その空間に重力は存在していなかった。つまり、上下左右の概念と言うものが存在しない。それ故そこにある物質は全て無造作に宙に放り投げてあり、一つとして同じ方向を向いていないある種宇宙にも似た空間。しかし、そのバックスクリーンの色は漆黒ではなく純白であり、散りばめられているのは小惑星郡ではなく、無数の薄っぺらいウインドウであった。そのウインドウの一つに、彼は体を向ける。ウインドウには何処かの建物の内部の様子が映し出されていた。何人もの人間が壁を叩いている。周りの白い壁と異なる漆黒の壁は堅牢な防火シャッターだ。人間達は皆判を押したように同じ表情をしている。明確な生命の危険を感じ取り、それから必死に逃げようとしている被捕食者の顔だ。


彼はそのウインドウに向き合ったまま、傍にあった緑色の数字の書かれた別の小さなウインドウに手を伸ばす。自分の手が数分前よりも短くなっており、指も無くなっていたので体を斜めに傾けないと届かず、少しもどかしい思いを彼は味わう。その腹いせとばかりに思い切り拳をウインドウに叩きつける。ひび割れたウインドウの中の数値が急激に変動し、赤く変色した。正面のウインドウの様子もそれに伴って変化する。人々が額に浮かべている汗の量が目に見えて増えてきた。衣服が汗で体に張り付いているのが目に見えて分かる。空調機が異様に熱い温風を吐き出しているのだ。サウナのそれに近づいていく室内で、人々はさらなる恐慌状態に陥った。

彼は笑った。彼の目や鼻、口といった顔を形作るパーツは全て失われていたが、それでも肩を震わせて笑っている。明確な悪意を―――――リアルワールドに、人間に害をなすという確かな悪意を持ってこの空間に存在していた。












Scarlet Hero

“シールダーズ七転八起(前)”

鉱物型デジモン ゴーレモン
種族不明デジモン プリミティ・ゴーレモン
堕天使型デジモン フェレスモン
登場







「プリミティ・オーシャン。デジタルワールドとリアルワールドの中間点。そこにゴーレモンは入り込んでしまったらしい」


「ぷりみてぃおーしゃん?」

ジャスティモンの口から出た聞きなれない単語を聞いて、ウィッチモンがオウム返しに答えた。

「デジタルワールドと、僕達の世界の中間点…?」

緋色はジャスティモンの言葉を反芻しながら、D・バックラーの画面からでているダルクモンのホログラムと顔を見合わせる。淡い立体映像が「私も初耳だ」と少し困ったような顔をした。

「デジタルワールドとリアルワールドに関係する小難しい事だったらシールダーズに入隊するときに嫌って程聞かされたけどよ、その中間があるってのは聞いてないぜ?」

そう問うトータモンの声色には、ジャスティモンへの不満が込められていた。異世界同士の不用意な接触は時空を歪め、時として両世界に甚大な被害を及ぼしかねない。その為トータモン達は普通ならば一生知る必要がないような両世界の理を覚えさせられ、境界を乱すことがないように厳重な注意を受けていた。しかし、全て教えられるべきであったルールに、教えられていない部分があった。トータモンはその事を自分達に対する裏切りのように感じたのだろう。緋色とダルクモン、ウィッチモンもその事に対し少なからず不安を感じていた。

「皆、本当にすまない。プリミティ・オーシャンの存在はG.O.D.Wの最高機密の一つであり、その存在を知っているデジモンは極僅かしかいない。その為今まで話すことが出来なかった」

G.O.D.W.の、デジタルワールド政府の最高機密。四人の間に緊張が走った。本来、シールダーズや、ゲートシステムの一部を奪ったヘキサゴンヘブンズの存在も一般のデジモン達が知る由もない機密事項なのだ。そのシールダーズのメンバーにさえ教える事の出来ない最高機密とは、一体どれほど重大な事なのか。

「見ての通り、今はそうも言っていられない状況だ。一刻も早くプリミティ・オーシャンにいるゴーレモンを倒さなければ、ビルに閉じ込められている多くの人間達が犠牲になる」

ドーム状の司令室に浮かぶホログラフィのスクリーンの一つに、ジャスティモンが視線を動かす。スクリーンに移っているのは、リアルワールドのTVニュースの映像だ。ノイズが混じっておりお世辞にもクリアな映像とはいえないが、それでも何とか内容は判別できる。画面に映っているのは巨大なミラービル。今年の春頃に完成したばかりで、コンピュータ制御の最新のセキュリティ・システムが備わっているとアナウンサーが説明している。そのセキュリティ・システムが原因不明の暴走を起こし、中にいた人々が閉じ込められ連絡も取れないとアナウンサーは続ける。

次に、閉じ込められる直前にビルの裏口から逃げ出してきたというスーツ姿の中年男性が画面に映った。ビルが巨大な檻となるその少し前に、岩の怪物が何体も現れビルの周りで暴れているのを見たと男は震えながら証言する。そして「にわかには信じがたい話ですが…」というアナウンサーのナレーションと共に画面が切り替わり、ビルの正面玄関とその手前の大通りが映し出された。正面玄関は瓦礫にふさがれ、正面の道路の路面はアスファルトが砕けてめくれ上がっている。路面には大きな足跡の様なものまで残されていた。単なる自動車事故の類ではここまで路面が破壊されはしないだろう。

映像が現場からスタジオに移り、ニュースキャスター達が困惑の表情を浮かべる。男の証言を裏付ける証拠はそろっている。しかし、それらの証拠が「怪物が存在する」というあまりにも突拍子もない結論に至っているため、にわかにはその事実を認めがたかったのだ。先に数件の「怪獣事件」が起こっている事も踏まえると迂闊に全否定することもできず、ニュースキャスター達は歯切れの悪い否定か肯定かはっきりしない曖昧なコメントをポツポツと続ける。先程まで事件の当事者たる鉱物型デジモン「ゴーレモン」と戦っていた緋色達にとっては歯痒い映像だった。そしてそれ以上に、閉じ込められた人々の安否が気にかかって焦燥感を煽られる。

「手短に説明しよう。二つの世界の中間点にあたるプリミティ・オーシャンは言わば『原始のデータの世界』」

デジタルワールドはリアルワールドのネットワーク情報の影響を受けて形作られているが、そこに存在する物質は情報そのものではない。ジャスティモンはその辺りの詳しい事は省略し、その情報のコピーからデジタルワールドやデジモンが創られていると思ってほしいと語った。

「その為デジタルワールドで物質が破壊されたりデジモンが死んでもリアルワールドのコンピューターに影響は出ず、またリアルワールドでコンピューターからデータを削除してもデジタルワールドに大きな影響は出ない」

その中間点であるプリミティ・オーシャンはデジタルワールド同様、電子情報で構成された世界。中間点とは言ってもそこは物質をよりしろとする世界ではなく、デジタルワールドの同様の電子情報によって全てが形作られる世界。

「ただし、その世界を構成しているデータはコピーではなく、リアルワールドのコンピューターのプログラムそのものだ。その空間に存在している物質を壊せば、コンピューターのプログラムそのものを破壊することになる。つまり…」

緋色の脳裏を過ぎったのは、小学校の頃、パソコンを使った授業で見た一枚のイラスト。コンピューターウイルスの事を軽く説明するときに使われた、フォークを持って尖った尻尾を生やした黒い人型が、物を壊している絵だ。

「デジモンがプリミティ・オーシャンに入ったら、そのままコンピューターウイルスになるってことですか!?」

「そうだ。それも、人間が作ったセキュリティソフトではまず防ぐ事ができず、尚且つ自分で考え臨機応変に行動し、どうすれば最も被害が出るか考える事ができる最悪のウイルスだ」

そう言ってジャスティモンは宙にういているスクリーンに視線を移す。今度はリアライズしたデジモンの位置を写すレーダーが映っているスクリーンだ。ジャスティモンが卵型のポッドのパネルを操作すると、街の略地図を写した平面のレーダーが消え、無数の線が3次元的に交差している立体映像が現れる。ジャングルジムを極限まで複雑且つ巨大にしたようなそのホログラフィの中心付近に、光る光点が灯っていた。

「リアルワールドのネットワークの立体地図…正確にはそこからあのビルを中心とした一部を切り取ったものだ。プリミティ・オーシャンに侵入したデジモンの反応をしめすレーダー機能も備えている」

ホログラフィの中心に灯る点は、間違いなくゴーレモンの反応に他ならないだろう。

「…この機能も、私達に隠していたんですね?」

「そうだ。プリミティ・オーシャンにデジモンが侵入してしまえば病院、空港、果ては軍事衛星に至るまであらゆる施設のコンピューターが侵されることに繋がる。そうなれば万単位のデジモンが暴れまわった場合と同等の被害が一瞬で起こりかねない。そうなる事を恐れてG.O.D.W.はプリミティ・オーシャンの存在を徹底的に隠蔽していたんだ」

あらためて、「すまなかった」とジャスティモンが頭を下げる。確かに、緋色達はジャスティモンが自分達に大切な事を隠していたことはショックではあったが、その理由は納得できるものだった。G.O.D.W.が隠蔽していた事も、ジャスティモンがそれに従った事も全てはリアルワールドを守る為の事、となれば納得が行く。自分達、「シールダーズ」はリアライズするデジモン達の脅威から人間達を守る為にここにいるのだから。

「すっきりしたところで、早くプリミティ・オーシャンとやらに殴りこもうぜ。早くゴーレモンを倒さねぇとリアルワールドが酷ぇことになっちまうからな」

「そうだな。司令、レーダー機能が隠されていたという事は、プリミティ・オーシャンへ行くための機能もイージスゲートには備わっているんでしょう?奴がビルのコンピューターに留まっているうちに早く!」

「ああ、その通りだ。ただし…なっ!?」

何かに驚き、言葉の途中でジャスティモンは絶句した。視線の先は複雑に交差した線の上を高速で走り回る光の点に向けられている。ゴーレモンがとうとうビルの管理コンピューターから、ネットワーク回線を伝って別なコンピューターへ移動し始めたのだ。

「サーチモン!ビルのコンピューターにかけたロックが破られた!被害が広がらないうちに奴の通っている回線をロックして進路を塞ぐんだ!」

イージスゲートに搭載されている巨大コンピューターを操作し、索敵・解析、ゲートシステムの操作を担当するサーチモンに指示が下った。しかし、自分が乗っているポッドごと皆に背を向けたまま、サーチモンは何も答えようとしない。キーボードを操作するそぶりすら見せなかった。

「おい、何シカトしてんだ」

指示を無視した昆虫型デジモンに向かってトータモンが怒鳴る。それでもなおも無視を決め込む銀の甲虫の姿は、彼の怒りを買うこととなった。

「だから早く司令の支持に従えってんだ。コンピューターをいじるしか脳がねぇ癖になにもったいぶってんだよ!」

その瞬間、空気が変わる。緋色やジャスティモン達は瞬時に、一拍おいて当の本人もそれは失言であったと気付く。そこまで言われたサーチモンは、ようやくその体を反転させた。

「…肉体労働しか脳がない奴の尻拭いなんかしたくないんだよ」

「んだとぉ!?なんで俺がてめぇに尻拭いてもらわなきゃなんねぇんだ!」

「分からないの?なんでゴーレモンがプリミティ・オーシャンにいるのか。リアライズ直前のゴーレモンに君がゲートごと攻撃を加えた所為だって気付かなかったの?」

言われてトータモンは「あっ」と声を上げて固まる。先程、ビルの前に出現した3体のゴーレモンをトータモン・ウィッチモン・緋色の三人で撃退し、その直後にゲートが空中に出現しその中から4体目のゴーレモンが姿を現そうとした。トータモンは甲羅に生えた岩石のスパイクを発射する技、「シェル・ファランクス」をそこへすかさず全弾打ち込んだのだ。巨大なスパイクがゴーレモンだけでなくゲートの縁や内部に激突し、そしてゲートは凄まじい閃光を放ちながら内包したゴーレモンごと消えてしまった。その直後にビルが突然封鎖され、ジャスティモンから3人に帰還するように指示がくだりプリミティ・オーシャンの事を説明され今に至る。

「この前のダゴモン戦程度のならともかく、ゲートに衝撃を与えるのは厳禁だって隊員になったときに聞かされたはずだよね?馬鹿じゃないの?」

トータモンは反論できずに黙り込む。緋色はその姿を見て、申し訳ない気分になった。頭の回転が速い方ではない彼とて、ゲートの取り扱いのことを失念していたわけではない。彼が軽率とも思える行動に出てしまったのは、あの時はそうせざるをえない状況だったからだ。緋色の脳裏に、ゴーレモンと戦っていたときの映像が否応にでも再生される。

3体目のゴーレモンを倒した瞬間、疲労と安心感から緋色は緊張を緩め、皆よりも早く警戒を解いてしまった。

“勝利を確信した瞬間、最大の油断が生まれる”

熟練の戦士ですら陥る事のある落とし穴に、緋色は落ちたのだ。偶然か、あるいは狙いすましたものか。気が緩み、戦闘は終わったと思い込み警戒を解いた緋色のすぐ頭上にゲートは出現した。先にダルクモンが気付き逃げるように指示したものの、終わったと思った戦闘が急に再開され、頭を切り替えられず緋色の頭が一瞬パニックに陥った。その一瞬の隙を見逃さず、リアライズと同時にゴーレモンは緋色の体を押しつぶそうとし―――――――――そして、それを阻むために放たれたトータモンのシェル・ファランクスを全身に受けた。

「サーチモンさん、トータモンさんは僕を助けようとして…」

「どっちだって同じだよ。僕はこれ以上君達の世話を焼くのが嫌になったんだ」

トータモンに事態の責任を問うならば、自分にこそ責任がある。そう言おうとした緋色の言葉を遮り、サーチモンは自分の要求だけを主張した。

「サーチモン。誰に責任があるかは今問うべきことじゃない。一刻も早くゴーレモンを倒さなければ人間達の命が失われかねない」

取り付く島もないサーチモンの態度に、皆が呆れるやら途方に暮れるやらで言葉を失う中、ジャスティモンが声をかける。この状況下においても、ジャスティモンは上司であることを傘にきた高圧的な物言いをせず、強制させる様な態度を取らない。自分の地位に胡坐をかかないその姿勢は出会って日の浅い緋色にとっても尊敬できるものであったし、トータモン達にも厚い信頼を得ている。だが、この時ばかりはその誠実さが非常にもどかしかった。人命がかかった一刻を争う事態なのだから首根っこを掴んで強制的にでも手伝わせて欲しい。皆それくらいの事を思っていた。

「それが?人間なんかを助ける義理なんて僕にはないよ。自分の力で問題を解決できないのならそれまで。何人死のうが僕がそれを気にかける道理はないんじゃない?」

「――――貴様っ!」

ダルクモンを初めとして、トータモン、ウィッチモンが怒りを露にした。三人とも人間達への無償の奉仕を他人に強制するつもりは元からない。しかし自分達と同じように志願入隊したはずのサーチモンが、「人間の命を守る」というシールダーズの根本的な目的を否定し、その為に動く事を拒否するという事は彼らの目には理不尽な我侭にしか映らなかった。

「サーチモン!あなた、緋色くんの前でよくそんな事が言えるわね!」

怒りの理由は一つではない。人間である緋色の前で、人の命を軽視するような発言をしたことも許し難かった。緋色当人はサーチモンの言葉にひどくショック受け、どんな顔をすればいいのか、何を口にしたらいいのか分からずにうつむいたまま口をつぐんでいる。

「前からお高くとまっていていけ好かない奴だと思っていたけどよ、ここまで根性が悪い奴だとは思わなかったぜ」

「なんとでもいいなよ。君達がなんと言おうが、僕の考えは変わらないから。どうしても僕に協力させたいのなら、力ずくでやれば?」

「言われなくてもよ…そのつもりだぜっ!」

そう言ってトータモンは頭をさげ、前のめりに身を屈める。サーチモンの乗るポッドに体当たりを仕掛けようとしているのだ。太い後ろ脚がオペレーションルームの床を蹴ろうとした瞬間、トータモンの視界が赤いもので遮られた。ジャスティモンがいつも羽織っているマントの赤だ。

「やめないかトータモン。命令を変更する。サーチモン、君は下の部屋で待機していてくれ。ゲートシステムの操作は今回は私が担当する」

「えっ!?」

トータモンに限らず、緋色達全員が思わず声を漏らしてしまった。一度下した命令をクレームをつけた相手に合わせて変えたという話しなど彼らは聞いた事がない。その上サーチモンの言い分など単なる我侭でしかない。ジャスティモンがその我侭な要求をあっさり飲んでしまった事が、非常に不可解だ。頭の中でどんな仮説を立ててみても、納得の行く理由は出てこない。四人がそうやっている間に、サーチモンは無言でオペレーションルームから出て行ってしまう。

「司令、なぜこんな命令変更を…」

ダルクモンの立体映像が他三人の気持ちを代弁するように問いかけた。しかしジャスティモンは「今は時間が惜しい。少しでも被害を抑えなければならない」とだけ言ってポッドに戻り、キーボードを使ってゲートシステムの準備を始めた。恐らく、今は何度問いかけたところでジャスティモンは理由を話してはくれないだろう。諦めて緋色達は困惑を抱えたまま、プリミティ・オーシャンへのゲートが繋がるのを待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「想定外の衝撃によるゲートシステムの暴走。結果、ゴーレモンはプリミティ・オーシャンにワープしてしまったようです。さて、これは我々にとって想定外の事態です。いかがいたしましょう?」

巨大な装置を囲む人物の一人が、他の五人に問いかけた。中心にプラネタリウム装置の置かれた、六角形の大広間。人造の星明りに照らされた薄暗い広間の中に立つのは、かつて緋色達の前に現れ、ヘキサゴンヘブンズと名乗った六体の究極体デジモン達だ。

「我々に伺い立てる程の事でもないだろう、アクトモン。ここにはプリミティ・オーシャンにゲートを繋げられるだけの設備はない。シールダーズが何をしようが、我々は手出しできない。それよりも早くゲートシステムの修復を急ぐべきだろう?」

竜人型デジモン、アビドラモンが真っ先に返答する。竜そのものの造形の細面が、苛立たしげな表情を浮かべていた。自分達がプリミティ・オーシャンには手出しする事が出来ない事は、彼女が「我々に伺い立てる程の事でもない」と言ったように彼らにとっては分かりきったことなのだ。アクトモンはそれを分かっていて態々このような意味のない、持って回った言い回しを好んで多用する。それはアビドラモンにとって煩わしいものでしかなかった。

「修復には少なくとも二、三日かかります。今更焦ったところでメリットはありませんよ」

そう言ってアクトモンはいつの間に用意したのか、安楽椅子に腰を下ろしてしまった。切れ長の細い目を益々細めながらアビドラモンは槍の穂先をタキシードを着た男に突きつける。

「一日一時間一分一秒でも早く完遂しようという気概が貴様にはないのか?」

「焦ったところでメリットがないと言っているでしょう。戦いが長引けば長引くほどリアルワールドは我々の望む状態に近づいていきます。デジモンを送り込むのが一日二日遅れたところで問題はありません。それでも今すぐに修理を始めたいと言うのならば、貴女が御自分で作業すればいい」

青白い肌以外は人間と変わらない端正な顔に、少しの怯えも浮かべずアクトモンは言い放つ。戦闘専門でゲートシステムの修復の仕方などさっぱり分からないアビドラモンは、槍を引いて押し黙るしかなかった。他の四人を見渡してみれば、沈黙する者が二人、薄ら笑いを浮かべているものが一人、低く唸り声を上げている者が一体。

ゲンフーモンはアクトモンに何を言っても無駄と割り切って傍観を決め込んでおり、サイレスモンは常からそうであるように言葉どころか気配すら出していない。アマクモンは彼女がアクトモンに言いくるめられるのを楽しんでいたようで、楽しげなその表情を見てアビドラモンはまた眉尻を吊り上げる。本能と戦闘プログラムのみに従って生きるラミエモンにとって、今の会話はただの音声記録にしか過ぎなかった。

「アビドラモン、ゲートシステムのことはアクトモンとサイレスモンに任せるしかないだろう。専門外の者が手出し口出ししても足を引っ張るだけだ」

それまで傍観を決め込んでいたゲンフーモンがアビドラモンをなだめるように口を挟むと、アビドラモンは睨む視線をアクトモンから逸らした。

「プリミティ・オーシャンにいるゴーレモンに連絡を取らないのか?あの空間を押さえられればリアルワールドに多大な被害をもたらす事が出来るが」

口を挟むついでに、ゲンフーモンは疑問に思っていたことを口にする。いつの間にか本を開いていたアクトモンはページの上に視線を下ろしたまま返答した。

「我々の目的はリアルワールドの破壊ではありません。プリミティ・オーシャンは計画を進める上でなんの意味も持たないポイントです。その上シールダーズに彼がいる以上、プリミティ・オーシャンはあちら側の領地も同然ですからね。どんな指示を送った所でこちら側から干渉できない以上、ゴーレモン一匹じゃ勝ち目がありませんよ」

「彼?」

「若くしてG.O.D.W.設立以来の天才として呼ばれたデジモンですよ。子供ながらに現在確立されているゲート理論を完全に理解し、更に応用発展させ、その他多分野に渡って活躍。そして…」

「…天才であるが故に最高機密の一つであるプリミティ・オーシャンの存在を独学で解き明かし、G.O.D.W.にその存在を消された哀れなデジモン。名をサーチモンと言う」

不気味なしわがれた声がアクトモンの発言に割り込んだ。地の底の亡者を連想させるその声がサイレスモンのものだと気付くまで、ゲンフーモン達は一刻を要した。

 

 

 

 

 

 

 

 

サーチモンは成長期、いや幼年期の頃から学ぶ事が、知らない事を知ろうとする事を一番の楽しみとしていたデジモンだった。G.O.D.W.が設立した学校に通い、授業に出て教師から自分が知らぬデジモンの生態や、デジタルワールドの歴史を教えてもらう度に歓喜していた事を記憶している。何時しか彼は教師から、他人から『未知』を教えてもらうだけでは満足できず、自分から進んで未知を知ろうとするようになる。それが自分が知らないというレベルを超え、誰もが知らない『未知』に挑むようになるのに月日はかからなかった。常人ならば長い月日をかけて到達するレベルに、彼は他人の何倍もの速度で追いついてしまったのだ。

それは既に『天才』の範疇と呼ぶには十分すぎるレベルであったが、彼はそこで成長を止めなかった。若さ故に知識欲を満たす事に誰よりも貪欲であれた事が天性の才に火をつけ、さまざまな分野で新発見を繰り返し、デジタルワールド中のメディアから『天才中の天才』と彼は呼ばれる事となる。

彼は未知に挑む事を、研究を続け知らない世界を知る事は何よりも価値のある事だと信じて疑わなかった。新発見をすれば新たな技術が確立されて多くのデジモンが幸せになる。未知を解き明かせば偉業として多くのデジモンから尊敬される。自分は天才であり、価値のある者だと信じて疑わなかった。

やがてサーチモンは研究の場を学園の研究室からG.O.D.W.直属の研究所に移すこととなる。彼がとりわけ興味を示したゲートシステムの研究は、政府がもっとも力を注いで研究している部門であったからだ。政府からあらん限りの援助を受けたサーチモンは遺憾なくその才能を発揮し、停滞していたゲートシステムの研究を一気に進める事となる。歴史上、無二の才能を持ちながらも経済的理由で思う存分その力を発揮できなかった偉人は数え切れないほどいるであろうが、彼らと比べサーチモンは恵まれすぎているとすら言えるだろう。そのときまでは。

ある日、サーチモンはゲートシステムの研究の過程でそれを見つける事となる。歴史にも伝説にも語られていない、二つの世界の狭間、原始の海を。彼が世紀の新発見だと思ったそれは、不幸な事にかつて多くの学者達が長い年月をかけて見つけ、そして封印されたものだった。彼がプリミティ・オーシャンを発見し生涯最高の喜びを味わった翌日、彼は拘束され、そして全てのメディアから彼の名前は消えた。

 

 

 

 

 

 

 

エレベーターを使ってサーチモンが再びオペレーションルームに戻って来たとき、灯は全て落ちており、いくつか開いているホログラフィのスクリーンだけが光源になっていた。プリミティ・オーシャンにゲートを繋ぐには、膨大なエネルギーが必要とされる。イージスベースの余剰電力をシャットダウンし、ゲートを維持するのに回しているのだろう。それだけでは足りなかったのか、地面に下ろしたポッドの上にいるジャスティモンの右腕に何本ものコードが接続され、コードの反対側は床に接続されている。強大なパワーを持つ究極体デジモンであるジャスティモン自身を使って不足分を補っているようだ。広いオペレーションルームの中に見える人影はそれだけだった。トータモンと緋色・ダルクモンの肉体の状況を表示する小型のスクリーンがポッドの脇に展開していることから、プリミティ・オーシャンにダイブしたのは彼らだけらしい。ウィッチモンの姿が見えないのは、最初のビルに閉じ込められていた人間達を救出しに行ったからであろう。

 

ジャスティモンの正面に配されている一番大きなスクリーンに、プリミティ・オーシャン内の戦闘の様子が映し出されていた。天地のない、真っ白い空間になにかの破片と思しきものが幾つも漂っている。恐らくそれは、ゴーレモンに破壊されたプログラムの破片なのだろう。その破片の中に、デジモンと思われる巨躯が見えた。大小の立方体を二つ重ね、下の大型の立方体から直方体の手足を生やし、その先端にまた立方体や直方体を配しただけの余りにもシンプルな造形。漆黒の体に発光する緑のラインが碁盤目状に引かれた、デジモンの肉体の原始の姿たるワイヤーフレームそのものの外観。サーチモンですら見たことのないデジモンであったが、彼はそれがかつては岩石の肉体を持っていたゴーレモンの成れの果ての姿だと瞬時に気付いた。ゴーレモンはゲートの暴走により、氾濫した大河の激流に流されるがごとくしてこの原始の海にたどり着いた。そんな過程を経て五体満足のままでいられるはずもなく、肉体を構成するデータがそぎ落とされワイヤーフレームだけの状態になってしまったのだろう。もっとも、五体満足の状態でこの空間にたどり着けなかったのはゴーレモンだけではなかったようだが。

「ファイア…フェザー!」

緋色の変身したピッドモンの翼が炎に包まれ、その炎を相手に向かって放つべく二枚の翼が羽ばたく。その動作が酷くぎこちなく、緩慢だった。羽ばたく動作どころか翼から離れて飛んだ炎の矢の速度も遅く、重力のある空間ならば翼から離れた瞬間に地に落ちてしまうような速度でゴーレモンに向かって行く、まるでライブ映像ではなくスロー再生の録画映像を見ているかのようだった。しかし、それが確かにプリミティ・オーシャンからの中継映像であることを、ゴーレモンが炎の矢を回避して見せて証明する。鈍重な動きはワイヤーフレームになっても変わっていなかったが、ぎこちないピッドモンの動きとは違い、回避しつつ拳から光線を放ち反撃したゴーレモンの動きはスムーズで自然なものだった。

「緋色くん、よけろっ!」

ジャスティモンの言葉を待つまでもなく、ピッドモンは回避行動をとる。昔のアニメや特撮のようにジグザグに曲がりながら突き進むゴーレモンの光線は、実質単純な直線軌道と大差なく簡単に避けられる類の技だった。しかし、先程と同様に急上昇するピッドモンの動きは遅い。ゴーレモンが光線を放っている拳を上に振り上げると射角が上がり、のろのろと上昇するピッドモンの後を光線が追う。そして光線がピッドモンの左翼と交差し、交差したラインで切断されるように翼が消滅する。片翼を失ったピッドモンは苦痛に呻きながらバランスを崩し、あらぬ方向へと「落下」していく。

「てめぇ!」

スクリーンの画面外から声が響いた。トータモンの声だ。サブスクリーンにはゴーレモンともピッドモンとも離れた場所でもがくトータモンの姿が映っている。羽のあるピッドモンと違ってトータモンは天地のないこの空間で動くのは難しいのか、いくら四肢を動かしてもその巨躯は思い通りの方向に動かず、水面に浮かぶ木の葉のように漂うだけだった。そしてやはりピッドモン同様、その動きは不自然なほどスローモーでぎこちない。無防備な獲物を放っておくつもりもないのか、ゴーレモンは体の向きを変え何もないはずの空間をしっかりと踏みしめながら走りトータモンに向かって行く。

「畜生、なんでこいつこんな動きが出来るんだよっ!?」

トータモンはゴーレモンに腹を向けた体制から反転しようと手足をバタつかせてもがくが、思うような動きは取れなかった。その間にゴーレモンは距離をつめ、立方体の拳の角でトータモンの腹を殴りつける。

「かはっ…!」

普段は攻撃がとどかないはずの腹部に強烈な一撃を食らい、白目を剥いて意識を手放しそうになりながらトータモンは吹っ飛んでいく。二対一なのに戦況はあまりにも一方的であった。二人の異様な動きの原因は、プリミティ・オーシャンへのダイブに失敗したからだとサーチモンは気付いていた。デジタルワールドと同じく電子を依代(よりしろ)とする空間とはいえ、デジモンがデジモンとして存在するためのルールは異なるのだ。肉体の最適化が不完全ならば、自由に動きまわることすらままならない。

「…苦戦しているみたいだね」

サーチモンがようやく口を開いた。ジャスティモンは振り向かず、スクリーン内の二人に向かって指示を出している。気付いていない筈がない。サーチモンはそう判断して、言葉を続けた。

「教えて。僕がプリミティ・オーシャンを見つけてしまった事は悪い事だったの?」

サーチモンは静かに問う。真紅のマントで覆い隠された、自身よりも大きな背中に。

「悪であるはずがない。前人未到の領域ではなかったが、君が独学でそこまで達した事は偉業と呼ぶには十分だろう。私も心から経緯を評している」

微動だにせずの即答。模範的な回答。その澱みの無さは逆に一欠けらも真実を含まない、混じりけの無い純粋な「嘘」で構成されているからではないのか。サーチモンにはそうとしか感じ取れなかった。

「なら、僕がG.O.D.W.に拘束されたのはなぜなの?悪い事をしていないのなら何で?」

その言葉にどれだけの真実が含まれているのか。それを量る為にサーチモンは更なる問いを続ける。

「あんたはシールダーズを作ったときに僕達にこう言ったよね。『平和に暮らしている人間達の未来が理不尽に奪われてはならない』って。でも、僕が受けた仕打ちは理不尽じゃないの?それともあの言葉は嘘だったの?」

沈黙。ジャスティモンは答えようとしない。

「司令!今のサーチモンの言葉は本当なんですか!?」

マイクが声を拾ってしまったのか、今の会話は緋色達にも聞こえていたらしい。叫ぶようなダルクモンの声は明らかに冷静さを欠いており、ピッドモンとトータモンもスクリーンの中で酷く困惑した表情を浮かべている。

「…嘘ではない。サーチモンの言葉も、そして私の言葉も。人間もデジモンも関係ない。未来は等しく守られねばならないものだと私は信じている」

「じゃあ何で僕が今ここにいるんだよっ!拘束されて、こんな場所に閉じ込められて僕は一生ここから出る事はできない!外ではG.O.D.W.のメディア官製によって僕の名前は消されている!僕の未来はみんなあんたが…G.O.D.W.が奪ったんだ!」

駄々をこねる子供のようにサーチモンはわめき散らす。事実、昆虫型であるため年齢が分かりづらいが人間の年齢に換算すれば彼は緋色と大差ない年齢であったりするのだが。これまで無理に自分を納得させていたのに今になって命令に背いたのも、こうしてオペレーションルームに戻ってきたのにも明確な理由は無い。自身が拘束される原因であったプリミティ・オーシャンを見て押し殺してきた怒りが蘇り、そして誰かにそれをぶつけずにはいられなかっただけだ。

「何がシールダーズだ、何が『人間を守る』だっ!あんたの言葉が嘘じゃないって言うのなら、僕を今すぐここから出せっ!」

「…嘘ではない。だが、イージスゲートから君を出すわけにもいかない」

一拍の間を置いてジャスティモンは答える。サーチモンに背を向けたその姿勢は変わっていないが、ポッドの縁に置かれていた手が震えていた。

「何言ってんだよ!そんな矛盾した理屈あるもんか!どうせ僕の事を利用する事しか考えていないんだろう!?最高機密を守る為に、用済みになったら僕を始末するに決まっている!違うのっ!?」

「父さんはそんな事をする人じゃないっ!」

間髪いれずに返答が返された。答えたのはジャスティモンではなく、ダルクモンだ。マイクがサーチモンの声を拾ってしまい、緋色達にも聞こえてしまったらしい。

「父さんは幼い私の命を救ってくれ、そして育ててくれた!あの優しい父さんがそんなことをするはずが無い!あるはずが無いんだ!」

叫んだその言葉に確証は無い。ただ「そうであって欲しい」という願いだけを強く振り絞って叫んだ言葉。揺らいでしまった上官への信頼と尊敬の念を、そして父への愛情をまた確かなものにしたいが為にダルクモンは叫んだ。

「ダルクモンさん…?」

緋色もトータモンもジャスティモンも、そしてサーチモンも呆気に取られていた。常に平静でいるように努めていた彼女がこれほど感情を露にするところを、彼らは見たことが無い。育ての親たるジャスティモンは何度も見る機会はあっただろうが、彼女が任務の最中であることを忘れて叫ぶ事など、父といえども見た事はなかった。

 

そう、ダルクモンは忘れていた。

今が任務の最中であることを、己と相対している敵がいるという事を。

 

緋色がダルクモンの叫びに気を取られ、そして歴戦の戦士として彼を補佐する筈であった彼女が平静を失ったそのとき。外界の事象についてまるで意識を配っていないピッドモンに、自分と同程度のサイズのゴーレモンの拳が激突した。

「がはぁっ!?」

背後にあったウインドウとゴーレモンの拳に体が挟まれ、自身の骨にヒビがはいりやがて折れる鈍い音がゆっくりと耳に届く。激痛はやや遅れてやってきた。

「ダルクモン!緋色くん!」

愛娘と部下の危機にジャスティモンは思わずポッドから身を乗り出して叫んだ。彼の気持ちを汲んでか、ピッドモンの肉体よりも先に背後のウインドウが限界を迎えて砕け散った。破片を背に受けながらもピッドモンの肉体はゴーレモンの拳を離れていく。押し花になるのはかろうじて避けられたがその体はぐったりとしており、自身を押し流していく慣性に逆らう力すら残っていないようだった。ゴーレモンは更なる追い討ちをかけるべく、短い両腕を頭上に掲げる。拳の上にその体と同様にワイヤーフレームで構成された小さな球体が生まれ、それが巨大な吸引音をあげながら巨大化していく。

「なんだありゃぁっ!?」

空間に散らばる破壊されたデータを素粒子に変えて吸い込み巨大化した球体は、ゴーレモンの倍近い直系にまで膨張していた。両手でそれを支えながら、ゴーレモンの体が僅かにのけぞる。投げつける気なのだ、ピッドモンに。

「さ・せ・る…」

トータモンがそれを食い止めるべく行動を起こす。しかしゴーレモンとの距離は離れており、その距離を埋められるであろう飛び道具、シェル・ファランクスを備えた甲羅は間の悪いことにゴーレモンと反対方向を向いていた。

「かよっ!シェル・ファランクス!」

否。ちょうどよくゴーレモンと反対方向を向いていた。スパイクを一斉発射したときに生じる反作用を推進力に変え、トータモンは腹からゴーレモンに突進する。スパイクの半数は先程のリアルワールドの戦いで使い切っていたため突進の速度そのものは早くない。しかし、自分の倍の大きさの荷物を両手で抱えていたゴーレモンも思うように身動きが取れない状態であった。球体を投げるべきか、回避すべきかの判断にもたついている隙にトータモンが到達し、拳も光線も使えないゴーレモンの顔面に緩慢な動きで「張り手」を叩き込む。ワイヤーフレームの巨躯が今度は大きくのけぞり、球体を取りこぼす。次の瞬間、球体が爆裂し、スクリーンの中を閃光が覆った。

「トータモン!トータモン、大丈夫かっ!?」

ジャスティモンが再び身を乗り出して叫ぶ。通信機のマイクに向かって何度も呼びかけていると、やがてかすれた声で返答が帰ってきた。今の衝撃でD・バックラーが破損したのかノイズ混じりで言葉の内容は聞き取れないが確かにトータモンの声は返ってきた。かろうじて無事なようで、ジャスティモンは胸をなでおろす。しかし、未だに予断が許されない状況であるとすぐに気付かせる。

閃光が晴れたとき、プリミティ・オーシャンに力なく漂うトータモンは大海に浮かぶ枯れ枝のような姿と形容するのが適当な状態であった。先に重症をおったピッドモンもまた同様の状態であり、既に二人とも戦える状態ではない。対してゴーレモンは、全身にヒビが入っていたがその場で元気に腕を振り回している。自分の体がまだ動く事を確かめているのだろうか?

「緋色くん、トータモン撤退するんだ!今すぐ帰還用のゲートを開く!」

ジャスティモンは二人がいるエリアとイージスゲートを繋ぐゲートを開くべく、キーボードに指を走らせる。ジャスティモンの顔の手前にゲートシステムの状態を表示するスクリーンが開く。しかし、ゲートの開通を示す「ALL GREEN」に類する表示は中々表示されず、デジ文字で「ERROR」が何度も表示されるだけであった。元来、ゲートシステムと言うものは本来使用する度に細かな調整を行わなければいけない。その為には専門的な知識・技術が要求され、プリミティ・オーシャンにゲートを繋ぐという想定外の使用法を行おうとすると難易度は跳ね上がる。ジャスティモンはリアルワールドとの相互転送が行えるだけの知識と技術は持っていたが、それ以上の物は持ち合わせていなかった。最適化が不十分だったのもその為だ。

「あんたのエゴが招いた結果だよ」

必死になってコンソールと向き合うその背中に、サーチモンは冷たく吐き捨てる。周りのデジモン達はジャスティモンに畏敬の念を抱いていたが、彼はその類のものは欠片も持っていなかった。むしろその真逆、彼がこの世でもっとも軽蔑し、恨みを覚えている人物といえよう。

「あの三人はあんたの為に犠牲になるんだ。人間を守るっていうあんたの自己満足の為に。僕と同じように!」

ここ数週間の間抱いていたサーチモンの望み。それはジャスティモンを思う存分罵り、罵倒する事。罵声を背に受けた当人はゲートを繋げる事に必死なのか、何の反応も見せず相変わらずキーボードを叩いているがサーチモンは胸がすくような想いだった。自分が置かれた環境は何も変わらないだろう。しかし、何も知らずジャスティモンを信じてきた者達に己の浅はかさを教え、そして自分に監禁同然の仕打ちを与えた男に大きな後悔を味合わせることが出来ただけでも、命令に背いた甲斐はあった。その瞬間、サーチモンは確かにそう考えていた

焦るジャスティモン。力なく原始の海を漂うピッドモンとトータモン。一人満足するサーチモン。そして拳を振り上げ、突進するゴーレモン。狙うは爆発で再び離れたところに飛ばされたトータモンではなく、それよりも近い場所を漂っているピッドモンだ。ロッドを握りなおし、ピッドモンは迎撃を試みようとしたが腕があがらない。ゴーレモンの巨体が間近に迫り、拳を振り下ろす。避けられない。緋色とダルクモンはそう確信する。ジャスティモンが声にならない叫びを上げたその瞬間―――――――ゴーレモンは動きを止めた。

「?」

一体何が起こったのか。ピッドモンは逃げるのも忘れ、拳を振り上げた体制で固まっているゴーレモンを見上げる。立方体の顔面に、赤い棘が生えていた。顔面を突き破り、等間隔に、平行に三つ並んで生えている。そこまで理解した瞬間、ゴーレモンの体が粒子となって崩れ去った。頭部のあった位置には赤い三又の矛が浮いている。その凶器の遥か後方に持ち主と思われる人物の姿があった。

「お疲れのようですな、シールダーズの諸君」

黒い三又矛の持ち主に相応しく、その人物は悪魔そのものの容姿をしていた。蝙蝠のような翼に先の尖った尻尾、赤い肌に黒い衣装。広い額から突き出した二本の角。緋色は小学校の頃の授業で見たコンピューターウイルスの説明図を、また思い出してしまった。

「『境海監視部』か…」

少し冷静さを取り戻したジャスティモンが呟く。悪魔デジモンはそれを肯定するかのようにピッドモン達に向かって頭を下げた。

「いかにも。申し送れたが私は実働部隊のフェレスモン。G.O.D.W.はこのような事態が本当に起こりうるとは考えていなかったようでね、結果として対応が大きく遅れてしまったのだよ。かくいう私ですらまさかダイブする日が来るとは思っていなかったわけだが…」

胸を張り、尊大な態度で悪魔デジモンは言葉を紡ぐ。フェレスモンの口ぶりからして、「『境海監視部』とはG.O.D.W.が設立したプリミティ・オーシャンを監視する機関の事なのだろう。緋色が感じた印象とは真逆の立場にいるようだ。

「さて、ゴーレモンと言うウイルスを駆除した事によって私に課せられた一つ目の任務は完了したわけだ」

「一つ目…?」

緋色が呟いた言葉に対し、フェレスモンは指を一本立てて得意げにしゃべり始める。

「そう、まだ一つ目だ。とは言っても二つ目の任務も大したものではない。ジャスティモン殿にG.O.D.W.からのメッセージを伝えれるだけで良いのだからな」

「私に?」

G.O.D.W.からのメッセージ。その言葉を聞いて全員に緊張と、得体の知れない不安が過ぎった。

「イージスゲートの通信システムの電源がダウンしていて連絡が取れなかったのでね、私がメッセージを預かってきたわけだ。こちらで展開してもよろしいかな?」

返答を待たずに、フェレスモンはD・バックラーに似た通信機を取り出して操作し、ホログラフィのスクリーンを映し出す。文字と音声でG.O.D.W.からのメッセージが通達された。

 

“プリミティ・オーシャンに関する機密事項の漏洩を発見。シールダーズ総司令官ジャスティモン、並びに隊員四名は直ちに当局へ出頭し、厳密な審査を受けよ。審査の終了までシールダーズは無期限の活動停止処分とする”










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