背中のスパイクは撃ち尽くされ、ダゴモンに有効打を与えられるだけの攻撃は全て弾切れとなってしまった。D・バックラーからリアライズリミットを告げるカウントダウンの音も鳴り始め、これでダゴモンが倒れなかったのならばもはや打つ手は無い。全員固唾を飲んで、炎上し苦悶の声を上げてもがくダゴモンを見守っていた。

ドスン

 

不意に、轟音が響いた。ダゴモンが膝をついた音だった。そして先ほど以上の轟音を立てて、ダゴモンが道路に突っ伏した。動きを止めたダゴモンの肉体が末端部から細かな粒子となり、炎と共に夜空に昇って消えていく。

「お、終わったの…?」

「ああ、我々の勝利だ、緋色。君は守ったんだ。自分の手であの子を、この町の人々をな」

精神同士の会話ではなく、D・バックラーの通信機能を使い皆に向かってダルクモンは戦いの終幕を宣言する。それを聞いて緊張の糸が一気に切れた緋色の意識が、まどろみの中に落ちかける。

「休息にはまだ少し早いぞ。この世界の警察が近づいている。もう多数の人間に目撃されているとはいえ、できるだけ人目に付くのは避けたい。早々にイージスゲートに戻るとしよう」

言われて見れば、遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえる。三人ともその言葉に頷き、道路に空いた大穴に次々と飛び込む。

「ケホケホッ、トータモン、もうちょっと静かに着地できないの?」

「無理言うなって」

一番最初に巨大なトータモンが飛び込んだ所為で、トンネルの中は粉塵が舞って辺りが良く見えなくなっていた。ピッドモンとウィッチモンがリアライズした地点にある帰還用ゲートの入り口「アップロードポータル」の位置もよく分からなくなっていたが、リミットが近づいているといってもまだ余裕はある。急いでポータルを探す必要も無いだろう。

「あー、埃だらけに汗まみれ…。ダルクちゃん、帰ったらまた一緒にシャワーしない?」

「…何を言っているんだ、お前は。そもそも私は緋色の肉体に間借りしている状態なんだぞ?」

「あーら、だからこそじゃない♪」

そう言ってウィッチモンが緋色にウィンクをすると、ピッドモンの頬が赤く染まる。そうやって緋色をからかいながら粉塵が収まるのを待っていると、不意に四人の内の誰のものでもない声がトンネルの中に響いた。

「御休息の前に、少々我々の舞台に付き合っていただいてよろしいでしょうか?」

3人が声のした方向に振り向くと、薄れた粉塵の向こう、アップロードポータルの前に一人のタキシードを着た男が立っていた。壮麗な黒いマントを羽織ったその人物は背が高く、線の細いその体躯はどこかガラス細工のような、いとも簡単に折れてしまいそうな印象を見るものに与えた。列車の残骸や戦闘の爪あとが残るトンネル内において、彼の身に纏っている黒いタキシードもマントも今しがた衣装箱から出したばかりのように埃一つ付いておらず、場違いなほど異様な空気を纏っていた。それはその男が人外の存在であり、また人外の中においても特異なものであるという事を端的に現している。皆、それをすぐさま確信した。

「なぁに、お時間は取らせませんよ…オン・ステージ!」

警戒心をむき出しにする緋色達を全く意に介さない様子で、男は大仰に手を掲げながら指を鳴らす。するとその瞬間トンネルの床が、壁がモザイク上に変化し、瞬く間にまったく別の空間へと作りかえられていく。数度瞬きする間に暗いトンネルは見たこともない星座に照らされた、天井がガラス張りになったドームに変わる。

「うわっ!?瞬間移動!?」

「失礼。あの場では余りにも興に欠けますので、私の手によって作り変えさせてもらいました。この空間ではリアライズリミットのカウントは止まりますのでご安心を」

「作り変えた…?」

地下鉄のトンネルを星空の見えるにドームに?一瞬で?あらゆる物理法則を無視するかのようなすさまじい変化を一瞬でやってのける男の力にウィッチモンは戦慄する。

「末端の者達は既にあなた方シールダーズとは馴染みが深いのでしょうが…この度、改めて挨拶をさせていただきます。我々の代表として…」

ドームの中央には六本の柱が立ち並び、男はその中心の柱に立っている。その後ろのガラス張りの天井から見える星の一つが一際大きく瞬いた。その星は少しずつ大きさを増していき、やがてその昆虫のようなシルエットがはっきりと見えるようになってくる。光の翼を生やし、高速でドームに飛来してきた巨大な鈍色の昆虫はガラス張りの天井を突き破り、男の乗る柱の後ろにあった他のものよりも太い柱の上に着地する。降り注ぐガラス辺を手で払い、間近に迫った昆虫の姿を見てみるとそれは金属で出来たサイボーグ型デジモンであり、足は四本しかなく、頭には蜘蛛の目のように複数のセンサーカメラが配され、開いた口には無数の牙が並び、滴る涎が柱の上に落ちるたびにシュウシュウという音が上がっている。間接や口の中には赤い剥き出しの筋肉が覗くおぞましい姿のそのデジモンは、背中から生えている六枚の光の翼をしまうと耳を劈くような恐ろしい咆哮を上げた。

「“雷鳴の使徒”ラミエモン!」

ラミエモンの咆哮がひとしきり収まると、男が声高らかにその名と異名を宣言する。その直後、緋色たちから見て男から二つ右隣の柱の上に異変が生じた。柱の上から植物の芽が生え、見る見るうちに急速に成長していき、巨大な黒い菊の華が開花する。そして菊の花弁の間から黒いカラスのような羽が次々と飛び出し、それが四枚となったとき黒い刃が花の上を走り切り刻み、刃の持ち主が姿を現す。黒い菊の花弁を舞い散らせながら現れた翼を持つ3人目の人物は、白黒二色の着物の上から西洋風の赤黒い甲冑を纏い、牛の頭骨の仮面を被った奇怪ないでたちのデジモンだった。

「“背徳の堕天使”アマクモン!」

次に異変が起こったのはアマクモンと男の間にある柱。真下から岩を削りだしたような無骨な柱が元からあった柱を砕いて地面から生え、ガラスが砕けて吹き抜けになったドームよりも高く伸びる。その頂点に4人目の人物が立っていた。第四の人物はそこから飛び降りると、落下しながら正拳突きや蹴りで石柱を破壊して他の柱と同じくらいの長さにまで縮め、その上に降り立つ。緑色のファージャケットを着込み、所々が破れたジーパンを履いたその格好は人間に近い姿をしている。はだけたジャケットから除く逞しい白い肉体を見るまでも無く身体能力が人間のそれとは比べ物にならない事は既に証明済みだ。カラス天狗を模した物と思われる仮面の奥に光る目が、緋色たちをまっすぐに睨みつけていた。

「“不屈の拳王”ゲンフーモン!」

男の左隣の柱の上に、突如一本の槍が突き刺さる。その槍の三角形の切っ先が刺さった部分から細い鶴が生えて柱全体にまとわりつき、さらに柱の周りを覆うように細い木が次々と生える。そのとき、すさまじい跳躍力でドームの壁を飛び越え、一体の細い影がその柱の上に着地し、槍を引き抜いて柱の周りの木を切り払った。第五の人物は青い法衣を身に纏った、竜頭のデジモンだった。細面の顔や膨らんだ胸、くびれた腰つきが女性を連想させ、凛とした女戦士、とでも表現するのが適当だろうか?射抜くような鋭い眼光を見て、緋色は何故かその眼光に既視感を覚えた。

「“深緑の竜姫”アビドラモン!そしてこの私を含めた六人が…」

六人?最期の一人の為に用意されているであろう左端の柱が未だ空座のままなのに?と緋色達は一様に同じ疑問を浮かべる。トータモンは真っ先にそれを口にしようとして、戦慄する。第六の人物は、自分の顔のすぐ傍にいたのだ。動きが鈍く高速戦闘に対応できないとはいえ、この戦い以前から何度も修羅場をくぐってきたトータモンは自分に近づく敵の気配を感じられぬほど鈍感ではない。たとえワープの類の能力で一瞬にして近づいたとしても、傍に敵が現れたのを感じ取れる筈なのだ。自分のすぐ傍にいるこのデジモンは、自分達に全く気づかれる事なく、眼前まで近づいて見せた。これでもし敵がその気にさえなれば、自分達が気付かぬうちにその首を狩る事も可能だったと思うと背筋が凍るような思いだった。

「失礼しました、“無音の調停者”サイレスモン」

男が声をかけたのは、先ほどまで空座だったはずの左端の柱。緋色達はサイレスモンを凝視していた筈なのに、移動の瞬間すら悟らせずサイレスモンは柱の上に移動していた。ブラウンとダークグリーンのローブに身を包み、足の無い幽霊や死神を連想させる姿のサイレスモンの顔の部分には白い仮面がはめ込まれており、隙間から赤い髪が垂れている。表情をうかがい知る事ができず、一言も喋っていないのが不気味さを加速させていた。

「そして…自己紹介が遅れましたが私は“悲劇の演出者”アクトモン。我ら六の究極体「ヘキサゴンヘブンズ」の代表として改めてあなた方にご挨拶を…そして宣戦布告を申し上げます」

真ん中の柱に立っている黒タキシードの紳士・アクトモンはそう言って深く頭を下げる。一々芝居がかってこそいるものの物腰は丁寧でその服装に相応しく紳士的な態度であったが、敵の目の前で取る行動としては酷く場違いなものだろう。究極体6体に対して消耗しきった成熟期3体という圧倒的戦力差だからこそとれる言動なのだろうか?

「6人…って事はオーパーツ管理局を襲ってリアライザーを奪ったのはてめぇらか!?」

自分達から見れば圧倒的を通り越して絶望的状況であるにも関わらず、トータモンは威勢よく吼える。それを鼻で笑い、右端の柱に胡坐をかいて座っていたアマクモンが口を開いた。

「ああ、俺達だよ。警備していた奴らや研究員達をこいつでバラしてやったのさ」

手に持った漆黒の刀の刀身を、アマクモンの舌がなぞった。さも面白そうに語るアマクモンを見て、トータモンは歯噛みをする。

「これはご無礼を。いけませんねぇ、アマクモン。挨拶は大切ですよ?礼に欠ける戦争など、興がありませんからね」

「戦争に無礼も失礼もないだろう。今日は気まぐれで貴様の演出とやらに付き合ってやったが、命のやり取りの仕方まで貴様の流儀に合わせる義理はない」

「ヒャハハハッ、そりゃそうだ!」

両腕を組んで仁王立ちしていたゲンフーモンが目を伏せたままを相手一瞥もせずにいった。アマクモンがそれを受けて手を叩く代わりに靴の裏で拍手し、ラミエモンは今すぐにでも飛び掛りたいとでも主張するかのように雄叫びを上げる。アクトモンがやれやれ、とため息をついた。

「見ての通りだ、我が主の敵達よ。アクトモンはともかく、我々は眼前の敵に容赦は…しない!」

そう言ってアビドラモンは殺気を剥き出しにし、大きく振りかぶって槍を投擲する。柱の上から飛来した槍は目にも留まらぬほど早く、身じろぎする間も与えずピッドモンの胸を貫いて床に突き刺さる。

「緋色くんっ!?」

「てめぇ!」

ウィッチモンとトータモンが激昂し、アビドラモンを睨む。絶望的な6対2の火蓋が切って落とされたかに思えたが、張本人であるアビドラモンは先程とは正反対に殺気を薄れさせ、臨戦態勢とは程遠い空気を纏っている。

「…次に対峙するときはな」

突然槍が飛んできて緋色もダルクモンも一瞬頭の中が真っ白になっていたが、我に返ってみれば全く痛みは感じていなかった。胸から飛び出ている槍の柄に触れてみようと指を伸ばすと、ホログラムに触れようとしたかのように指が突き抜けた。

「見ての通り、我々はリアルワールドではあなた方に攻撃したくても出来ない、つまり完全にリアライズできず実態を保てないのですよ。あなた方がリアライズしていられる時間に制限があるようにね」

本来四つそろって完成するはずのゲートシステムの一つ、リアライザーが奪われコピー品でそれを埋めているため、シールダーズのデジモン達はリアライズしていられる時間に制限が生まれてしまい、究極体であるジャスティモンに至っては僅かな間すらリアルワールドに留まる事が出来なかった。おそらく、リアライザーのみが手元にあるアクトモン達にも同様にトラブルが発生したのだろう。

「先程あなた方が戦ったダゴモンのようにエラーが発生したり、余りにも多数のデジモンを連続して送り込むとオーバーヒートするなど欠陥が多いのですよ。それを彼に日夜改良を加えて頂いているのですが…」

そう言ってアクトモンはちらりとサイレスモンに視線を移す。確かにそこに在るはずなのに殺気どころか気配すら感じられない異様なデジモンは、柱の上に静かに佇んだまま微動だにせず、一切口を開いていないのが不気味だった。

「未だ完全なシステムの完成の目処は立っておりません。申し訳ございませんが、今しばらくは完全体や成熟期のデジモンでお茶を濁す事になりそうです」

「お前ら運がいいぜぇ。完全なゲートシステムがあったら今頃この街は更地になっていたぜ?」

アマクモンが褒めのかすとおり、無制限にデジモンが送り込まれてきたのならばシールダーズの3人では守りきれず、東京は壊滅していただろう。緋色の背筋が寒くなった。

「貴様らの目的は何だ?何が目的でリアルワールドにデジモンを送り込む?」

D・バックラーの画面からホログラムを出してダルクモンが問う。アクトモンは何か口を開きかけたが、隣にいるアビドラモンに睨まれ言葉を紡ぐのを止め、改めて言い直す。

「残念ながら、その質問にはお答えできません。ですが我々と戦い続けていればいつか知る時が来るでしょう。そして我々の主に謁見する事も…。それでは、こちらのゲートシステムもそろそろ限界なので名残惜しいですがここで閉幕としましょう」

アクトモンはそう言ってまた深く頭を下げると、大仰な仕草でマントを翻す。

「それではシールダーズの皆様、次に会うときはこのリアルワールドで合間見える事を願っております。くれぐれもつまらぬ戦いで命を落とされぬように…」

六体の究極体、ヘキサゴンヘブンズの姿が一体ずつ光となって天に昇って消えて行き、最後のアクトモンの姿が消えると同時に星空の下のドームは地下鉄のトンネルへと戻る。先程と寸分たがわぬ状態に戻ったトンネルに、何時までもアクトモンの声が木霊していた。

 

 

 

 

 

「ほーら緋色、やっぱりうな重はいい匂いだろう?そろそろおなか空いているんじゃないのか?うな重だけでも取りにこないかぁー?」

息子の部屋のドアの前に正座し、冷めたうな重の蓋をあけ団扇で扇ぎながら葵はドアに向かって呼びかける。彼は一時間半ほど前に帰宅してから、ずっとこの場から離れていない。

「お父さんに不満があるのなら何でもいいからいってごらーん、緋色ぉー。ひょっとしてお父さんのパンツを洗濯するのが嫌なのかー?」

半ば涙声になりながら(実際十数分前に号泣しながら土下座したのだが)、葵は無人の部屋に向かって必死に呼びかける。反応は返ってこない。また堰を切ったように涙が溢れ出しそうになった。事をジャスティモンに報告し、そのあとイージスゲートで仮眠を取っている緋色が部屋に戻ってくるまであと2時間。それまで葵は孤独な戦いを強いられる事となる。










オリジナルデジモン原案(敬称略)

アクトモン 観測員108号
ラミエモン ヒロコプ
アマクモン 銀
ゲンフーモン 平野鮎太
アビドラモン 新井ゴマモン
サイレスモン D輔

ありがとうございました。


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