アマクモンが餌を放り投げると、鈍色のその影は音を立てて肉を貪り始めた。破片が飛び散るのもお構いなしだ。

「はぁ…退屈だと思わねぇか?ラミエモン」

ラミエモンと呼ばれた全身を装甲版で覆われたデジモンは答えない。彼は退屈と言う言葉を理解するだけの知性はもっていなかった。

「こんなモンじゃなくて、生きた獲物で腹を膨れさせたいだろう?」

アマクモンが与えた餌は、デジタルワールドの農場で『栽培』された特大の骨付き肉だ。肉を『栽培』するという技術は、遥か昔からデジモン達の間に伝えられてきた技術である。骨を粉々に噛み砕き飲み込んだラミエモンは物足りなげに唸り声を上げた。

「いくらおつむに機械を詰め込んだところで、腹の底からわきあがる飢えを完全に抑える事なんざできやしない…」

そういって指先でラミエモンの頭部を小突く。コツンと良い音を立てた装甲の下には、ラミエモンの神経系と直結したスーパーコンピューターが詰まっている。そこにプログラミングされた命令がラミエモンが本能のままに暴れるのを抑えているのだ。

「俺達6人は“あいつ”の目的の為に揃えられた。言ってみりゃ人間の世界って言う城を切り崩すための刀だ。究極体と言う名の名刀――――折角揃えた業物を鞘にしまったままにするってのは…」

アマクモンは腰に下げた刀を抜き放ち、切っ先をラミエモンに向ける。

「もったいねぇよなぁ?見せびらかしたいだろ?その切れ味をよ?」

アマクモンの顔が喜悦に歪んだ瞬間、刀身がラミエモンの額に沈んだ。









Scarlet Hero

“シールダーズ七転八起(後)”


植物型デジモン ジャガモン
サイボーグ型デジモン ラミエモン
登場








「人間を含む部下4名への機密の漏洩。及び無許可でのプリミティ・オーシャンへのダイブ。事実との相違はあるかね?」

窓一つ、隙間一つない堅牢な壁で囲まれた会議室に老人の声が響いた。灯は落とされており、光源は出席者達を照らすスポットライトのみだ。

「相違はありません。事実を認めます」

しかし、とジャスティモンは続けた。U字型に湾曲した巨大なテーブルが彼を囲み、その外周に灯影されている立体映像のデジモン達が睨みを聞かせているが彼は全く物怖じすることなく答える。

「あの状況でもっとも早くプリミティ・オーシャンへとダイブできる施設はイージスゲートのみであり、また一刻も早くダイブしなければゴーレモンによってリアルワールドへの被害は広がる一方でした。あの場では部下に機密を話すことが最善の手段であったと判断します」

「最終的にゴーレモンを撃退したのは『境海監視部』のフェレスモンだ。シールダーズよりも遥かに遅くダイブしたはずのな。それでも最善の判断だと言い張るのかね?」

立体映像が囲むU字テーブルにただ一人、生身のデジモンの姿があった。ゴツゴツした硬質の外皮を持ったそのデジモンの名はジャガモンと言う。種族特有の尾の様に生えた草の目はしなびており、外皮が硬化していない顔には深い皺が刻まれている。老成した、高齢のデジモンなのだろう。立体映像を用いて通信で審議に参加しているデジモン達も、バラつきはあるものの皆高齢の者ばかりであった。

「ジャスティモンの判断の是非はこの際さしたる問題ではないだろう」
「重要なのはシールダーズの隊員達が機密を何処まで知っているかと言う事だ」
「先に行われた事情聴取によれば、4人ともプリミティゾーンの存在と概要を知らされただけのようだ」
「ダイブの方法等、致命的な被害に繋がる機密までは知らない。彼らの独断では大きな被害が起こる事はないだろう」
「ならば、今回の件は部下共々不問でよろしいな?」

確認を求めたのはジャスティモンではなく、U字テーブルに座るデジモン達にだ。ざわめいて無用に音を立てることもなく、僅かな間を置いて皆が賛同する。

「ジャスティモンよ、この件については不問としよう」
「ゲートシステムの使用権限を持ち、最重要機密事項を知る我々と同格の地位にいるとは言え、個人の独断でのダイブは誰も許されてはいない。我々の承認なしでのダイブに関してはロックがかかるよう、イージスゲートのシステムを改良する。異論はないな?」

「承知いたしました」

五分とかからずに、審議は終わりを迎えた。もとよりこの会議はジャスティモンの行動の是非や証言の真偽を問う為のものではない。G.O.D.W.への反逆の意志の有無を審査する為にこの場は設けられたのだ。それを知っているからこそ、ジャスティモンは大人しく通達に従い、G.O.D.W.への反攻の意志がないことを政府に神妙な態度で示した。

「しかし、だ。サーチモンの命令違反の件については不問と言うわけにはいかない」

ジャガモンの口からサーチモンの名前が出た途端、物怖じする事もなく平静を保っていたジャスティモンの拳がピクリと震えた。「しかし…」と口を開きかけるのを制するように、ジャガモンは言葉を続ける。

「後から命令を変更したところで、命令違反があった事実はなくなりはしない。お前の私設部隊同然のシールダーズとて、G.O.D.W.の管理下にある軍隊の一部だ。命令違反、それも任務中となれば軍隊、ひいては政府にとっての不適合者と見なされ除隊どころかそのままプリズンに入れられてもおかしくはない。私が何をいいたいか分かるな?」

「お言葉ですが彼は望んでシールダーズに入隊したわけではありません!彼が命令違反を犯したとしても、その責任は彼ではなく、私にこそ問うべきです!」

それまで直立不動でいたジャスティモンがジャガモンに向かって身を乗り出して叫ぶ。感情を抑えた先程までの応答とは違った、少なからず必死さのうかがえる声だ。

「君に責任を問うつもりはないと言うのが我々の答えだ。部下を庇おうとするその姿勢は麗しいが、甘やかしては当人の為にならんだろう?自重したまえ」

熱くなったジャスティモンに冷や水を浴びせるかのように、立体映像の幾つがせせら笑う。

「サーチモンには氾濫分子となる要素があることがこれはっきりとした。意義は認めぬぞ。この“条件”を飲んだのはお前なのだからな。サーチモンがお前の監視下にあるうちは手を出さぬが、奴がその監視の外に逃れた場合…我々のやり方で処分する。当初の予定通りな」

もう話し合う必要はないとばかりに、立体映像の灯影の為に暗くなっていた会議室が明るくなり、白亜の壁が姿を現す。通信が切られ出席者達の立体映像が次々と消えていき、ジャガモンもボディーガードと共に分厚い扉を潜ってその場を後にした。一人残されたジャスティモンが、土下座をするかのように膝と手を着いてその場に崩れ落ちる。

「すまない、サーチモン…」

普段の彼からは想像できない、震えた声がマスクの下から漏れた。








デジタルワールドを統治するG.O.D.W.。その直属軍の本部において、一部の軍人や政治家しか立ち入る事を許されていない機密ブロックの監房に緋色・ウィッチモン・サーチモン達は閉じ込められていた。

「ちょっと機密を知っただけなのに、こんなスィートルームをあてがってくれるなんて。G.O.D.W.って思ったよりもずっと太っ腹だったのね。その予算をシールダーズにも回してくれれば良かったのに」

監房の内と外を遮断する、赤い光の格子を見てウィッチモンが口を尖らせた。一見して赤外線を使った警報装置のように見えるが、この赤い線はデジモンの体を分解する強力なウイルスの束なのである。格子状に維持するだけでも難しく、この装置の配備と維持には莫大な予算が掛かかり、まだ実践段階ではないと言われている技術だったと彼女は記憶している。

「機密は一分たりとも漏らさずにいてこそ機密と呼べるのだよ、ウィッチモンくん」

赤い格子の向こうで、それ越しでは輪郭が見づらい赤い顔が笑みを作った。緋色達を監視しているのはプリミティ・オーシャンに侵入したゴーレモンを倒し、G.O.D.W.からのメッセージをシールダーズに伝えた『境海監視部』のメンバー、フェレスモンだ。

「まさか局長とこんなところで再会するなんて思わなかったわ」

「知り合いなんですか?」

壁を背にうずくまっていた緋色が眠そうに目を擦りながら顔を上げ、聞いた。

「私とダルクちゃんがシールダーズに志願する前に所属していた治安維持局の局長さんだったのよ、この人」

「だったとは心外だな。私は今でも現役の治安維持局局長を勤めている」

「ふぅん…つまり地位のある政府のデジモン達だけが裏で『境海監視部』なんてママゴトをやっていて、自分達だけでプリミティ・オーシャンを管理しているって分けか」

それまで部屋の隅でこの場にいる皆を睨み続けているだけだったサーチモンが口を開く。「多少の語弊はあるが」と付け足して、フェレスモンはその言葉を肯定した。

「しかし、久方振りに顔を合わせたというのに、ダルクモンくんは随分と元気がないようだな」

そう言ってフェレスモンは緋色が持っているD・バックラーを見やる。緋色の中に存在するダルクモンの精神は外部とコンタクトを取るときはこれを通じて声を出したり、あるいは立体映像でコミュニケーションをとるのだが、ここへ来てからD・バックラーが反応を示す事がなかった。時折彼女の事を心配したウィッチモンや緋色が声をかけても、一言二言の覇気のない返事が返ってくるばかりだ。

「局長の顔を見てれば誰でも元気がなくなりますよーだ」

「直接の部下でなくなったとはいえ、目上のデジモンをもう少し敬ったらどうかね?」

歯茎を剥くほどに唇の端を吊り上げ、顔を近づけたフェレスモンに対しウィッチモンは短く舌を出す。緋色は自分と出会う前のウィッチモンやダルクモンのことはよく知らないが、フェレスモンは彼女らにとっては余り良い思い出のある人物ではないのだろう。少なくとも、ジャスティモン程良い上司ではなかったようだ。

良い上司。そう、ジャスティモンは理想の上司、というよりも緋色にとって理想の先生のような存在だった。自分の権威を傘に来て威張る事はなく、失敗を目下の者の所為にはしない。自分達部下の気持ちを汲み、その安否を気にかけてくれる。出会ってまだ間もないが、緋色は絶大な信頼をジャスティモンに寄せていた。ダルクモン達もまた同様の思いを抱いていただろう。

その信頼がほんの数時間前に覆された。独学でプリミティ・オーシャンの存在を知ったサーチモンを拘束し機密保持の為に監禁するというG.O.D.W.の方針に従い、サーチモンをイージスゲートに監禁し、自らの監視下において無理矢理シールダーズに入隊させていたのだ。リアルワールドに大きな影響を与えかねないプリミティ・オーシャンの存在を徹底的に隠蔽するというその方針は緋色達にも理解できる。だがその為に何の非もないサーチモンを監禁し、人間の年齢に換算すれば緋色と大差ない年齢の彼の未来を根こそぎ奪う事は、緋色達には納得がいかなかった。

『最高機密を守る為に、用済みになったら僕を始末するに決まっている!違うのっ!?』

サーチモンのこの言葉に対するジャスティモンの返答を、まだ緋色達は聞いていない。一昨日までの緋色達なら、件の人物が『NO』と即答する事を信じて疑わなかっただろう。しかし、今はその確信が揺らいでいた。

「喜びたまえ、君達は無罪放免だ。サーチモンくん以外は機密を漏らしさえしなければ今までどおりの生活を送れるだろう。シールダーズの活動だってすぐにでも再開できる」

D・バックラーによく似た通信機を片手に、フェレスモンが吉報を緋色達に伝える。赤い格子も消えたが我先にと牢の外に出ようとする者はいなかった。サーチモンが受けた余りにも理不尽な仕打ちを知ってしまい、ジャスティモンに対し疑念が沸いた今、以前のように全幅の信頼を置いて戦いに赴く事は出来ないだろう。大きな迷いが戦いにおいて命取りになる事は、経験の僅かな緋色にもよく分かっていた。先のゴーレモン戦で追い詰められたのは、ダルクモンが大きく動揺していた事が最大の原因となったのだから。

幼年期の頃ジャスティモンに命を救われ、育てて貰ったダルクモンが彼に向ける信頼は上司と部下のそれではなく、人間の親子の情そのものといっても過言ではない。清廉潔白な人物であったはずの『父』が政府の非道な方針に従っていると知ったときの彼女の動揺もまた、ウィッチモンたちのそれよりも数段大きなものであった。

「…ダルクモンさん」

口に出さずとも頭の中で会話できるが、緋色はあえて口に出して声をかける。D・バックラーにも、頭の中にもダルクモンの声は返ってこない。腹の底が重くなり、体が緩やかに冷えるような沈んだ気持ちが、『異物感』を伴って自身の中に存在しているのが分かった。異物感の正体は、これが今のダルクモンの気持ちであるからだろうと緋色は悟っていた。お互いの考えている事が筒抜けになっているわけではないが、強い感情に支配されているとそれが相手にも伝わるのだろう。

(何とかしなきゃ)

不安なのは緋色も同じだ。リアルワールドの時間では夜も遅いのに家に帰れず、心細くもある。しかし自分よりもずっと精神的にタフであるはずのダルクモンがここまでふさぎ込んでいるのだ。命の恩人であり、何度も窮地を救ってくれた彼女を助けなければならないと緋色は感じた。そして出会って間もないが仲間だと思っているサーチモンの事も、このまま何もしないで傍観している気にはなれない。緋色は立ち上がった。

「フェレスモンさん」

「ええと…緋色くんだったか。何か用があるのかね?」

「ジャスティモン司令が何の為にサーチモンさんを閉じ込めて見張っていたのか…知っているのならそれを全部教えて欲しいんです」

意を決して、自身が、そしてダルクモン達が感じていた疑問を口に出す。これもまた機密事項であろうことが容易に想像がつき、G.O.D.W.のデジモンがおいそれと話してくれるようなことではない事は分かっている。そうでなくとも、より残酷な答えが返ってくる可能性を考えると口にすることがはばかられる疑問でもあった。それでも緋色は口に出さずにはいられなかった。ダルクモンにサーチモン、仲間達の為に自分が今すぐ出来る事はこれしかないと思ったのだから。このまま成り行きに身を任せたところで、事態が好転する事はありえようもないのだから。

「ほう…その質問はダルクモンくんの意志によるものかね?」

「…?違います、僕が一人で考えて決めたものです」

「ふぅむ…数日もすればそのうちダルクモンくん辺りが私にメールで聞いてくると思ったが…」

フェレスモンは意外そうに顎鬚をさすった。どうやら近い内にシールダーズの隊員達がこのような事を聞いてくるであろう事は検討がついていたらしい。こんなにも早く、緋色が直接聞いてくるとは思ってはいなかったようだが。

「まぁよいだろう。私の知る限りの事でよければ、其処の天才がどのような経緯でシールダーズに入隊することになったのか、話してやろう」

「え?ほんとーにいいの?」

余りにもあっさりと承諾され、ウィッチモンが目を丸くして頓狂な声を上げた。緋色も呆気に取られている。

「フン…機密に拘るG.O.D.W.のデジモンらしくないじゃないか。嘘八百を吹き込んでいいように利用するつもりなんじゃないの?」

「この件は君たちに話しても良いことになったのだよ。つい先程ね」

「…どういう意味だよ?」

「聞けば分かる。それに…」

フェレスモンは視線をサーチモンから緋色の持つD・バックラーへとずらした。そして強面の真っ赤な顔を綻ばせる。

「塞ぎこんでいる元部下の為に、人肌縫いでやろうと思ったのだよ。元・上司としては当然の事ではないか」

本人は笑顔のつもりなのだろうが、周りから見れば牙を剥いたその表情は『凶悪』の二文字がこれ以上ないほど似合う代物だ。緋色が身を竦め、ウィッチモンがまた眉をひそめた。






フェレスモンの話によれば、プリミティ・オーシャンの機密に関する事の決定権を持つG.O.D.W.の上層部のデジモン達は皆、拘束したサーチモンを事故に見せかけて消すという意向であったらしい。それに一人反対し、直ちに開放するべきだと訴え続けたのがジャスティモンだった。

「じゃあ父さんは最初から政府の決定には反対だったんだな!?」

D・バックラーの液晶画面からダルクモンの立体映像が飛び出す。嬉しそうに目を輝かせている彼女の姿を見て、フェレスモンはまた唇の端を吊り上げて微笑んだ。

「その通りだ。人格者で知られる君のお父上が、このような提案をする筈がないだろう。彼は慈悲深く、そして誇り高い。私が知る限り、このG.O.D.W.で最も尊敬に値する人物であるといえよう」

「あんたがあいつに対してどう思っているかなんて関係ないよ。重要なのは僕が結局拘束されているって事実だけだ」

ジャスティモンに対するわざとらしいほどの賛美を聞いて、サーチモンは気分を害したらしい。フェレスモンは大きな咳払いをしてから話を続けた。

「結局、ジャスティモン一人の発言ではサーチモンを開放させる事は出来なかった。ジャスティモンが監視下にある限りは、G.O.D.W.はサーチモンに手を出さないと言う契約を結ぶ事は出来たがな」

「でも、良かったじゃない。命は助かったんだし…」

「良い事なんて一つもないよっ!僕は一生表を歩けなくなった!周りの人達との繋がりも断ち切られた!大好きな事を自由にやることすら出来ない!おまけにメディアからも名前を消されている!これの何処が良かったって言うんだ!死んでいるのと同じだよ!生きてりゃそれでいいなんてのはただのエゴだ!」

ウィッチモンの不用意な発言に対して、サーチモンが弾けるように激昂する。叫びの後半は涙声になっていた。

「…ジャスティモンがG.O.D.W.と結んだ契約は一つではない。もう一つ、サーチモンを開放するための契約も取り付けていたのはご存知かな?いや、知る由もないか」

「!?」

おもむろに口を開いたフェレスモンが言うには、G.O.D.W.がもっとも恐れていたことはサーチモンがプリミティ・オーシャンの知識を悪用する事だったらしい。政府はサーチモンがその知識を悪用するはずがないと言う事を、自分達に証明する事を開放の条件としてジャスティモンに提示した。

「G.O.D.W.にとっての悪…乱暴にいってしまえば自分達の意向に反しないという事だ。政府のデジモンであるジャスティモンの下、名誉も報酬も期待できない任務を反発することなくこなす。そうする事によってサーチモンが誠実で謙虚な模範的なデジモン…政府の犬らしい精神の持ち主だと安心できればG.O.D.W.は君を解放するつもりだったらしいな」

「だったらなんであいつは僕にそのことを話さなかったんだ!?そのことを知っていれば僕は…!」

「大人しく従う振りをしていた、か?いつか政府に復讐することを考えながら」

「!」

「G.O.D.W.が恐れているのは正にそれなのだよ。君は天才と呼ばれたデジモンだ。誰にも考え付かないような方法で政府を出し抜く可能性がある。だからこそジャスティモンにこの事を話すことを禁じ、また力や権力で従わせることも禁じた。彼ならばそんな手段で従わせることはしないだろうがね」

「まて。とうさ…司令がサーチモンに話さなくても、局長が話してしまえばその時点で契約は破られた事になるのでは?」

ダルクモンが口にした至極当然の疑問に対して、フェレスモンは頭を振って答える。

「既に契約は破られているのだよ。昨日のサーチモンの命令違反の時点でな」

「あ…!」

「先程君達の釈放の知らせと共に、G.O.D.W.がその旨を伝えた。監視下にいる限り命の保障はするが、一生外に出すつもりはないそうだ」

サーチモンが、言葉を失って固まる。表情の変化がほとんどない昆虫型デジモンだったが、人間ならば顔が青ざめていることだろう。ダルクモンもウィッチモンもかける言葉を失い、牢の中に重い沈黙が訪れる。

「…おかしいよ、こんなのっ!」

幼さを感じさせる声が、それを破った。サーチモンではない。緋色の声だ。

「何も悪い事をしていないのに捕まえられて閉じ込められたりなんかしたら誰だって怒るよ!そんなことされて、怒らないでいろなんて無理だ!何も教えられずに命令違反するなだなんて、できっこないよ!」

「…君の言うとおり、この契約は圧倒的にジャスティモン、そしてサーチモンにとって不利なものだ。最初からG.O.D.W.はサーチモンを開放する気がない」

「何故父さんはそんな不利な条件を飲んだんだ…?」

「彼とてG.O.D.W.の意志には気付いていただろう。何故それを承知でこの契約を結んだかは私には分からな…」

そのとき、監房を照らす真っ赤な点滅と共に突如割り込んだ甲高い警報がフェレスモンの言葉を遮った。軍関係者であるダルクモン達はこの警報の意味を知っている。何者かが軍本部に侵入し、暴れているのだという事を。

『軍本部内、エントランスホールに攻撃の意志が認められるデジモンが進入。進入したデジモンの種族は称号不能。付近の警備部隊の第一陣はほぼ壊滅。アンノウンは究極体相当の戦闘能力を有する模様。戦闘が行えるものはただちにエントランスホール付近に向かい、指示を…』

「ちょっと、どういう事よ!?軍本部に正面から殴りこんできた馬鹿がいるってわけ!?」

信じられない、と言った表情でウィッチモンが叫ぶ。軍本部に正面きって攻撃を仕掛けるという事は、デジタルワールド全域を統治するG.O.D.W.を敵に回すことを意味する。正気の沙汰ではない。

「私に聞かないでくれたまえ!」

そう言ってフェレスモンは監房の外へ向かって駆け出す。誰がいうでもなく、緋色達がそれに続く。何十にもロックのかかった分厚い扉を何枚も潜って機密ブロックから広い廊下に出ると、血なまぐさい匂いが彼らの鼻を突いた。戦場となっているエントランスホールはまだ遠い筈。怪訝に思った矢先に、頭上から一メートル大の物体が落ちてきた。

「危ないっ!」

真っ先に気付いたフェレスモンの一言を皮切りに、4人は爆ぜるように飛びのく。落下してきた物体は四本の足を持つ昆虫を連想させる多脚機械で、蜘蛛を連想させる八つのセンサーアイが頭部と思われる部分についていた。緋色やダルクモンはその姿に見覚えがあった。

「ラミエモン!?」

牙の並んだ口を大きく開き、強酸の唾液を垂らしながら吼えるその姿は先日緋色達の前に姿を現した六体の究極体の中の一体と同じ姿をしている。相違点と言えば、体を構成するパーツが多少減っている事とトータモンと同等以上であったその大きさが、緋色の目線よりも低い1メートル大までサイズダウンしているという事であろうか?ラミエモンは一番近くにいたフェレスモンに飛びかかろうとしたが、それよりも早くフェレスモンの持った三又の槍が顔面に突き立てられた。マシーン・サイボーグ型デジモンといえど頭部を潰されれば即死へと繋がる。襲撃者は撃退されたかに見えたが、ラミエモンは頭部に槍を突き立てられても飛び掛る勢いを緩めず、フェレスモンに体当たりして転倒させる。

「な…何!?」

ラミエモンの体が慣性の勢いに任せてフェレスモンに激突したわけではない。そのまま足の先にあるクローを床に食い込ませて馬乗りになり、口を大きく開いて喉笛に噛み付こうとしている。頭部を潰されてもその生命活動は停止するどころか衰えを見せていなかった。

「局長!」

元上司の聞きにダルクモンが叫ぶ。その叫びを耳にして、フェレスモンはまたあの凶悪なスマイルを浮かべた。その顔は被捕食者のそれではない。槍を握りなおし、万力のような力を込めて捻る。ラミエモンの顔面に突き立てられた穂先が傷口を大きく抉り、頭部は機械部品や肉片を飛び散らせながらバラバラになった。無防備な腹にフェレスモンは膝蹴りを叩き込んで跳ね飛ばし、馬乗りの体制から脱出する。そして四本の足を振り回してひっくり返った状態から飛び起きようするラミエモンの腹を容赦なく踏みつけ、四肢の間接の隙間から露出するむき出しの筋肉に槍をつきたて、足をもぎとっていく。其処までして漸くラミエモンはその体を粒子化させた。

「少々驚かされたが…究極体にしては歯ごたえが無さ過ぎる」

服や顔に飛び散った体液を拭い取りながらフェレスモンはあらためて辺りを見回す。大廊下には警備のデジモン達が倒れており、無傷なものは一人もいない。手足を失っている重傷者もいる。考えるまでもない。ラミエモンにやられた者達であることは明白だ。

「大丈夫ですか!?」

「あいつら…エントランスホールの警備を突破して…」

緋色やウィッチモンに助け起こされた警備員達がうわ言のように呟く。『あいつら』という複数形の代名詞に、一同は怪訝な表情を浮かべる。

「兎に角、医療施設のある隣のブロックまで連れて行かないと…」

ウィッチモンが比較的体重の軽いデジモンから担ぎ起こそうとしたとき、大廊下にある扉の一つが爆ぜ、其処から一匹のデジモンが飛び出した。倒れているデジモン達と同様、重症を負っている。そして壊れた扉の奥からは、光る数十のカメラアイが廊下を見回していた。先程と同じ小型のラミエモンが6、7体。姿を現したそれらが手近にいた『まだ息のある者』へと襲い掛かった。

「…ピッドスピードッ!」

真っ先に反応したのは緋色だった。ピッドモンに変身し、加速し高速移動する技を使って負傷者とラミエモンの間に割り込む。それを皮切りウィッチモンとフェレスモンもラミエモンの集団へと向かっていく。突如現れた予想外の襲撃者『達』に気を取られ、彼らは気付いていなかった。サーチモンがいつの間にか姿を消していると言う事に。








D・バックラーを壁についているコンソールにつなぎ、操作すると壁に切れ目が入りシャッターのように開いた。その先には非常用の地下通路へ続く階段が伸びている。普段使われないからか、電源は落ちており暗闇に包まれていた。サーチモンはD・バックラーのライト機能を使い、階段を照らした。

「…誰もつかっていないのかな?こんな事態の為に作ったはずなのにね」

サーチモンは早足に階段を下りていく。この地下通路は軍本部の敷地外や強固なシェルターへと通じており、上層部以外には秘密にされている。サーチモンもほんの数分前まではこの存在をしらず、この混乱に乗じてハッキングを行う事によって情報を手に入れたのだ。サーチモンは軍本部全体をパニック状態に陥らせている今の状況を利用して、ここから脱走することを思いついた。警備員を含む全てのデジモンが、襲撃者に気を取られ、また自分を監視・追跡する余裕もない。隙を突いてフェレスモン達の目を逃れるのは簡単だったし、G.O.D.W.が自分の件を隠蔽していたおかげで警備員達の目に留まってもエントランスホールと逆方向に逃げる自分の事を誰も疑問に思わなかった。ハッキングして逃走経路を調べる事等サーチモンにとっては一分ほどの時間も必要としない。

「…あんたの手を借りるまでもないよ。僕は一人でも生きていける」

元々、このような状況が来たときの為にシールダーズに入隊し、ジャスティモンに、政府に大人しく従っていたことをサーチモンは思い出す。自分は誰の手を借りなくても自由になれる。一体のデジモンになすすべもなく逃げ惑う人間達、一人では敵を倒せない緋色他のシールダーズのメンバー、天才である自分を恐れて拘束したG.O.D.W.の政治家達…そして不条理な契約を結ばされ、G.O.D.W.に屈したも同然のジャスティモンとは違う。サーチモンは頭の中でそう反芻した

「もう、誰かに足を引っ張られるのは御免だよっ!」

暗い地下通路の階段を駆け下り、エントランスホールとは反対方向に向かう。ライトの灯だけでは心ともないが、昆虫型であるため多少夜目は効く。それに種族特有の背中のレーダーがあれば地形だって把握できる。問題なく逃げ切れる。

進行方向から唸り声と強酸が床を焼く音が聞こえてくるその瞬間まではそう思っていた。

「…まさかこんなところにまで進入しているなんてっ!」

レーダーで探知するまでもなく、通路の先にラミエモンが待ち構えているということを一瞬で理解する。そしてその事実はこの脱走計画の崩壊とイコールで結ばれていた。逃走中にラミエモンに出くわした際の対策は既に考えてあり、これまでの道中で実践済みだ。しかし、その対策は最低でも対峙するラミエモンが二体以上いなければならない。一本道の通路に立ちふさがるのは一体のラミエモン。幾らレーダーの感度を上げても二体目のラミエモンの存在は引っかからない。藁にも縋るとばかりに妨害電波でラミエモンのセンサー類全てを狂わせる。しかし、生体部分に宿る闘争本能を極限まで研ぎ澄ましたラミエモンにとって、センサー類の異常はさしたる問題ではなかった。怯えて震えた獲物の気配めがけて、大ジャンプして頭から跳びかかった。

「うわあああああああああああっ!!」

サーチモンの脳裏に短いこれまでの生涯の記憶がフラッシュバックする。初めて図鑑を読んだときの興奮。教師に物を教わる楽しみ。自分で未知を解き明かす喜び。天才ともてはやされた日々。…そして、G.O.D.W.に拘束され、全てを恨んで過ごしてきた今日までの記憶。

「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!こんなところで死にたくない!誰か…誰か助けてっ!」


「サーチモン伏せろっ!」


不意に背後から響いた声に、サーチモンは反射的に地面に身を伏せた。その頭上を青白い電撃が通り過ぎ、とびかかるラミエモンに直撃し跳ね飛ばす。床に叩きつけられたラミエモンの顔面は、拳型にへこんでいた。

「ブリッツアーム!」

起き上がろうとするラミエモンを、次々と雷撃が襲った。一撃ごとにラミエモンのボディが粉砕されていき、瞬く間に原型を留めぬ鉄塊となって粒子化する。サーチモンが振り返ると同時に照明の電源が入れられ、電撃を放った者の姿が目に入った。赤いマントを羽織ったジャスティモンだ。マントの下から突き出していた右腕をしまうと、無言でサーチモンに背を向ける。

「待てよっ!」

気付けば、考えるよりも先に呼び止めていた。

「全部、全部聞いたよ…僕を自由にするために何も話さなかったんだってね…大きなお世話だよ!出来もしない条件を引き受けられたって、僕は何も嬉しくはない!それに僕一人でも自由になる事は出来たんだ!」

「G.O.D.W.の追っ手に怯えながら一人で逃げ続ける自由を君は望んでいたのか?」

「…!そ、それは…」

「G.O.D.W.の下にこの世界が治められるようになってから、デジモン達はそれ以前よりも安定した生活を送れるようになった。この統治体制は多くのデジモン達にとって無くてはならないものなんだ」

「…だからあんたは僕がされた事を肯定するの?」

「許されていいはずがない!」

ジャスティモンが不意に絶叫し、サーチモンはたじろぐ。ジャスティモンが怒りといった感情を垣間見せるのを初めて目にした瞬間であった。

「…だからこそ、私は今でもG.O.D.W.に身を置いている。君のようにG.O.D.W.の統治の為の犠牲になる者を一人でも救うために。その為には力が及ばずとも、一人でも抵抗し続けるしかないんだ」

そう語ったその背中が、何処か悲壮なものに感じられたのはサーチモンの気のせいだろうか。

「…エゴだよ、それは。結局僕は自由を奪われたままだ…救う事が出来なきゃ、何も意味がない…」

サーチモンは力なく呟く。ジャスティモンに向かっていた怒りは既に矛先を向ける相手を見失っていた。

「一つだけ教えて。何故僕を…G.O.D.W.に消されるデジモンを助けようと思ったの?」

歩き出そうとしたジャスティモンを、サーチモンの言葉が引き止める。数秒間その場に立ち止まっていたがやがて振り向き、答えを言った。

「誰かを助けようと思うことに、理由なんて必要ない。それが私の答えだ」

問い詰められているときの感情を押し殺そうとした声でもなく、先程の怒気の混ざった叫びでもない。一転の曇りの無い心からの言葉。それを残してジャスティモンは去った。




あの男は愚かな奴だ。何の見返りもないはずなのに、誰かを助けようとする。

正義だとか誇りだとか道徳だとか感謝だとか、そんな形のないもの為に戦うのはエゴに決まっている。自分が満足したいだけ。他人の為に勝ち目のない行為に挑むというのなら等尚更だ。

たった4人でリアルワールドを守ろうとするとか、一人でG.O.D.W.上層部全体の決定を覆そうとするだとかは結局そういうことだ。何の価値もない。サーチモンはそう思っていた。
筈だった。




ジャスティモンが去った後でじわじわとわいてきた感情。内側からわいてくる、体を弾ませるようなこの感情。久しく忘れていた、強く『嬉しい』と思う気持ちだ。何故?そう考えて記憶を辿ると、ジャスティモンが怒りを露にした瞬間で記憶の巻き戻しが止まった。

『許されていいはずがない!』

彼は自分と同じ怒りを共有していたのだ。自分に対する理不尽な仕打ちへの怒りを。そしてその怒りの為に、自分の為に動いてくれた。その事実が嬉しいのだと、今気付いた。

「なんだよ、これ。こんなの…久々だ…」

気付いた瞬間、じわじわと感じていた「嬉しい」という感情は、同じ気持ちを共有した「仲間」だという想いが堰を切ったようにあふれ出す。冷たい銀色の外骨格に覆われた体が、感じた事がないほど熱くなるのが分かる。

「サーチモンさーん!何処ですかーっ!?」

地下通路の階段の上から声が聞こえてくる。緋色の声だ。ラミエモンに気を取られている隙に逃げ出した自分を探しているのだろう。

「っ!?危ない!」

階段の上から聞こえてくる音に機械の駆動音と複数の足音が加わった。ラミエモンと遭遇したのだろう。足音や聞こえてくる会話の内容から察するに、どうやら負傷者を守りながら戦っているらしい。ラミエモンが一体ではなく複数なら勝算はある。サーチモンは階段を駆け上るか否か考えた。

『…おかしいよ、こんなのっ!』

緋色もまた、G.O.D.W.に対して怒りを露にしていたことをサーチモンは思い出す。自然と足が階段の方向に向かっていた。

「あいつみたいに、理由も無しに助けることは出来ないかもしれないけど…!」

今はこの想いに従おう。そう口の中で呟き、地上へ躍り出た。









エントランスホールは既にその原形をとどめていなかった。モニュメントの噴水に高価な美術品、柱や壁が倒壊し…いや溶解し足の踏み場もない。その瓦礫の海の中心に位置する、巨大なサイボーグ型デジモンが一体。ラミエモンだ。軍本部内に侵入した小型のそれと同型であるが、遥かに巨大な体躯を持ち、背中に多数の火器を背負っている。紛れも無く、先日緋色達の前に姿を現したヘキサゴンヘブンズの一人だった。

「完全体クラスの攻撃をこれだけぶち込んだのに…奴はバケモノか!?」

エントランスホールの出入り口を囲むバリケードの向こうから、G.O.D.W.の軍人の一人が呟いた。ラミエモンの体には無数の弾痕を初めとしておびただしい傷がついている。しかし、本能に任せた凶暴な動きは全く萎える様子を見せていない。近接戦闘を挑んだメタルグレイモン・メタルティラノモンの集団の攻撃をその身に受けても構わず相手の体に噛み付き、其処が生身の部分であろうがクロンデジゾイド装甲の機械部分であろうがパンのように食いちぎり、自分と同クラスの巨体の相手を四本の足でなぎ倒してしまう。物量作戦で絶え間なく攻撃を続ける事で「本体」だけはこの場にとどめておく事が出来たが、このままでは甚大な被害が出る上突破されるのは時間の問題だ。

「アクセルアーム!」

不意に、ラミエモンの体が宙に跳ね上がった。見れば先程までラミエモンがいた床を突き破り、巨大な鉄の腕が生えている。腕に続いて穴の中、地下通路から姿を現したのは巨大な腕には不釣合いな人間大の体躯に赤いマントを羽織ったデジモン。巨大な右腕を普通の腕と同じ大きさに戻し、その手でマントを翻すと、束ねられるように縮んだマントが、鮮やかなブルーのボディスーツと対照的な色合いの、真紅のマフラーへと変化した。

「あ、あの方は…!?」

「皆、下がっていてくれ。あのデジモンに接近戦を挑むのは危険だ」

周りにいたメタルグレイモン達にそう言うと、ジャスティモンは落下したラミエモンに向かって走り出す。ラミエモンに、自らが危険だと言い放った接近戦を挑んでゆく。その行動に周りのデジモン達は呆気にとられた。

「何をやっている!?早く其処から下がるんだ!」

現場を指揮する軍人の怒号が響く中、ジャスティモンは起き上がったラミエモンに肉薄する。振り下ろされた鈍色の前脚を身を低くして回避。その隙を狙って間髪いれず強酸の滴る牙が襲い掛かるが、側転して紙一重でかわす。頭部の左方から右方に逃げた敵を右足で踏み潰そうとするが、ジャスティモンはすかさず右肩に蹴りを叩き込む。自身よりも小さな体躯のデジモンの攻撃に、ラミエモンの巨躯が僅かに退いた。恐怖と言う感情を持たないラミエモンを退かせる方法は一つ。その重量とパワーに匹敵する物理的衝撃に他はない。

「俺達が束になっても止められなかった奴を…一人で押している…!」

ラミエモンの眼前にまで接近していながら、ジャスティモンはその攻撃を全て紙一重で
避け、次々と拳打や蹴りを叩き込んでいる。受けたダメージは僅かだが、ラミエモンが少しずつ押されているのは明らかだ。

「これが、かつてデジタルワールドを救った『英雄』の戦い…!」

遠巻きに見ているデジモン達がやがてジャスティモンが勝利するであろうと確信した頃、不意にラミエモンの体に変化が生じた。その背から6枚の翼が生えたのだ。昆虫の薄羽根のように透き通った、雷の翼が。

「ぐああああああっ!?」

超接近戦を挑んでいたジャスティモンは不意に伸びた翼を避けきれず体を貫かれる。電撃が全身に走り、関節やアーマーの隙間から煙が上がった。ラミエモンはすぐさま翼を引っ込めると、追い討ちとばかりに前脚の先に着いたクローで掴みかかり、床に何度も叩きつけた後投げ捨てる。固い床の上で二、三度バウンドしてから離れた場所に落ちたジャスティモンに、止めを刺すべく背中についた三つの砲塔を向けた。

「くっ!」

すぐさまジャスティモンはラミエモンの正面ライン上から飛びのく。次の瞬間、先程まで彼がいた場所の背後の壁が綺麗に切り裂かれた。糸のような極細のレーザー光線。三つある砲塔から発射されたのはそれだ。命中すれば究極体のアーマーといえど豆腐のように切断してしまえるだろう。続けて第二、第三の砲塔からもレーザーが放たれ、ジャスティモンはそれを紙一重で避ける。回避した後の床や背後の壁は綺麗な切込みが走っている。ジャスティモンの後方にいたデジモン達が蜘蛛の子のように散った。ラミエモンは更に絶え間なくレーザーを放つ。ジャスティモンはあらゆる方向から襲ってくるそれを掻い潜って行くが、やがてエントランスホールの隅に追い詰められた。

「!」

ラミエモンはただ闇雲にレーザーを撃っていたのではない。搭載された高性能コンピューターによって敵の逃げ道を計算し、狙った場所に追い込むようにレーザーを照射していたのだ。ジャスティモンを狙い、壁と床を切り裂きながら光の線が迫る。どのように動いてもその線のいずれかに引っかかり、自分の体が切断される。ジャスティモンはそれをすぐに悟った。それを避ける方法を思考のするジャスティモンの目に、離れた場所にある壊れた噴水のモニュメントが目に留まる。壁と一体になった、きらびやかな造形のものだ。

「これだ!クリティカルアーム!」

右腕が長方形の機械へと変化し、その先端からオレンジ色の光の刃が伸びる。ジャスティモンはその刃を足元の床へと突き刺す。引き抜いた瞬間。足元に出来た亀裂から勢いよく水が噴出しジャスティモンの体を隠した。その次の瞬間にレーザーの光の線がジャスティモンの体の上で交差し、通り過ぎる。次の瞬間、無傷のジャスティモンが水柱の中から飛び出した。ラミエモンの『スピアレーザー』は貫通力を高めるために極細に絞られているが減衰率が高いため、噴水のために引かれた水道管から噴出した水流に遮られてしまったのだ。

「ブリッツアーム!」

床を蹴り失踪しながらジャスティモンは右腕を通常の腕に戻し、拳を突き出す。すると空を切った拳から電撃の塊が発射され、ラミエモンの背中の砲塔の一つを砕いた。たてつづけ二回拳を振るい、残る二つの砲塔も砕く。レーザーを潰されたラミエモンは背負ったミサイルポッドの中から無数のミサイルを発射し、弾幕を作り迎撃する。ジャスティモンは向かう勢いを緩めずに拳を振るい、電撃でミサイルの壁を切り崩す。ミサイルの中に入っていた強酸の体液が飛び散っていたがそれに臆する事は無かった。両手を交差させて酸の膜を突きぬけると、右腕を思い切りラミエモンに向かって伸ばしながら変形させる。

「アクセルアーム!」

右腕が膨れ上がるように伸び、太くなり掌がラミエモンの頭部を掴む。ラミエモンは前脚を振り上げジャスティモンに叩きつけようとしたが既に遅かった。太い三本の指が八つのカメラアイの付いた頭部を握りつぶし、上あごを力任せにちぎり取る。決着は付いた。ラミエモンは機能を停止し、遠巻きに見ていたデジモン達は歓声を上げる――――――――――はずだった。頭部を失ったラミエモンの足が高く振り上げられ、頂点から叩き落とされたクローの先端がジャスティモンの胸板を直撃した。

「ガハッ…!?_」

分身体同様、本体たるラミエモンも頭部を潰されても活動を続けていた。ラミエモンは本来一つしかないデジコアを複数に分割し、全身の各部に配置された肉体を持っている。各部にあるデジコアが一つでも残っていれば活動し続ける事が可能なのだ。知性と引き換えに手に入れた驚異的な生命力に虚を突かれたジャスティモンは、更なる追撃を許してしまう。振り回された前脚の先端がジャスティモンを殴り飛ばし、その体が壁に叩きつけられた。

レーザー砲を破壊され、ミサイルも効果薄とラミエモンに備え付けられた電子頭脳は判断し、飛び道具で追撃させずに奇妙な動きをラミエモンにとらせた。後脚で立ち上がったかと思うと、そのままひっくりかえりブリッジしたような体制をとる。それを見たデジモン達が戦慄いた。

「あ、あの体制は…!」

ラミエモンの腹部にびっしりと付いた球形のパーツが次と射出され、ジャスティモンに向かって山なりに飛んでいく。さらに球形の物体はそのまま膨れ上がって相似形のあの分身体となり、ジャスティモンの周りに落下した。現れた十数体の分身体が一斉にジャスティモンに向かって殺到していく。

「本部の中をうろついていたのはこいつらか…!」

向かってくる分身体をクリティカルアームで薙ぎ払うが、その動きが止まることは無い。頭を潰したくらいでは仕留められず、ここに集まっているデジモン達でも本部内で侵入するのを止められなかったほどの厄介な相手だ。一人でこれだけの数を相手にするのは究極体のジャスティモンといえど容易ではない。そしてその隙をラミエモンが狙わない筈がなかった。先程と同じ動きでひっくり返って正位置に戻ると、四肢のクローを床に深く突き刺し、体をしっかりと縫いつける。そして下あごだけになった口を限界まで開き、喉の奥の砲口を露出させる。そして唸り声と共に大口径の砲口に青白い光が集まり、激しい放電音を放ち始めた。『ヴァニッシュキャノン』。最大出力で放てば究極体すら一瞬で蒸発させる、ラミエモン最強の兵器だ。弱点であるチャージ時間は放った分身体が補ってくれる。

(あんなものが撃たれれば私だけじゃない、ここにいるデジモン達や本部全体がどうなるか…!)

分身体が放たれた真の狙いに気付き、そこから逆算して威力のほどを見抜いたジャスティモンは最後の賭けに出ようとする。腕の一、二本を犠牲にする覚悟で分身体の群をつきぬけ、チャージが終わる前に最大の必殺技をラミエモンに叩き込む。成功率の低い賭けだが臆するわけには行かなかった。しかしその賭けは、突如ホールに響いた子供の声によって中断された。

「ジャミングヘルツ!」

その声が木霊した瞬間から、分身体達の動きに変化が生じる。近くにいた分身体同士で噛みつきあいを始めたのだ。

「そいつらは分身体の識別信号が出ている物以外の生命反応に手当たり次第食いつくようにプログラミングされているんだ!だからジャミングで識別信号を妨害してやれば近くの奴らと共食いを始める!」

ジャスティモンが声のした方向を見やるとサーチモンが叫んでいた。傍にはピッドモンやダルクモン、フェレスモンに何故かジャガモンまでいる。それを見たジャスティモンはマスクの下で笑みを作った。気を緩めたのは一瞬。すぐさまジャスティモンは分身体達を切り伏せながらラミエモンに向かって走り出す。右腕を通常の腕に戻し、全エネルギーを右足に集中。筋力が限界まで引き出され、余剰エネルギーがスパークとなってあふれ出し、深い足跡を残しながら大理石の石畳を蹴ってその体を宙へと運ぶ。そして空中で前転し、全エネルギーを集中させた右足裏を突き出してジャスティモンは跳び蹴りを放つ。

「ジャスティスキィィィィィィック!」

斜め上から落下する隙だらけのその体制を、ラミエモンは見逃さなかった。首を上に向けて、ヴァニッシュキャノンを発射する。十分にチャージされてないとは言え、究極体を倒すには十分な破壊力を持つプラズマ弾がジャスティモンに飛来する。誰がどう見ても回避は不可能だ。“父さん!”と叫ぶダルクモンの声が緋色の頭の中に木霊した。ジャスティモンの爪先とプラズマ弾が激突する。しかし、プラズマ弾は爆ぜることなく、その場で跳び蹴りの体制の足と拮抗したまま激しいスパークを放っていた。物理法則を無視した光景に、誰もが我が目を疑った。

「ハァァァァァァァァァァァァァッ!!」

デジタルワールドという電子世界の根底には、地球の環境と同じ物理法則がプログラムとして組み込まれているというのがこの時代の通説であった。人間の世界ではありえないような生物・デジモンは自身の生命力、DPと称される力によってその物理法則というプログラムをハッキングし歪めこの世界に存在している。生命を維持できるだけの力を失ったデジモンは、死後肉体を物質としてとどめておく事すら出来ない。逆に力さえあればあらゆる物理法則を無視し、ねじ伏せる事が出来る。ジャスティスキックは単純でシンプルな技。全エネルギーを右足裏と言うごく狭い領域に集中させ、蹴りを放つ。ただそれだけの技だ。

「デヤァァァァァァァァァァァッ!!」

それ故に、その強大な「力」は他のデジモンの必殺技をねじ伏せ、蹴り返す事が出来る。蹴り返されたプラズマ球は発射された軌道をそのまま逆戻りし、ラミエモンに激突する。元の破壊力にジャスティスキックの勢いが加算された光球はその巨体をエントランスホールの外まで押し出し、大爆発を起こした。吹き込んでくる爆風がジャスティモンのマフラーを激しく靡かせる。それが収まった瞬間、大きな歓声が上がった。

「さ、流石は『英雄』だ!我々でも歯が立たなかったデジモンを一人で倒してしまった!」
「俺達の出る幕なんて何て無かった!すげぇ戦いぶりだったぜ!」

そのような事を口にしながら、ホールにいたデジモン達がジャスティモンの元へ集まってくる。その中にサーチモン達の姿を見とめるとジャスティモンはそこで歩いていき、頭の位置の低いサーチモンにあわせるようにかがんで頭を下げた。彼らが『英雄』と呼ぶ人物の余りにも意外な行動に、群集達がざわめく。

「…助けようとしていたつもりだったが、君に助けられたな。ありがとう、サーチモン」

「そ、そんな礼なんていいよ。やることも無くて手持ち無沙汰だったからやっただけさ」

言ってそっぽを向いたサーチモンの胸には、彼自身が久しく忘れていた想いが蘇っていた。誰かに感謝される事を、喜びとする気持ちだ。照れくさいが、悪い気分ではない。


勝利に沸く群集たちの耳に、不意にガガガ、と不快な機械の駆動音が聞こえた。振り返った彼らの目に、煙の向こうに浮かぶ巨大なシルエットが映る。馬鹿な、と口々に叫ぶ声がホールに木霊した。脚部が一本千切れ、全身の装甲が砕け筋肉が露出した状態のラミエモンが鉛色のベールを通り抜けて姿を現す。こんな状態になっても尚も戦い続ける闘争本能に全員が戦慄した。

「う、撃て!今なら我々でも倒せる筈だっ!」

咄嗟に号令をかけた現場指揮者の判断は、ミスと呼べる部類のものだった。ラミエモンとの距離が近すぎた。飛び道具を放つ前にラミエモンが群集たちに突進し、蹴散らされるだろう。散開して逃げた方が得策であった。

「ブラックカーテン!」

その判断ミスをフォローするかのように、真黒いカーテン状のエネルギー体が、群集とラミエモンの間を区切るように出現した。勢い余ってそれに突っ込んだラミエモンの体を弾き飛ばすと、役目は終えたばかりにカーテンは虚空に掻き消える。さらに立ち上がろうとしたラミエモンの手足に太い鎖が何本も巻きつき、がんじがらめにして拘束する。群衆が鎖の伸びてきた方向を辿ると、それらは巨大な鎌の柄の部分に束ねられていた。その鎌を持つのはブラウンとダークグリーンのローブに身を包んだ死神を連想させる姿のデジモン。その傍らには人間によく似た姿の、タキシードを纏ったデジモンの姿があった。緋色達が彼らに出会うのはこれで二度目だ。

「やれやれ。再び合間見えるのがこんなにも早く、それもこんな場になるとは…興ざめとしか言いようがありませんね」

『ヘキサゴンヘブンズ』のデジモンが二人。紳士を装うアクトモンと、無音の死神サイレスモン。ラミエモンを含め三人も敵方の黒幕が姿を現した事になる。緋色達シールダーズはもとより、群集達の間にも新たな二体の究極体の出現に緊張が走った。

「皆様、そうお固くならぬように…。我々二人はこの場で戦うつもりはありません。さらに言わせていただけば、G.O.D.W.に攻撃を加える意志はありませんのでご安心を」

「ならば何のためにラミエモンに軍本部を襲撃させた!?」

「まことに遺憾ですが…我々の中にも興の理解できない者がおりましてね。彼が退屈しのぎになればとラミエモンを制御しているチップに傷を付けてこちらへ転送してしまったのですよ」

ジャスティモンの問いに、アクトモンは頭を振ってオーバーリアクション気味に答えた。

「今後、二度とこのようなことが無いよう…G.O.D.W.の、デジタルワールドの皆様に被害が及ばぬように活動しますので、どうかご容赦を」

そう言ってアクトモンは頭を深々と下げる。話しが終わった後、サイレスモンがジャラリ、と鎖を鳴らした。するとラミエモンの足元に巨大な魔方陣が浮かび上がり、鎖に縛られたラミエモンの体が地面に沈んでいく。

「それでは、次こそリアルワールドで合間見えることを願っておりますよ…」

アクトモンもそれに続き、最後にサイレスモンもそこに飛び込む。三人の姿を飲み込むと魔方陣は縮んで消えて行く。嵐の後に軍本部に残ったのは、軽いものではない人的・物的被害と静寂だけであった。









「俺が治療を受けている間にそんな騒ぎがあったわけか…」

「そ。本当に大変だったわ、ゴキモンよりもしぶといのをたくさん相手にする破目になったんだから」

本が積まれた自分のポッドの上で伸びをしながら、ウィッチモンは言う。プリミティ・オーシャンへのダイブの件がお咎め無しになったシールダーズのメンバーは、再びイージスゲートに戻ってきていた。

「緋色は何処いったんだ?」

「もうリアルワールドのおうちに帰ったわよ。昨日の夕方にこっちに来たったきり帰れなかったから、あの子のお父さん心配しているだろうし」

「ふぅん…」

トータモンはちらり、とサーチモンの方を見る。自分のポッドに乗って、今日の戦闘記録をコンピューターに入力する作業を黙々と続けている。

「…あいつはどうするんだよ?」

顔を近づけ、トータモンは精一杯ボリュームを絞った声でウィッチモンに囁きかける。あいつとは勿論サーチモンのことだ。

「どうするって…私達がどうこうできる問題じゃないわ」

「けどよぉ、このままじゃあいつにオペレーターやらせてていいのか?あいつはこのままじゃ一生ここから出られないんだぜ?」

「私だって可愛そうだとは思うわよ。でも私達が動いたところで…」

「別に気にしなくてもいいよ」

聞こえていたのか、サーチモンが不意に会話に割って入った。相変わらず手はキーボードの上で、二人にも背を向けたままだが。

「…すまねぇな」

「ごめんなさい…」

トータモンとウィッチモンが頭を下げた。昨日、事情も知らずにサーチモンを罵倒した事や、自分達では彼の立場をどうにも変えられないことに対して謝っているのだ。

「今の僕は自分の意志でシールダーズにいる。だから変に気にかけなくて良いよ」

意外な台詞に、二人は驚く。その言葉が嘘であるとは思えなかった。二人は先程自分の意志で緋色やジャスティモンを助けた所を目の当たりにしたり聞いたりしていたので、何らかの心境の変化があったのだろうかと推測する。

「サーチモンっ!」

オペレーションルームに、一人送れていたジャスティモンが入ってきた。らしくないほど声が弾んでおり、嬉しくて仕方がないと言う様子だ。

「やったぞ…G.O.D.W.が君にもう一度チャンスを与えると約束してくれた!これからシールダーズの任務を命令違反とプリミティ・オーシャンへのダイブをせずに完遂すれば君を解放してくれるそうだ!」

突然の吉報に、サーチモンを含む三人は目を丸くして驚く。

「い、一体どういう風の吹き回しなんですか!?」

「サーチモンが緋色君を助けるときにジャガモン殿を一緒に助けた事を、フェレスモン殿が言及してくれたんだ。『自分の意志で上司や政府高官を助けた』という点を追求してくれた。それに『プリミティ・オーシャンのダイブをサポートするという命令自体がG.O.D.W.の方針と反するものであり、それに背くのは当然』とも命令違反の件も弁護してくれた」

余りにも意外な結末。まるで手垢のついた物語のように、苦労した登場人物へのプレゼントとばかりに問題は解決の兆しを見せた。事が上手く行き過ぎている、と思うよりも早く、サーチモンは喜びに身を任せ、飛び跳ねた。

「やった…やったぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――――っ!!」







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